今日も花粉に悩まされております、ウニコです

悟った人がよく言う、思考はいらない。
について考えていました。
私は思考することでいろんなことが分かりましたし、ここまで導いてくれました。
なので思考を否定することはおかしいんじゃないかと内なる声も言っていたんです

そしてヒラメキました

二つの思考は別物なのでは?と。
悟った人禁断の思考を使いまくってやりましたよ

そして出た結論
思考はいらないの思考は自我の思考のことで、内観中にいろいろ考えた思考は自我ではなく自分の外から見た視点での思考なのではないかと。
3次元ではどちらも思考という言葉しかないので、混乱していたのではないかと思ったんです。
今も自我の思考が出ないわけではありません。3次元で身体を持っている以上、自我があるのは仕方ないと思っています。
ただ、そこに焦点は合わせないというのが思考をなくすということなのではないかと。
自我はあるだけの状態です。
たとえば、ある一人の女性を見て感じることは人それぞれだと思います

優しそう
意地悪そう
色気がある
マジメそう
したたかそう
気が合いそう
実は裏の顔がありそう
人の彼氏をとりそう
なんか好きじゃない
私とは合わなそう
...etc
人それぞれ勝手なイメージが出てくると思います

これは自我が過去の経験などを元にして出してきたイメージです。
でもそこには同じ一人の女性がいるだけです

この世の事象は全てコレと同じ事だと思うのです。
目の前に起きている事はただ起きているだけなのに、自我が意味づけをしたり思考するから何か物語が始まってしまい、属にいうカルマを産むのだと感じたのです。
たとえば極端な例ですが…
自分が指導を担当している後輩がいたとします。
指導計画と自分の仕事で普段よりもやる事が多くて忙しい毎日です。
そんな時にその後輩が
「先輩お仕事大変そうですよね、頑張って下さいね
」
」と笑顔で言ったとします。
どう思うかというと
後輩に言われる筋合いはないわよ

とか
あんたの指導で大変なんじゃないの

と以前の私なら思ったと思います

これは後輩の言葉を自我が意味づけをした結果の思いです。
これによって先輩後輩の秘めた確執が始まったりするわけです

でも全ては完璧な仕組みで起きているので意味づけはいらないんです。
起こった事象をありのままに見てるだけでいいんですね。
先輩頑張って→そうね頑張るわ
ただこれだけです。そこに何の思考もいらないんです。
これが悟りによって得た思考しないの真相です。
私はドロドロの女の戦い大好物!…とそこまでいかなくても、そんなのつまらないと思う方はとことん目の前の全てに意味づけをしまくって楽しめばいいと思います。
そうしていたらある日、自我について
ハッΣ(´д`*)という日が来るかもしれません。
それも人それぞれですね

今日もありがとうございました

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