この前どなたかが、顔と名前を出したほうが同じエネルギーを持った人達が見つけやすくなるというような事を言っておられました

目印の旗みたいなもんですかね

というわけで恥をしのんで今さら顔を出させていただいた次第です

どこかの講演会などで、ブログを読んでいただいている方と出会えるかも~という淡い期待もありますが、「ウニコだ逃げろ~」という使い方もできるかと思います

さすがに名前はちょっと勇気がいるのでやめときますが、今後ともよろしくお願いします(人゚∀゚*)












インディゴの記事を書いていた時に、他人の言動に対してとやかく言う人のことを考えていて、だいたい2つのパターンがあるのかなと思いました

一つは、自分もやっている事を棚に上げて他人がやっているのは許せずにとやかく言う人。
もう一つは、自分の中で常識として強く律していることを他人がやっているのを許せない人。
一つ目は分かりやすいですよね
よくオバちゃんとかにいそうです。(ゴメンなさい
)
よくオバちゃんとかにいそうです。(ゴメンなさい
)簡単な例だと、
「あの人甘いモノばっかり食べて、だから太るのよね~。」
といいながらドーナツ10個入りの袋を持ってたりする人です

これについては自分の鏡写しだと気づくまで頑張ってループするしかありません

こちらのほうがいつかハッと気づきやすいかもしれませんね。
問題は2つ目です。
たとえば、
何人かでおみやげにいただいたケーキを食べることになりました。
ケーキは全て違う種類で、どれを食べるか選ぶ時に、ある人は他の人に遠慮して「お先にどうぞ」と言うのが常識だと思っていたとします。
そこに全く他の人を気づかうことなく「私はコレがいい~」と言って真っ先にケーキを取った人がいたら、遠慮が常識だと思っている人は「何、あの人
」となるわけです
」となるわけです
これは小さな例ですが、この人は会社など他の様々な場面でも、遠慮が常識という色眼鏡で他者を見てしまっていると思います。
ではこのパターンの人はどうしたらいいのでしょうか?

人それぞれの自由だから、遠慮しない他人もありのままに受け入れる…。
一見良さそうですが、いきなりコレをやっても何の解決にもなりません
ストレスが溜まるだけです。
ストレスが溜まるだけです。なぜか…
自分も遠慮なんかしないで思ったようにしたいから
なんです

自分も好きなケーキを真っ先に取りたいのに…。我慢して遠慮してあげてるのに…。
これが許せなかった理由です。
他人の言動に厳しく批判する人は、まず自分で自分を常識で苦しめているということに気づかなければなりません。
そのためにも自分の内側を深く見つめる作業はとても大切なんです

前にも書きましたがとてもキツい作業です

自分の中で常識として律している事がないか、思った事が自由にやれているか。
しかしそれに気づいても、自分の中で長年凝り固まってしまったものです。
既に自分の自我を形成している性格の一部なので、変えるのは簡単ではないかもしれません

それでも、自分の中の常識を壊すことはインディゴだけではなく、今地球に生きている全ての人に求められていることだと思います。
自分をまず自由にしてあげて下さい

すると結果的に他人の自由も認めることができるようになります

ただ、迷惑行為を許せないとか殺人は許せないなどは、自分の心の声に従って常識として持っていていいと思いますが

どんなことも結局は自分の内なる声が全てです。
ではまた

できるだけ多く人に気づきを
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