詩仙堂 仲春 | cvq243のブログ

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            (はるみちて たけおとぬるむ そうずかな)

 

 

                

 

   曹洞宗永平寺別格本山 六六山丈山寺 通称「詩仙堂」です。

 

   石川丈山が、寛永18年(1641年)に造り、

 

   90歳まで31年間過ごした「凹凸窠」(おおとつか)の場所です。

 

   石川丈山の諱は、「重之」、号は丈山、大拙、烏麟子、東溪、東溪叟、

 

   山木山材、凹凸、六六山人、薮里翁、三足老人、四明山人。

 

   六六山人は、詩仙の間の36仙から、

 

   6×6=36、仙を山人としています。

 

   (東山36峰は、頼山陽が後に名付けてますので六六山人とは別ですネ)

 

 

  老梅関              

 

   梅関の柱聯「梅関の上方に倚り  竹径初地に従る(よる)」

 

   (竹林の中の小道は、生まれて初めて踏んだ大地と地続きですよ、

 

   赤ん坊が初めて立った場所、そのときのこころに帰った人の訪れを、

 

   梅関の奥で、脇息に寄り掛かって待っています。) 

 

 

  「関」   

 

 

 

        「既飽」(既に満ち足りている)   

 

   額の上に槍が架けてあります。

 

   長身の丈山は、槍が得意でした。

 

 

    

 

   「六勿銘」(ろっこつめい)は、家人への申し渡しです。

 

   勿妄丙王(へいおうをみだりにするなかれ) 火の用心

 

   勿忘棍賊(こんぞくをわするなかれ) 防犯

 

   勿厭斁興(しんこうをいとうなかれ) 早起き

 

   勿嫌糲食(れいしょくをきらうなかれ) 粗食

 

   勿変倹勤(けんきんをかえるなかれ) 倹約・勤勉

 

   勿媠払拭(ふっしょくをおこたるなかれ) 掃除

 

 

          玄関の額「蜂要」     

 

   六尺一寸と長身な丈山が、腰を曲げて入りました。

 

   蜂が穴に入る姿(にじり口) ‥‥   我を折る、我を捨てる意味です。

 

 

               

 

 

    軒の竹製の樋は、丈山の発明です    

 

 

    「福禄寿」     

 

 

 

   「凹凸窠」   

 

 

              

 

 

   「僧都詩并序」   

 

   詩は丈山、書は富岡鉄斎です。

 

 

                 

 

   詩仙の間は、丈山59歳の時、寛永18年(1641年)中国の詩人

 

   36人を林羅山らと選定しました。

 

   肖像は狩野探幽、書は丈山による隷書です。

 

   現在のものは、小早川秋声画伯の模写です。

 

   天井は、角倉素庵の提供した東南アジアのアンペラです。

 

 

       伏見城の左甚五郎作の欄間彫刻   

 

 

    「至楽巣」(しらくそう)読書室です    

 

 

               

 

   

    「醉花惺月」    

 

 

                       

 

 

              

 

 

              

 

   

                      

 

 

           嘯月楼   

 

   興至ればこの楼に上り、月に向かって郎吟する。

 

   丈山は琴も嗜みました。

 

 

     百花塢(ひゃっかのう)  

 

 

  僧都             

 

   陰で徳を積む「玄賓僧都」から、名付けました。

 

   添水とも言いますが、鹿威しは

 

   昭和32年の苔寺から浸透する呼び名です。    

 

 

      竹に打たれて凹んだ石です  

 

 

                

 

 

              

 

   「残月軒」には、壁に山型と月が意匠されています。

 

 

                 

 

   石川丈山は、三河武士で18歳の時の関ヶ原で活躍し、

 

   大阪冬の陣、夏の陣でも勇名を馳せますが、

 

   夏の陣での抜け駆けが咎められ、蟄居の身となり

 

   文雅の道に進みます。

 

   41歳の時に安芸の浅野に二千石で迎えられ、

 

   58歳で京に移り住みます。

 

   一乗寺の地を選んだのは、

 

   孔子の「詩經」に出てくる、竹が茂り、松が茂っている所であった事。

 

   京に近く、四季の環境が良く、水の便も良く、

 

   大阪城が見える眺望が気に入ったのでしょう。

   

 

 

                       落椿