時期: 2023年10月下旬

 

今年はNHK「どうする家康」で東海地方に人が集まる。確かにそのタイミングを逃す手はない。2017年の大河「おんな城主 直虎」の回顧展が開かれているので、ちょっと覗いて来た。場所は、浜松市引佐町の浜松市地域遺産センター。


<直虎ちゃん>

 

玄関先で直虎ちゃんと大河ドラマのポスターがお出迎え。2Fには当時の出演者が大河ドラマ館なのか現地を訪れた時のサインが20枚ほど展示されていた。展示スペースには直虎の衣装やゆかりのパネルが展示されていた。


<大河ドラマ「直虎」のパネル(2)>

 

 

放送されていた当時、井伊谷の存在をハッキリと知らなかったので同地や気賀が大河ドラマに登場する事に意外感ありありだった。でも、今川、武田、徳川と有力大名に翻弄される姿を見て次第に集中できた。

 

いざ、この時期にパネルを見て歴史を思い出すほど知は深くない。ただ、三遠地方の低山を歩いているので地理を意識することはある。

 

地図を見ると、井伊谷は陣座峠から遠州侵攻(遠州忩劇)してきた家康が最初にターゲットにしたエリアに当たる。1572年の三方ヶ原の戦いでもその前哨戦が伊平(仏坂の戦い)であったし、合戦後に信玄が三河に侵攻したのもやはり陣座峠なのか。宇利峠など諸説あるようだが、ここでは回顧展のパネルの説を採用する。

 

<家康の侵攻ルート、武田の進軍ルート>

 

 

また、井伊谷の地は姫街道と信州街道が交差する交通の要衝だったとか。神宮寺川や井伊谷川が細江川に集まり、浜名湖に注いでいくので水利も良かったのだろう。近くの三岳城址を訪れた時にも思ったが、かつては浜松城(東海道)の東南部は湿地帯だったとかで、案外と浜名湖沿岸(姫街道)の方が繁栄していたのかも知れない。そんな事を改めて思った。

 

もう1つ挙げると、井伊谷は金指駅からは低い山に隠れて全く視界に入らない。それも安定した領地だったのか。大河ドラマで小野(高橋一生)がもっと奥まったところに田畑を隠していた逸話が出てきたけど、それはどこなんだろう。今年、柴咲コウが久留米木へ田植えに来ていたってニュースがあったけど、それは久留米木のことなのか。久留米木と伊平は気になっているもののまだ開拓できていない。

 

<6月の中日新聞サイト>

 

地域遺産センターの裏手にあるのが山城の井伊谷城址だった。今日は単なる散策のつもりだったのでKEENのサンダル履きだったけど、折角なので登ってみよう。

 

<地域遺産センターと裏手の山、看板>

 

 

僅か15分だけど、サンダルはヤマに向かない。山頂からは秋の黄色く色付いた田畑が見える。標高114mとあまりに低いので浜名湖は望めない。やっぱり尉ヶ峰か富幕山だな。

 

<山頂にて(3)>

 

 

 

山頂に碑があって、地元の方と思しき年配の方が5拍を3回くらい繰り返し拝んでいるのが印象的だった。

 

※参考:三岳山のブログ