処女の泉 | 毎日がメメント・モリ

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 ベルイマンです。ベルイマンと言えば「ファニーとアレクサンデル」と言うのがあって、これが5時間以上にわたる超大作でした。映画館では確か一日2回しか上映が無かった。と、言うか、それ以上できませんわなあ。

 しかし、文芸大作のような顔した変な映画でもありまして(私はそう言う印象を持った)その時もシングルマザーだったファニーとアレクサンデルの母親と再婚するも子供には非常に冷たい嫌な性格の神父が出て来て、この「処女の泉」も非常にキリスト教的な映画なのですが、ベルイマンご本人は余りキリスト教に対して、良い印象を持っていないのかなと言うのが、何となく見えて来ます。

 

 

 物語はいたってシンプルで、スウェーデンのエステルイェートランド地方に伝わるバラッド、つまり民間伝承の物語をベースにしているそうですが、さすが「映像の魔術師」と言われるだけあって、寡黙でありながら映像での情報量は凄まじいものがあり、様々なものが見えて来ます。まあ民間伝承ですから、基本的に血生臭かったり、残酷だったりするもんですね。

 

 裕福な地主のテーレとその妻のメレータは敬虔なクリスチャンです。テーレは少しそこから距離を置いているようですが、妻のメレータはかなり信仰が深い。そして、一人娘のカーリンは両親の愛情を一身に受け、見るところかなり甘やかされて育っている様子。いわゆる「良いところのお嬢さん」です。

 一家はお祈りをして朝食ですが、カーリンは寝坊して起きて来ません。ここのシーンが映画には珍しいと思うんですが、まるで舞台か絵画のように手前に人が座ってないんですね、美しい構図です。

 

 

 そして両親に溺愛されるカーリンと違い、下働きのインゲリは、誰の子ともわからない子供を宿していて、メレータにも余り良く思われていない様子。インゲリはキリスト教徒ではなく土着の神であるオーディンを信仰しているんですね。基本的にキリスト教は、各地の土着の神を悪として廃する事で信仰を広げて来たので、対抗する図になるのは致し方ない。土着の神と言うのは大抵自然ですから、豊かさをもたらしてくれると同時に災害や病気ももたらす、それを救ってくれるのがキリストだと言う事です。

 インゲリは暗いことを何一つ知らないカーリンを妬み、オーディンを通して呪いをかけます。

 

 

 おまけに教会にろうそくを届けるために作った弁当=サンドイッチのようなものの一つにヒキガエルを入れるんですよ、

 うへえ。キリスト教的な魔女のイメージ。

 

 

 教会にろうそくを届けるのは処女の役目、カーリンはこのために、わがままを通してよそ行きの美しい華やかな装いをします。本来なら華やかな装いは日曜日にすべきで、受苦日の金曜日にしてはいけないんですけどね。確かにこの美しい装いがアダになります。

 

 

 カーリンはインゲリを伴って教会へ出かけます。北欧の自然が美しいシーンです。

 

 

 しかし、途中の森に入るところでインゲリは森を恐れて「帰ろう」と言い始めます。カーリンはそのそばの老人の小屋にインゲリを置いて一人で森に入るのでした。その老人に「お前は異教のオーディンを信仰しているだろう、同じ仲間だからわかる。」と言われ、逃げ出すインゲリ。

 

 

 一方、一人で森を行くカーリンですが、良からぬ3人組に目を付けられます。疑う事を知らない彼女は彼らに昼食を振る舞うのでした。

 

 

 

 結局、カーリンは強姦され、殺されてしまいます。彼女の豪華な衣服を剥ぎ取り、遺体を放置する3人組。

描き方としてはあっさりしてますが、今見ても結構生々しい映像なので、当時はさぞや衝撃的だったんじゃないでしょうか。

 でも、この一番若い子は可哀想でした、もちろんカーリンの強姦には加わらず、盗んだヤギを見張ってろと言われ、遺体と共に過ごす事になり恐ろしい思いをします。

 

 

 夜になってもカーリンとインゲリが帰ってこないので心配する両親ですが、そこへ例の3人組が一夜の宿を求めてやって来ます、もちろんそこがカーリンの家だとは知らないで。

 両親は彼らを家に招き入れ、夕食を与えますが、一番若い子はカーリンの事を思い出し、恐ろしさの余り粗相をして後の2人に打たれたりするんです。元になったバラッドにはこの子は出て来ないそうで、この子の存在が一つ鍵になりそうですね。

 

 夕食も終わり、皆寝入りますが、事もあろうかこやつらカーリンの血の着いた衣装を持ち出し、メレータに「亡くなった妹のものだが、止むを得ず手放すことになった、買いませんか?少し汚れているが、これくらいすぐに綺麗になる。」と売ろうとするんですよ。もちろん一点ものの衣装でしょうし、メレータはすぐにカーリンのものだと気がつき、全てを理解します。

 

 これを妻から聞いたテーレは復讐するんです、が、キリスト教では復讐は禁止されている。キリスト教もその国によって微妙に違ってたりするのは、土着の信仰を混ざってしまった結果なんでしょうかね?テーレは怒りに任せて、ではなく、しかも寝込みを襲うのではなく彼らが目覚めるのを待って至って冷静にやり遂げます。冷静なだけにより凄みを増すシーンです。

 

 

 この木は何の木なのでしょうか、これを切り倒し、枝を取りそれで身を清めて復讐に臨む、復讐は禁止ですから、もちろんこの様な儀式めいたものもキリスト教にはありません。

 

 

 また、異教の魔女の様なインゲリは、絶対悪としては描かれていません。カーリンが襲われるところを木の陰から目撃したインゲリは、石を持ち、彼らに投げつけようとしますが、出来ない、流石に後悔にかられるインゲリ。テーレにもカーリンが殺されたのは自分が呪ったせいで、彼らはオーディンに従っただけなのだから、悪いのは自分だ、と告白するんです。

 

 復讐を終えたテーレは、インゲリを伴ってカーリンの遺体を探しに行きます。無残な娘の遺体に取りすがって泣くメレータ。

 

 カーリンを抱き上げると、彼女の頭があった部分から泉が溢れ出ます。この奇跡に、テーレはこの場所に石

造りの教会を建てる事を誓うのでした。

 

 

 と、まるで聖書にでもありそうなお話ですが、実はベルイマンは、最後の「教会を建てる」くだりは入れたくなかったそうなのです。これは脚本家の希望だったそうで、ああ、やはりベルイマンはそうなんだなと、多分ベルイマンは「神の沈黙」の部分を強調したかったんでしょうけど、この部分がある事によって少しその辺りが弱くなってる感じはしますね。

 

「神の沈黙」とは度々話題になりますが、普通に話を追ってたら「最後に泉を湧かすくらいなら娘を助けてやれよ」とまあ、信仰していない私たちは思うわけですよ。そして最後で「壺買わされるタイプかな?」と。でも大体、こういう場合って神様は助けません。人間の愚かな行為や残酷なことは黙って見てらっしゃる。本当に信仰されてる方々がどうお考えなのかはわかりませんし、どうやら信仰の根幹に関わる事でもあるようなので、私もこの辺で沈黙する事に致します。

 

 

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イングマール・ベルイマン監督作品 

 

テーレ:マックス・フォン・シドー

カーリン:ビルギッタ・ペテルソン

インゲリ:グンネル・リンドブロム

メレータ:ビルギッタ・ヴァルベルイ

 

†††1960年 スウェーデン

 

 

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