倭の五王 | 囲碁史人名録

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棋士や愛好家など、囲碁の歴史に関わる人物を紹介します。

日本へいつ囲碁が伝来したのかは囲碁史において大きなテーマのひとつであり、これまでも吉備真備伝説など様々な説を紹介してきた。
 近年の研究では、中国南北朝時代の南朝宋の正史『宋書』に登場する「倭の五王」の時代(五世紀)に伝来したという説も有力な説の一つとしてあげられている。

【倭の五王の概要】
 『宋書』倭国伝によると、宋代(420-479)に、倭国の5代の王、讃・珍・済・興・武が約一世紀にわたり南朝へ使節を派遣し朝貢を行ったとある。邪馬台国以来、いわゆる空白の150年を経て登場した中国での日本の記録である。
 当時の日本はヤマト王権の時代であり、朝貢の目的は中国の先進的な文明を取り入れることはもちろん、皇帝の威光を借りることによって国内の権力基盤を安定させることにあったと考えられている。また、当時日本は朝鮮半島への勢力拡大をはかっていて、北朝へ朝貢する高句麗に対抗するため、南朝へ朝貢したともいわれている。
 なお、倭の五王が使節を派遣した時期は421年に宋へ讃が派遣したのが始まりとされるが、413年に東晋へ倭国から使節団が派遣されていて、これも讃によるものという説もある。その後、斉、続いて梁の時代503年まで朝貢は続いている。
 倭の五王が誰であるかについては諸説あるが、讃は応神天皇あるいは仁徳天皇か履中天皇、珍は反正天皇あるいは仁徳天皇、済は允恭天皇、興は安康天皇、武は雄略天皇と考えられている。

【囲碁伝来説について】
 「碁」の文字について日本では「ゴ」と発音しているが、現在の中国では「キ」と発音するらしい。これは中国では地域によって発音が異なるためで、「ゴ」は江南地域で使われた呉音、「キ」は華北一帯で使用されていた漢音の発音である。しかし、南北朝時代を経て中国を統一した隋は言語について漢音を標準的な発音として統一、その後の王朝にも引き継がれていく。もし、吉備真備ら遣唐使により囲碁が伝来したとするなら、唐の都は華北地域にあり、唐はすでに漢音へ統一されていたことから「碁」は「キ」として伝えられたはずである。それは遣隋使の時代でも同様である。また、隋の歴史書「隋書」には日本では囲碁や双六が好まれているという記述があることから、この時代にはすでに伝わっていたと考えられる。したがって、日本へ囲碁が伝えられたのは発音が統一される前の南北朝時代で、南朝からという説が有力となっているのだ。
 そして、それが倭の五王の時代であり、南朝へ使節団を派遣していることから、その際に持ち帰られたという説が唱えられるようになった。
 特に南朝宋の第3代皇帝・文帝は囲碁好きで知られ、当時囲碁は大いに普及していたことから使節団が囲碁を目にする機会は十分あったであろう。
 しかし、日中双方の史書など正規の記録には囲碁伝来に関する記述はなく、この説も推測にすぎない。
 また、日本と友好関係にあり仏教などを日本へ伝えたとされる朝鮮半島の百済もまた南朝へ朝貢を行い、南朝の文化が流入していたと考えられることから、囲碁は南朝から百済経由で日本へ伝来したというのも有力な説となっている。

 なお、「碁」の字についての詳しい解説は、note『「碁」の字について』(有料)でも紹介しているので参考にしていただきたい。

 

【note】(有料) 「碁」の字について』