先日、椎名誠「シルクロード・楼蘭探検隊」の感想を書いた。それを読んで思い出した旅の記憶。

 

シルクロードを旅した者として気になった事が2つある。

 

(1)天女の舞

私は敦煌(ドンファン)の露店で天女の舞を描いた丸い飾り板を買っている。それがいつの時代の何なのか全く知らないで、それでも単純に綺麗だと思って買ったものだ。

 

 

それが、この本によると莫高窟(モガオークー)の天井画だったのだとか。莫高窟は旅の途中で知り合った若い中国人男女3名と一緒に見学したんだけど、歴史の偉大なる地域に足を踏み入れてもそんな事は全く私の目に入っていなかったのだ。言われてみれば、色合いの優しいのは席窟に塗られていた絵具の色調と似ているな。

 

<土産に買った天女を描いた木板>


(2)砂嵐のヤルダン

もう1つが、ヤルダンの記述だ。椎名誠の本から引用する。

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土と砂が混ざってできた連続地帯……(中略)……平均4メートル前後の土の障壁ヤルダンは頑固にいつまでも我々の行く手をさえぎるように続いている

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それはその通りだが、これってヤケに冷静な記述だな。

 

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ヤルダン地形とは風、雨などによって地面の柔らかい部分が侵食されて、堅い岩部分が小山または堆積物のように数多く残る乾燥帯を指し、中央アジアなどによくみられる地形である。中国の甘粛省敦煌市には敦煌ヤルダン国家地質公園がある。

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上記のWikipediaの説明を読んでもフラットな書き方で伝わらない。

 

私の言葉で書くとこうだ。砂嵐のヤルダンは空も大地も灰色に覆われていた。灰色の岩が風雨に晒されて削られた荒野の大地で、とにかく目を開けていられないほど強い嵐のような風が吹いている、地の果て、この世の果てだ。

 

私が中国人3名と一緒にバスでそこに云った時にはあまりの風と砂嵐でどうしようもない状態だった。5分くらいでもう我慢の限界になり、すぐにバスに逃げ込んだ。他の中国人ツーリストはとっくにバスに退避しており、私が最も耐えたツーリストだった。

 

ともかく私はヤルダンと鳴沙山(メイシャシャン)のヒドイ砂嵐のせいで体調がグダグダ。鳴沙山の入口でマスクを売っていたので買ったんだけど、10分くらいでマスクの紐が切れてしまい使い物にならない。口にマスクを当て続けるのも面倒でできない、とにかく口の中が砂でザラザラして参った。たかがマスクでも最低限の品質は確保して欲しい。

 

旅のラスト西安の空も砂のせいか煙っていて息苦しかった。お陰で旅の後半から帰国後の1ケ月間は気管支炎とくしゃみ・鼻水でグタグタになった。どうにもならなくなって丸1日、大酒店(ホテル)に籠っていた日もある。GWに会社を休んだばかりで体裁が悪かったけど、もう仕事どころではない悲惨な状況。全休と半休を何度も繰り返してとても体裁が悪かった。

 

帰国後にネットで調べてみると、黄砂がヒドイ季節は3~5月だった。確かに日本でも黄砂がニュースになるし、立山など残雪期の雪山登山中に「黄砂で汚れた」って声を聞くのと同時期だ。

 

ただ、当時ヤルダンと鳴沙山にはそうした気象情報を集めてなかった。最近改めて検索してみたら、こんな情報が載っていた。とにかく準備はmust!

 

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春は温暖で風が多く、夏は非常に暑く、秋は涼しく、冬は寒いです。……(中略)……敦煌に旅行する絶好な時期は5月から10月までです。また、每年春と夏、ここは砂嵐とフエーン現象という自然災害があるので、この時期に行く人は、用心ため帽子、頭巾、マスクなどを準備したほうがいいです。

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※出典

https://www.arachina.com/dunhuang/weather.htm

 

TBS「VIVANT」の砂漠の逃避行もキツそうだったなあ。砂漠は綺麗なだけじゃ済まされない、リアルな厳しさがあるのだ。


※参考ブログ:私が撮った海外の砂漠旅4枚