![]() | さや侍 [DVD] 4,104円 Amazon |
大日本人は過去に見た記憶があるのですが、
他の松本映画は未鑑賞。
”松本の他作品とは毛色が違う”と、何処かの誰かが言っていて、
一番気になっていた「さや侍」を借りてきました。
ストーリーは簡単です。
脱藩して捉えられた侍、野見勘十郎が、
笑顔を失ってしまった藩の若君を30日以内に笑わせなくてはならない「30日の業」という刑を課せられるというもの。
30日以内に笑わせなければ死罪。
この映画、何を目的に話が進んでいるかが全く分からなかったんですよね。
観客を笑わせたいのか。
野見勘十郎の生き様を描きたいのか、
娘との愛の結びつきを見せたいのか、
若君の心が戻ってくるさまなのか、
それとも、時代の不条理さを伝えたいのか。
でも何となく、話の展開からして、
観客がカタルシスを得るために進んでるんだろうなぁと思うんですよ。
となると、若君が最後の最後で笑うという展開。
しかし、そこに至るまでの若君の心の苦難も説明がされてないし、
野見の必死さも伝わらない。
(そもそも捕らえられて、面白いことをしろ、って理不尽さに納得のできる説明も出来ないような気もしますが)
だからまぁ、どんな展開になっても、
話として弱いなぁと思ってたんです。
そしたら最後にきて野見の切腹。
え?え? と不安になりました。
そこからどう話を持ち直すのか。
切腹が侍の美徳なら、
”笑い”に覚悟を決めた娘の気持ちはどうなる?
そもそも親を失って、身寄り無くして放り出される子供は…という心配も。
誰が野見の切腹を望んでいたでしょう。
で、娘と若君が野見の墓で走り回ってエンドロールです。
もう、最高に意味不明でした。
失笑が零れてしまうほどに。。
この映画を見た人は失笑するという松本人志の狙いがあったなら、僕にとっては大成功です。
というわけで総合は5点くらいですが、
30日の業を見てて思ったのが、
笑いって種類分け出来るって、以前から思ってたんですけど、
特にこれを見てて感じたのが、
「安心を得るための笑い」
と、
「安心を得たときの笑い」
に分けられるのでは?と。
「安心を得るための笑い」
は、例えば、笑ってゴマかす、とか
何か危機的な状況があった時に、笑うことで平静を保つためのもの。
目上の人と話してジョークを言ったりすることで場を和ませるとか、
そういった笑いですね。
で、「安心を得たときの笑い」
ってのがホッとした時に自然と出る笑い。
例えば映画内だと、野見が畳を破りカステラを運ぶシーンがあるんですが、
あの必死の野見に途中経過の笑いは生まれないんですね。
届けおおせて、ようやく観衆が笑う。
感動の笑い、とも言うべきでしょうか。
笑点の大喜利とか、謎かけもこれですかね。
何らかのギャップに説明がつく、合点がいくことで安心を得て、笑いが起きるメカニズム。
スポーツで応援したチームが勝ったときとかもそう。
笑いと楽しみは共通してるようで、非なるところもあると思うんですよ。
転んだ人を笑う、
タライが頭に落ちてきて笑う、
オナラした人を笑う、
そこには、楽しみというよりも、
笑うことでその恥や不条理を無理やり正当化させるって意味があると思うんですね。
これが「安心を得るための笑い」
その2つの笑いの違いが分かると、
30日の業 も、最初と後の方で、
笑いの質が変わってきてることに気付くはずです。
しかし、松本人志の笑いはどちらかというと前者的で、
彼の笑いのスタンスと映画の展開は矛盾してるような気がして、
うーむ、なんですけれども。
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