(なつくさや まごがはしゃとは やぶれぶし)
養源院は淀殿が、父浅井長政、祖父浅井久政の二十一回忌の供養の為に
長政の院号、養源院を寺名にして創建しました。
淀殿ですから秀吉の方広寺の側にあるわけですネ。
その後焼失しますが、徳川秀忠正室崇源院(淀殿妹の江)により再建されました。
その際、伏見城の殿舎が移築され、血天井で知られる寺院です。
判読し難い扁額です。
三つの弁財天の名がありますが、右は「金鍔弁財天」?
金鍔には愛を一身に受ける意味があります。
水商売の方がお参りされるのは、この弁天さんかな?
福財をもたらしてくれる弁財天ですので、皆さん本気です。
現在は浄土真宗遣迎院派ですが、
昭和20年までは、天台宗の寺院でした。
毘沙門天堂、こちらも財宝の神ですね。
奉納提灯には毘沙門天の神使い、ムカデが描かれています。
百足(ムカデ)は、お足が多いので ‥‥ お金が多いです。
よくある「百足屋」という屋号の店は、
毘沙門天にあやかっているんですネ。
下の石仏は、阿弥陀三尊のようです。
養源院は、ドライバーも有料ですので、
車で待っている身でしたので中へは入ってません。
樹齢400年のヤマモモの木です。
白鷹龍神・赤桃明神、
白玉明神という稲荷神が祀られています。(ここでも富ですネ!)
崇源院(江)は、後水尾天皇中宮和子の母であり、
娘の千姫は、豊臣秀頼に嫁いでいますので、
養源院では菊の紋、桐の紋、葵の紋が見られます。
戦国の世を戦いに明け暮れ、28才でこの世を去った
浅井長政の子孫達のドラマチックな人生を、
長政自身も予想もしなかったことでしょうね。