神様について【2】
~『神との対話(1) 』-第2章(P107~P109)より

ポイント:
(1)神様は、あらゆるところに、あらゆる方法で存在する。
(2)神様は、冒瀆の中にも存在する。
(3)“悪”によって、人間は“善”を知る。


■1. 神様が姿を現す方法についての引用
・あなたは、神が姿を現す方法はひとつしかないと思っている。
 そういう考え方は、非常に危険だよ。
 そう考えていては、あらゆるところに神を見ることはできない。
 神の現れ方はひとつしかないとか、語り方はひとつしかない、
 神の在り方はひとつしかないと思っていると、
 毎日わたしを見ていても気づかないだろう。(P107)


■2. 冒瀆の中の神様についての引用
冒瀆と深淵のなかに神を見ることができない者は
 神の半面しかわからないのだ、と言われてきた。
 これは偉大な真理である。(P107)


■3. 神様が“悪”を愛する理由についての引用
・悪と言うが、それはあなたがたがそう呼ぶだけだ。
 だが、その悪だってわたしは愛する。
 悪と呼ぶものを通じて、あなたがたは善を知り、
 神の業(わざ)を行うことができるからだ。(P109)


□ 私の理解
1:日本には、古来、八百万の神、という表現があります。
  小林正観さんの本で読んだ記憶がありますが、
  日本人の総人口が、八百万人に達しない時代から、
  日本人は“八百万の神”という言葉を使っていたそうです。

  霊峰という表現は、神様が宿っている山、ということですし、
  御神木(ごしんぼく)は、一本の木に、神様を見ているわけです。

  「あらゆるところに神を見る」ということについては、
  日本人は、それを得意とするDNAを持っているような気がします。

2:私は、2001年9月11日の同時多発テロ事件の3週間後に、
  現場を訪れたことがあります。
  後にも先にも、あの時ほど、絶望に支配されたことはありません。

  ただ、あの事件によって、多くの人々が
  “報復は、真の解決手段にはなり得ない”
  “暴力は、真の解決手段にはなり得ない”
  ということを、心の底から学んだはずだと思っています。

  その学びを、日常生活の中で実践している人も多いでしょうし、
  そう考えますと、あの事件でさえ、
  神様は愛しておられる・・・のでしょうね
  (私個人としては、あの事件を“愛する”とは、
   とても言えませんが・・・)。

 最後までお読み下さり、ありがとうございます。

※上記の出典は全て、
  『神との対話(1) 』、
ニール・ドナルド・ウォルシュ 著、
    
吉田利子 訳、サンマーク文庫
 
から引用させて頂きました。