棋待詔 滑能 | 囲碁史人名録

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 「棋待詔」は唐朝第9代皇帝玄宗によって制定された囲碁をもって皇帝に仕える官人である。

 唐末期の棋待詔、滑能は稀世の名人と言われた人物だが、次のような伝承が残されている。
 滑能がすでに待詔の職にあったある日、張と名乗る十四歳の少年が訪ねてきて対局を求めてきた。
 少年は先番を乞うて対局となったが、滑能は大いに苦心して思考を重ね着手すると、少年がすぐに打ち返してくるという状況が続く。局面も技量も自分が劣っていると感じた滑能は、終局前に職務にかこつけてその場を去ってしまった。名人といわれた滑能が少年にかなわなかったことになるが、この少年は「天帝」の化身で滑能の力量を見るために現れたといわれている。
 これは滑能の非凡な才能を示す逸話であるが、「天帝」は中国における天上の最高神であり多くの伝説に登場している。囲碁では最強の名人と対局したり、対局により開眼して名人となったという話が残されている。日本では江戸時代の名人十二世本因坊丈和がその例である。
 この逸話は唐が滅亡する契機となった「黄巣の大乱」により洛陽が一時的に陥落し、僖宗皇帝が都落ちし成都へ滞在していた期間(880~885)の出来事ではないかと言われている。