子供は子供として完成している
のであって、
大人の模型ではない。
(詩人・劇作家 寺山修司)
▼ブログ人のコメント
子供の頃、思いましたネ~。
大人って、方便をよく言うな~って。
規則だなんだって、ウルセエな~って。
自分はどうなんだよ。っていつもネ。
ガキの仲間では、妙にこましゃくれたの
がいてネ~。
テメエ、大人のコピーかよ!
なんて。
こういうのって、イジメたくなってネ~。
頭にくるもんでした。
討論なんかでも、
子供扱いってのが
これが頭にくるんで、
何か自分で考えてるのかよ~。
そう思ってましたネ~。
大人になったら分かるヨ!
なんて言われた日には、
なんだコイツ!
あったまくるな~って思ってネ~。
偽物って感じでネ~。
何が面白くて生きてんだろう
なんていつも感じましたけれど。
教師なんか特に反目の対象でネ~。
成績のいい者には猫なで声しゃがって。
劣等生 → 優等生 → 劣等生
なんて変歴あって、学校教育なんて、
完全に馬鹿らしくなりましたネ~。
優等生の時の猫なで声、劣等生のとき
の見下した顔。
偏差値教育受けて、
半端な成績で教師になって
安定だなんて考えて、
教育なんてされた日には
たまったもんじゃあねえよ。
受験やるならトコトンやってから、生徒
に物いいな~。なんて。
大人の価値感ぶつけんじゃあねえヨ。
生きてる人間に変わりねえだろうが。
思い出しますヨ。
凄く、反発してましたネ~。
大人によいところ感じなかったですネ~。
何か、
本音で生きてるバイタリティー
とか
使命感ってのを回りの大人に。
感じたのは、消費者。
結局はお金ばっかり。これ中心。
強烈だったんですネ~。
それ目当てに生きてるなら正直に言えば
いいじゃあネエカ。
大人を見せてくれたらそれでいんだヨ。
こっちで、勝手に判断するから。
それを、飾る、偽るから頭にくるってネ~。
それが、いまやれきとした大人。
でも、子供のころの反発心。
消えませんヨ。
もっと強くなってきた。
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