深谷駅北口

 

渋沢栄一像

 

 明治以降の囲碁界の有力支援者であった渋沢栄一の故郷、深谷市にあるJR高崎線の深谷駅は、レンガを用いた東京駅そっくりな駅舎で知られている。
 耐火性に優れたレンガ造の建物は明治初期には需要も少なく、レンガは国内では当初、瓦職人や大工・左官職人の手によって生産および建築が行われていた。しかし、明治4年(1872)に発生した銀座や丸の内一帯を焼き尽くす大火をきっかけに銀座煉瓦街が形成されると、レンガの需要が逼迫。そこで渋沢栄一が目を付けたのが故郷の深谷。良質な粘土が採れ、古くから瓦の生産地として知られていた深谷に、明治20年(1887)に日本初の機械式レンガ工場「日本煉瓦製造会社」を設立する。
 三菱一号館から始まる丸の内レンガ建築群の仕上げとして、大正3年(1914)に開業した東京駅には約927万個のレンガが使用されているが、そのうち約833万個が日本煉瓦製造が生産したレンガだという。
 深谷駅の駅舎は平成8年(1996)に改築されているが、この時、レンガの街・深谷のシンボルとして東京駅を模したデザインとなった。なお、レンガはタイル貼りだそうだ。
 駅北口前にある青淵広場には和服姿の渋沢栄一像が駅舎に向かって座っている。

 

【囲碁史人名録】 渋沢栄一

【住所】