神様について
~『神との対話(1) 』-第1章(P49~P52)より~
ポイント:
(1)はじめは、神様しか存在していなかった。
(2)神様は、自分のすばらしさを知るために、
自分を分割することで、比較対象を創り出した。
(3)私たち人間を含め、存在する全ては、
分割された神様の一部である
(→ 結局、今でも神様しか存在していない)。
■1. 「はじめ」についての引用
・まずはじめにあったのは、
「存在のすべて」、それだけだった。
ほかには何もなかった。(P49)
■2. 「存在のすべて」についての引用
・「存在のすべて」は、自分自身が何かを知ることはできない。
なぜなら「存在のすべて」・・・あるのはそれだけで、
ほかには何もないから。(P49)
・自らを体験したいと激しく望んだ。
すばらしいというのは、どんな感じなのか、知りたがった。
だが、それは不可能だった。なぜなら、
「すばらしい」という言葉そのものが相対的だったから。
「存在のすべて」は、
すばらしくないとはどういうことかわからなければ、
すばらしいとはどんなものかを知ることができなかった。(P50)
■3. 「存在のすべて」の体験方法についての引用
・そこでいみじくも考えた。
一部は全体よりも小さいはずだ。
それなら自分を分割すれば、それぞれの部分は
全体よりも小さいのだから、残る全体を振り返って、
すばらしさを知ることができるだろう。(P51)
・そこで、「存在のすべて」は自分を分割した。
栄光の一瞬に、
「これであるもの」と、「あれであるもの」とになった。
はじめて、「これ」と「あれ」が別れた。
しかも、どちらも同時に存在している。
また、「どちらでもないもの」も存在している。(P51)
・「ここ」にあるものと「あそこ」にあるものを
創り出した神は、自らを知ることが可能になった。(P52)
□ 私の理解
・今、手元にある『聖書』をひもとくと、
創世記の第1章 第1節に、
「初めに、神が天と地を創造した。」
と書かれています。
仮に、この部分を『神との対話』風に書くと、
「初めに、神が自分を分割して、天と地を創造した。」
という感じになるのかな? と思います。
さらに創世記を読み進めますと、6日目に
「さあ人を造ろう。(第1章 第26節)」
という声と共に、神様が人間を造られる様子が書かれています。
この部分も同様に、『神との対話』の内容通りに解釈しますと、
「さあ私自身を分割して、人を造ろう。」
という表現になるのかな? と思います。
・『神との対話』から考えますと、
存在する全てが、神様の一部であり、
この文章を書いている私も、読んで下さっている方々も、
お互いに神様の一部、と言えるように思われます。
最後までお読み下さり、ありがとうございます。
※『聖書』の引用文は、
『聖書 』、日本聖書刊行会、P1 と P2
から引用させて頂きました。
(注:私は特定の信仰を持っておりません。聖書は友人がくれたものです)
『神との対話』からの引用文は、
『神との対話(1) 』、ニール・ドナルド・ウォルシュ 著、
吉田利子 訳、サンマーク文庫
から引用させて頂きました。
~『神との対話(1) 』-第1章(P49~P52)より~
ポイント:
(1)はじめは、神様しか存在していなかった。
(2)神様は、自分のすばらしさを知るために、
自分を分割することで、比較対象を創り出した。
(3)私たち人間を含め、存在する全ては、
分割された神様の一部である
(→ 結局、今でも神様しか存在していない)。
■1. 「はじめ」についての引用
・まずはじめにあったのは、
「存在のすべて」、それだけだった。
ほかには何もなかった。(P49)
■2. 「存在のすべて」についての引用
・「存在のすべて」は、自分自身が何かを知ることはできない。
なぜなら「存在のすべて」・・・あるのはそれだけで、
ほかには何もないから。(P49)
・自らを体験したいと激しく望んだ。
すばらしいというのは、どんな感じなのか、知りたがった。
だが、それは不可能だった。なぜなら、
「すばらしい」という言葉そのものが相対的だったから。
「存在のすべて」は、
すばらしくないとはどういうことかわからなければ、
すばらしいとはどんなものかを知ることができなかった。(P50)
■3. 「存在のすべて」の体験方法についての引用
・そこでいみじくも考えた。
一部は全体よりも小さいはずだ。
それなら自分を分割すれば、それぞれの部分は
全体よりも小さいのだから、残る全体を振り返って、
すばらしさを知ることができるだろう。(P51)
・そこで、「存在のすべて」は自分を分割した。
栄光の一瞬に、
「これであるもの」と、「あれであるもの」とになった。
はじめて、「これ」と「あれ」が別れた。
しかも、どちらも同時に存在している。
また、「どちらでもないもの」も存在している。(P51)
・「ここ」にあるものと「あそこ」にあるものを
創り出した神は、自らを知ることが可能になった。(P52)
□ 私の理解
・今、手元にある『聖書』をひもとくと、
創世記の第1章 第1節に、
「初めに、神が天と地を創造した。」
と書かれています。
仮に、この部分を『神との対話』風に書くと、
「初めに、神が自分を分割して、天と地を創造した。」
という感じになるのかな? と思います。
さらに創世記を読み進めますと、6日目に
「さあ人を造ろう。(第1章 第26節)」
という声と共に、神様が人間を造られる様子が書かれています。
この部分も同様に、『神との対話』の内容通りに解釈しますと、
「さあ私自身を分割して、人を造ろう。」
という表現になるのかな? と思います。
・『神との対話』から考えますと、
存在する全てが、神様の一部であり、
この文章を書いている私も、読んで下さっている方々も、
お互いに神様の一部、と言えるように思われます。
最後までお読み下さり、ありがとうございます。
※『聖書』の引用文は、
『聖書 』、日本聖書刊行会、P1 と P2
から引用させて頂きました。
(注:私は特定の信仰を持っておりません。聖書は友人がくれたものです)
『神との対話』からの引用文は、
『神との対話(1) 』、ニール・ドナルド・ウォルシュ 著、
吉田利子 訳、サンマーク文庫
から引用させて頂きました。