唐 第二一代皇帝 僖宗 | 囲碁史人名録

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棋士や愛好家など、囲碁の歴史に関わる人物を紹介します。

 唐朝末期の第21代皇帝僖宗には囲碁にまつわる伝承がある。

【僖宗の概要】
 僖宗は第20代皇帝・懿宗の五男として生まれ、873年に父の崩御にともない12歳で即位する。
 しかし、政治の実権は宦官田令孜が握り、僖宗自身は遊蕩の生活にあけくれていたという。
 政治の腐敗と天災が重なり不満が高まる中、王仙芝の乱、黄巣の乱をはじめ,農民の反乱が各地で起こり、880年に帝は長安を逃れ蜀の地域を転々としていく。
 そして、地方の軍閥の力を借りて反乱軍を鎮圧し、885年にようやく長安へ戻るが、この頃には地方の力が増し、唐は長安周辺のみ統治する地方政権となっていた。
 さらに同年、田令孜と地方の節度使の対立から長安が戦禍に巻き込まれ、僖宗は再び都を脱出。888年2月に長安に帰還したが翌月に崩御している。国力を失った唐が滅亡するのはそれから約20年後のことである。

【囲碁の逸話】
 僖宗がまだ囲碁を知らなかった頃、ある日、夢に見知らぬ人が現れ碁経三巻を燃やしてその灰を帝に呑ませたという。
 目覚めてから待詔を召しだし、碁を打つところを見ていると、一手一手が夢の中の人の意の通りに打っていったというのである。
 このように夢に出てくる人の教えにより何かを悟るというような話は意外と多い。この話の解釈は、帝が待詔の碁の内容が分かるほどの実力になったとする見方と、名人の実力が夢の中の超常的な実力と同じレベルであったという二通りあるとされている。なお、この頃に待詔であったのは稀世の名人滑能と考えられている。