浜名湖の方へ坂を降りていくと分岐あり。帆を立てて遊んでいるヨットやサーファー数名いる。猪鼻湖と比べたら波は荒いけど、外洋ではなく奥まった内湾なので浜名湖の主要部はゆったりしたもの。

 

<礫島と瀬戸の分岐、礫島>

 

 

残念な事に、某宗教団体の立派な建物に気圧されてしまう。こうしたモノが浜名湖湖畔の眺望が良い場所に立つってどーいう事なのか。その隣りにもポルシェやフェラーリの紋章が飾られたゴージャスなホテルがあった。これはまさか宗教団体の関連施設ではないだろう。いずれにせよ一般人には無縁な建物だ。

 

左折してほどなく礫島に最も接近した。決して美しい景勝地とは言えない。草木が雑然と生えている小さな島だ。まあ、こうして浜名湖の波に削られる事もなく小さな島が存在する事で、ダイダラボッチが小石を投げた逸話が残っているのが面白いのでそれでいい。ダイダラボッチの事は弊ブログ「湖畔を辿って三ヶ日から気賀へ①(猪鼻湖と礫島に惹かれて)」でも引用したが、改めて引用する。

 

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ダイダラボッチの足跡で犬に背を向けた状態でなんとも落ち着かなかった。そもそもダイダラボッチって、聞いた事あるようなないようなだけど誰? 案内板によるとこう書かれていた。

「琵琶湖を掘った土を運んで富士山を造った人。尉ケ峰に腰を掛けて弁当を食べたとき、ご飯の中に入っていた小石を浜名湖に捨てたら礫(つぶて)島ができた。腰を掛けた尉ケ峰は少し低くなってしまった」

おー、なかなか壮大な物語だ。確か石巻山(湖西連峰)の登山道にもダイダラボッチの足跡があったけど、そこは岩の窪みをそう表現していた。大きさが全然違うじゃないか。

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※出典:「姫街道で引佐郡を東へ②(気賀宿へ)」ブログ

 

さて、礫島から引き返して瀬戸に向かう。浜名湖遊覧船のりばはコンテナを組み合わせたものでユニーク。生憎、蔓延防止措置のため、遊覧船は休止していた。でも瀬戸の沿岸はヤケに閑散としていた。私の子供の頃の記憶ではここに大きなサービスエリアがあって休憩したと思うのだが、そんな朧げな記憶の面影はサラサラ感じられなかった。ただ、大きな更地が残っていた事がかつて商業施設だったんじゃないか、その証左なのかも知れない。

 

<コンテナ利用した遊覧船のりば、瀬戸大橋>

 

 

ここで思わぬ幸運に巡り合う。瀬戸大橋の袂でランチ650円の貼り紙を見つけたのだ。民宿風の建物「元禄館」の玄関先でランチにありつけるのだ。いつもはヤマ登りばかりなのでランチ・スポットとは縁遠い。こうした自転車専用の舗装道路を歩いているとこうしたメリットもあるのか。しかも、刺身とおでんと小鉢でどれも美味しかった。しかもみそ汁はゴボウや豚肉など具たくさん。もし浜松駅前だったら1000円くらい払う事になりそうなお宝ランチだった。

 

<元禄館でランチ(2)>