唐二代皇帝太宗 | 囲碁史人名録

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棋士や愛好家など、囲碁の歴史に関わる人物を紹介します。

太宗

 

 中国の唐の時代は高名な打ち手が現れ囲碁が大いに発展した時代である。
 今回は、二代皇帝太宗の囲碁に関する逸話を紹介する。

【唐王朝の成立】
 長く続いた中国の南北時代は北朝・北周の外戚である楊堅が北周、次いで南朝の陳を滅ぼし終焉を迎える。
 五八九年に楊堅(文帝)が皇帝となり隋王朝が成立。文帝は学科試験により官吏を登用する科挙や律令制による中央集権体制の確立など斬新な政治改革を断行していく。日本も聖徳太子が小野妹子を遣隋使として派遣し新しい制度を取り入れていった。
 しかし、文帝は次男広(煬帝)によって暗殺され、即位した煬帝自身も度重なる高句麗への遠征や宮殿造営による人民の怨嗟と反乱により側近の手で殺害される。
 そして、わずか30年ほどで滅亡した隋に代わり煬帝の母方の従兄弟である李淵が唐王朝を興す。

【太宗の生涯】
 唐の二代皇帝太宗は、高祖李淵の次男で、本名は李世民という。
 隋末期の群雄割拠の時代に父と共に挙兵し長安を平定した李世民は、各武将の鎮圧にも中心的役割を果たしていく。
 唐が建国され李淵(高祖)が即位すると、長兄の李建成が皇太子となる。建成は武勇に優れる世民を恐れ側近の房玄齢と杜如晦を引き離すよう画策するが、それを察知した李世民のクーデターにより殺害される。(玄武門の変)
 これを受けて高祖李淵は直ちに李世民への譲位を了承して隠退。李世民は626年に即位して二代皇帝太宗となった。
 627年、元号を貞観と改元。太宗は房玄齢・杜如晦に加え、建成の配下であった魏徴を新しく登用し、自分の行いに誤りがある時は諫言を行わせ、常に自らを律するように努めたという。
 賦役(農民の無償労役)や刑罰の見直し、三省六部制による政府の組織改編、また軍事力の強力など様々な制度改革に取り組み、北方の遊牧民族を攻め支配下に置くなど、太宗は唐朝の基盤を確立し貞観の治と呼ばれる太平の世を築いていく。
 一方、能筆家としても知られ太宗は書の大家を登用するなど文化の発展にも貢献。『晋書』『梁書』『陳書』『周書』『隋書』の南北朝時代以降の正史を編纂させている。
 また、西遊記で知られる玄奘が貞観19年(645)にインドより仏経典を持ち帰ると、太宗は玄奘を支援して漢訳を行わせている。
 唐の基礎を造った太宗だが、晩年は後継者問題に悩まされることになる。皇太子は長男の李承乾であったが奇行が目立ち、太宗が溺愛する四男の魏王李泰にその座を奪われるのではないかという恐れから暗殺を企て廃嫡となる。その、李泰も側近を使って李承乾を追い込んだことが事件の一因となったことから、東萊王への降格となり、九男の李治を皇太子としている。しかし、李治(高宗)は病気がちでおとなしい性格であったため、即位後、太宗の側室であった武則天が政治の実権を握ることとなる。
 太宗は貞観23年(649)に崩御している。

【囲碁の逸話】
 太宗の囲碁に関する逸話を二つ紹介する。
 貞観5年に河内の人で李好徳という者が嘘を言いふらしたという罪で投獄された。司法を扱う大理丞の張蘊古は「李好徳は狂気の病にかかっているから、法律上罰するべきではない」と奏上し好徳を釈放する。
 しかし、監察官にあたる治書侍御史の權萬紀は、「蘊古は好徳の兄と親しい。だから情があり、蘊古の奏上は事実でない」と蘊古を糾弾した。
 太宗は「蘊古はわしと棋友だった。しかし、今また好徳に親しんで釈放した。これはわが法を乱すものだ」と激怒し、ただちに蘊古を処刑してしまう。
 しかし、激情に駆られて蘊古を処刑したことを深く後悔した太宗は、「死刑に処す場合は、たとえ天子の命がただちに執行であっても、皆すべて三度覆奏(再調査のうえ奏上)せよ」と通達を出している。その後、改めて「死んだ者は再び生き返ることは出来ない。死刑執行について三度覆奏を命じているが短期間で行われれば十分に考える暇があろうか。これからは二日のうちに五度覆奏し、失効日の食事は酒や肉を禁じよ」と命じている。囲碁を通じて親しかった蘊古を一時の感情で処刑したことをよっぽど悔やんでいたのだろう。

 涇河の龍王が悪事を働いたため、翌日の昼三刻に名臣の魏徴によって処刑されることになった。龍王は太宗の夢に現れて哀訴、太宗から、分かった、魏徴に斬らせぬようにしよう、との言葉をとりつけた。
 太宗は昼前から魏徴と碁を打ちだし釘づけにした。そうすれば魏徴も斬刑に出かけられないと考えたからだ。三刻になると、それまでまともに碁盤に向かって打っていた魏徴が、肘掛にもたれ顔を伏せていびきをかきだした。そして、しばらくして失礼致しましたと言って目を覚まし、また碁に集中しだす。太宗が、処刑の刻限は過ぎたとホッとしていると、間もなく、宮廷に龍の頭が持ちこまれ、驚く太宗に魏徴が、私がいま、夢の中で龍を斬りましたと答えたという。

 魏徴のはなしは「西遊記」に登場する。太宗の重臣であった魏徴は「西遊記」ではあの世とこの世を自由に行き来できる人物として描かれている。
 西遊記では、この後、恨みを抱いた龍王の呪いで太宗が亡くなり、冥府をさまよって再び復活する。そして救いを求める太宗の命で玄奘三蔵は孫悟空らと共に天竺より経典を持ち帰る旅を始めるというストーリーになっている。