こんばんは
しらこまです
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この記事の内容の一部は動画化もしています。
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前記事の続き。
唐津市歴史民俗資料館を出た後は呼子方面に行って、名護屋城に来た
発音は名古屋城と完全に同じだから名護屋城は影が薄めだけど、実はこっちのお城も由来はすごい

まずは博物館の方を見てから

佐賀県立名護屋城博物館は入館無料だった
もともと朝鮮半島に近かったから、いろいろ交流もあったらしい

それはもう先史時代からで、時にも類似点があったそう

そのあとも白村江の戦いとかも福岡とか佐賀あたりから出兵してたのかね

元寇(文永・弘安の役)のときもやっぱり九州北部あたりに襲来してたみたい

そのあとは名護屋城時代に

海の近くまで陣屋などがたくさん築かれていたらしい
動画の方にも書いたけど、
名護屋城の規模は大坂城に次いで2番目の大きさになっていて、
名古屋城とその周囲には10万人以上の人が一時的に住んでたらしい

少し前まで群雄割拠の時代だったのに、
120以上もの大名を呼び集めたっていうんだから、
やっぱり天下統一ってすごいなぁ…
名護屋城の天守閣付近の模型

五層七階建て
この名護屋城博物館には黄金の茶室の展示もある

名護屋城があった当時、豊臣秀吉は黄金の茶室を京や大阪で使ってたそうだけど、
この黄金の茶室、実は移動可能なものになってて、名護屋にもわざわざ持ってこさせたらしい
九州じゃ近畿とは距離が全然違うのにすごいな…
黄金の茶室は建物の結構な範囲にその名の通り金色になってて、
畳の表面や障子は猩々緋色という濃い赤色で出来てたらしい

色のイメージは、動画の方でも字幕に使っていたこんな感じ

今この地で再現された黄金の茶室がこちら

ちょっと写真だと分かり辛いけど、金と猩々緋色の組み合わせはすごかった
茶道具なんかも金色になってた

名護屋城は朝鮮出兵(文禄・慶長の役 / 壬申・丁酉倭乱)のときの
日本側の出兵拠点になったわけだけど、そこから挑戦に行くときに使っていたであろう当時の船なんかも展示されてた
まずは日本側の安宅船

船にも城郭みたいな瓦屋根乗っけてたんだね…
確かに矢は簡単にはじくし、そういう面でよかったのかもだけど、結構重いのでは…
朝鮮側は亀船

武装的にはこっちの方が強く見える
船の上側も棘的なもので覆われてるし
武器に注目してみると、日本側は直近まで全国的な戦をしてたから
結構強いけど、朝鮮側は落ち着いてたから苦戦を強いられたそう


名護屋城と周囲の陣跡

やっぱりこんだけ大名が集結してるのはすごい
この戦争は結局豊臣秀吉の死で終わって、
講和なんかもそこまでしてたか分からない感じになってて、
日本に捕虜としてきた朝鮮人はそのまま日本に住むことになったそう
慶長の役から約10年が経った1607年、さらに10年後の1617年に朝鮮に帰ってきて
ていう文書を発行してるらしいけど、数千人しか帰らなかったらしい
総数が分からないけど…


さて、博物館を見た後は名護屋城跡に行ってみた

名護屋城跡並びに陣跡という名前で特別史跡指定されてる
名護屋城跡の石碑と石垣

5分ちょっと歩いて天守跡に着いた

海はやっぱり近い

でも、その海までも諸大名の陣跡がたぶんぎっしりあったんだと思う

このあと行く、風の見える丘公園も見えた

後は呼子大橋

という感じで名護屋城はおしまい。
次に続く。
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