本日は姫街道(本坂通り)、七里の渡しに次ぐ街道シリーズの第3弾。

 

2022年に初めて足を踏み入れた滋賀県。JR長浜駅周辺で鯖街道や北国街道ってワードを見つけた。ちなみに琵琶湖の西岸で赤坂山(高島トレイル)を歩くと、こちらにも鯖街道があるのが分かった。しかも若狭湾から京都方面に複数ルートがあるようだ。

 

<JR長浜駅周辺>

 

琵琶湖西岸の鯖街道はまだ探索できていないので、今日は長浜駅から少し北に上がったJR河毛駅周辺で見つけた北国脇往還の話。2回目の滋賀県で雪の小谷山(小谷城址)に登るため、JR河毛駅で下車したのだ。駅から雪に覆われた田畑を見ながら小谷山の登山口を目指して歩いていく。その途中で見つけたのが「北国脇往還」と書かれたこの看板だった。


<北国脇往還>

 

※参考ブログ:見つけたのは2022年冬

 

まずはネット情報に頼って雰囲気を掴もう。以下参照。

 

<中仙道と北国街道を繋ぐ>

※出典

https://kaidoaruki.com/area_kinki/hokkokuwakioukan/index.html

 

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江戸時代、二つの道が北国街道と呼ばれた……(中略)……近世、江戸への参勤交代で越前の諸大名は今庄から 木之本を経由し関ヶ原で中山道に合流する北国脇往還を利用する ことが多かったといわれる。

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※出典

https://kaidouarukitabi.com/rekisi/waki/hokkoku/hokkokuwaki.html

 

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浅井氏の本拠である小谷城も、往還沿いの伊部・郡上を城下町としている。浅井長政の正室・お市が、織田信長の居城である岐阜から嫁いだのもこの脇往還である。織田信長や徳川家康はこの街道を辿って近江に攻め込んだ。小谷落城後、城から脱出したお市と浅井三姉妹が美濃方面に向かった経路もこの街道と考えられる。

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※出典

http://www.fukusitaxi.net/history/waki/new31h.html

 

ちなみに、北国街道は2つあるようだ。信濃追分(現在の軽井沢町)から上越高田に抜けるルートと琵琶湖東岸を敦賀に進むルートだ。と言うか上越高田から敦賀を結ぶ道も、サイトによって北陸道とも北国街道とも記されている。それに、北国銀行と言えば石川県の地銀だから北陸と北国っていいように使い分けているワードなのかも。

 

また、JR東海道本線に沿って、関ヶ原駅、醒ヶ井駅、米原駅がある。前2つはかつて中山道の宿場町であり、米原は北国街道の宿場町だったとか。北国脇往還は関ヶ原から東海道本線を離れてすーっと琵琶湖北端の木ノ本を目指していくルートだ。

 

郡上宿って宿場の名前を聞くのも初めてだったので、立ち止まってしまった。

 

<郡上宿の地名は長浜市小谷郡上町>

 

以下サイトは地図と街道一覧が付いているので分かりやすい。

https://kaidouarukitabi.com/rekisi/rekisitop.html

 

そもそも脇往還って何だろう?

 

これまで姫街道(見附や浜松~御油)や佐屋街道(宮~桑名)を知っていたので、単純に起点Aと終点Bを結ぶ迂回路だと思っていた。姫街道であれば風と波が阻む東海道よりラクに歩く事ができる、佐屋街道も海路を短縮できるので七里の渡しのように天気に左右されないメリットがあると考えていた。

 

でも、どうやら脇往還は五街道以外の主要ルートもまとめて総称しているようだ。

 

そして、この北国脇往還はまた趣が違うようだ。中山道を江戸から関ヶ原まで辿ってきた人が、わざわざ米原まで西進しなくても、春照宿、小谷宿を経由して斜めにショートカットする事で敦賀方面に出る時間を短縮できる効果があったそうだ。

 

訪れたのが厳冬期だったこともあり、旧宿場町は閑散としていた。古い家屋の屋根のすぐ下から鳥など入り込まないように斜めにトタンで覆っているのが珍しかった。

 

<雪に耐える地域>

 

と言うか、滋賀県の北半分が雪国になっている事を知ってそもそも驚いたのが正直なところだった。ネット検索するとこの脇往還を歩いている方がいる。東海道よりかつての面影は残っているだろうし、いつか関ヶ原から賤ケ岳まで陸路を歩いてみたい。