「映画『プラン9・フロム・アウタースペース』は見るべきか?」 | 演技を楽しむ つれづれなるまま 平田 慎司のブログ

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劇団営業二課を主宰し、演出と脚本を担当。また、トレーナーとして、演技レッスンも行っています。マンツーマンを基本に、生徒は10歳から70代までいます。映画脚本も手がけています。

今日ご紹介するのは、知る人ぞ知るカルトsf映画「プラン9・フロム・アウタースペース」です。

(紹介していいのいか、悩む…)

映画「プラン9・フロム・アウタースペース」は1959年に制作されました。

この作品、買い手がつかず、劇場公開はされていません。

テレビ局に安く買い叩かれ、アメリカの深夜に繰り返し放送され、話題になった

正真正銘のカルトsf映画です。

 

上映時間は79分。

監督・脚本・制作はエド・ウッド。

エド・ウッドは史上最低の映画監督と言われています。

(ご存知の向きも多いと存じます)

 

しかし、凄い人もほんの少しの時間ですが、出演しています。

「魔人ドラキュラ」のベラ・ルゴシ。

そして、この作品がベラ・ルゴシの遺作になりました。

(クランクイン後に亡くなったことから、ほとんどのシーンは過去のカットを使用)

 

 

 

では、sf映画「プラン9・フロム・アウタースペース」のあらすじです。

 

 

 

 

物語はナレーターであるクリズウェルの予言から始まる。

クリズウェルは未来への注意を喚起した後、「あの運命の日に何が起こったか」を語り出す

 

地球との友好関係を望む宇宙からの使者は、UFOに乗ってアメリカ各地の上空に出現。
宇宙人はアメリカへ向け無線で和平的なメッセージを送るが、コンピューターによる言語解析が間に合わず、危険を感じたアメリカ軍はUFOを攻撃。

地球との友好を諦めた宇宙人は、墓地に眠る死体に電磁装置を埋め込み蘇らせ、人間を襲わせるプラン9(第9計画を実行に移すことにする

ハリウッドの墓所に埋葬されていた夫妻が宇宙人の手先として蘇り、人々を襲い始める。
UFO攻撃を指揮したアメリカ軍のエドワード大佐は現地の警察官や、円盤を最初に目撃した旅客機パイロットと協力体制をとりながら、着陸していた宇宙人の円盤へと迫

円盤内に潜入した人間たちと宇宙人たちと凄まじい?バトルが始まる。

火の手に包まれる円盤。

宇宙人のプラン9は失敗に終わった…。

 

 

 

Sf映画「プラン9・フロム・アウタースペース」はカルト?

1959年に日本で公開された映画と言えば、日本作品では「私は貝になりたい」や「宇宙大戦争」、アメリカ作品では、「十二人の怒れる男」、「リオ・ブラボー」、「北北西に進路を取れ」ポーランド作品「灰とダイアモンド」などなど、今見ても色褪せない傑作が数多くありました。

 

そういった名作映画と比べると、エド・ウッドのsf映画「プラン9・フロム・アウタースペース」は色々な意味で格段に落ちます。

 

たとえば

(言い尽くされていますが)

 

最初の大上段に構えたクリズウェルのナレーションでハードルを上げて、登場する円盤のチープな造型。

(飛び方もふらついているぞ)

UFOの司令室はカーテンで仕切られている。

(もう少し、セットを考えよう)

地球人(主にアメリカ人)を懲らしめようと蘇らせた死人は3人。

(全然、怖くない。動きも鈍い。なにより少ない)

 

宇宙人と地球人の殴り合い。

(宇宙人は電気銃、地球人は拳銃持ってるじゃん。使え!)

あっという間に円盤内は火の海。

(化繊が多いのかな?消化する気もないし)

 

筆者が一番気になる点はクライマックスがないこと。

全編ダラダラ。

胸躍るシーン、

ハラハラするシーン、

感動するシーン

ひとつもありません。

オールナッシング!

 

どうしようもない映画。

そういった意味ではカルト映画かもしれません。

 

 

 

Sf映画「プラン9・フロム・アウタースペース」は見るべきカルト映画なのか?

 

 

多くのネット文献でsfカルト映画「プラン9・フロム・アウタースペース」が言われている通り、音楽は悪くありません。

 

筆者が付け加えるとしたら、カメラワークです。

まったくセンスがない監督は”寄り”(カメラが被写体にグッと近づく)の絵が多くなります。

Sf映画「プラン9.フロム・アウタースペース」はカメラを引いて撮っているシーンが多い。

(多すぎる。自信の表れ?)

 

でもなー、

引きと寄りを上手く組み合わたら、もう少しマシだったかも。

(いや、エド・ウッドは出来ない監督だったんだろうなぁ)

 

自分至上最高作品と自負した作品は売れませんでした。

エド・ウッドは貧困のまま、名声も得られずその生涯を閉じました。

しかし、こうしてマニアの間でカルト映画として取り上げられ、自分の一生がティム・バートンのようなセンスある一流監督によって映画になるとは想像もしなかったに違いありません。

 

”虎は死んで皮を残す。

映画監督は死んでフィルムを残す。

ある意味、この「プラン9・フロム・アウタースペース」はsfカルト映画として一見の価値はあるかも。ないかも。

判断は皆様それぞれに委ねます。