こんにちは、なるみです。
今日のタイトルの○に入るのは
なんだと思いますか。
現時点でわたしは
お金=自分、だと仮定しています。
それを踏まえたうえで。
わたしはずっと、
お金と仲よくしていなかった。
お金のリテラシーが皆無で
お金の話はタブーの家庭に育った。
つまりお金の教育を
受けていないともいえる。
その状態で、20歳で結婚し
いきなり家計を任された。
とても怖かった、お金とはなにかが
わかっていなかったから。
夫婦ともに若かったのと
すぐにムスコが生まれたため
薄給でやりくりするなか
夫は我関せず。
いつしかわたしは
自分が我慢すればいい、
という思考になっていた。
時は流れて数十年経つが
その思考が今も生かされていることに
つい先日、ふと気づいた。
それは、家族といるとき
支払いを誰がするか問題。
わたしはずっと
すすんで自分が払ってきていた。
恐らく「お金がない」と
彼らの前で言ったことはない。
しかし本当は収支を考えず、
ムリをしてでも払ってきていた。
幸いなことに今まで
それで回ってきていたのだ。
なぜそこまでするのか考えたら
自分が我慢すればいい、という思考が
当たり前のように
働いてきていたのだと気づいた。
それだけでなく、自分が払うことで
承認欲求を満たしたかったのかもしれない。
しかし、それをするには
わたしは順番を間違っていた。
まず自分を整える。
自分のためにお金を遣う。
そこが抜け落ちたまま
家族に遣ったり、
高額講座につぎ込んでいた。
講座は自分のためじゃないの?と
思うかもしれないが
厳密に言うと
少し違う、と今は思っている。
自分の基本的な生活を
整えるのがいちばん最初で
そこが整ってから
外の知識を取り入れる。
整う、とは
収支をきちんと把握する、
そしてその状態を
抑揚なく受け入れる、という意味。
つまり、いくら入ってきて
いくら遣って、いくら減ったかを
冷静にみる。
今までこれを
出来ていなかったのだと思う。
そこで、先日から始めたことは
収支をみる、ということ。
そんなの当たり前、
と思われるかもしれないが
わたしはそこを
長らく疎かにしていた。
まだ劇的な変化はないが
少しだけ変わったのは
目を開いて、「これに遣う」と
実感を持って遣えるようになったこと。
また、気分やノリでなく
本当に必要か自分に聞いて
丁寧に遣うようになったこと。
で、冒頭のハナシ。
「お金=自分」だとしたら
お金を丁寧に扱うことは
自分を丁寧に扱うことと
同じなのではないか、という仮説。
これもしばらく続けてみます。
ポテトフライとごぼうフライ
豚しゃぶにおろしと文旦の皮のはちみつ漬けを載せたサラダ
ロメインレタスが好き
塩麹漬けの豚ロースソテーにエリンギ、ナス、ジャガイモ添え
小松菜とモロッコインゲンなどのサラダ








