【言い訳する】絶対にあざむけない人 | 好奇心と内省とフローの旅

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小さな頃から“好奇心”が自分のエネルギーの源泉でした。興味を持って積極的に対象に関わり向き合っていくスタイルを保ちながら、ライフテーマ「健全な自己愛に目覚め、フローに生きる人や組織を増やす」について思考と感じたことの断片を記録しています。

人間というのはおもしろいもので、人が言い訳をしていると「言い訳してるなー」とすぐわかりますよね。
たとえば子どもに「宿題やったの?」と聞いた後、何時までに帰ってくるという時間を守らなかったとき、仕事が遅れているとき、浮気とか何か都合の悪いことがバレた、もしくはつっこまれたとき。

また、相手に迷惑をかけたことを本当に悪いと思って、事の経緯や謝罪の意を伝えているつもりなのに、「そんな言い訳はききたくない!」と言われてしまうこともあります。

自分がしょっちゅうそんな言い訳をしているから、相手の言い訳がすぐわかるのか(笑)、それとも最初から人を疑いの目で見ているのかはわかりませんが、今日は言い訳が悪いこと、と言いたいわけではなく、言い訳をしたくなる心理というのはどんな風になっているんだろう?というのを考えてみたいと思います。


過去に、もしくは最近、自分が言い訳をしたときのことを思いだしてみてください。
そのとき、どんなことが起こって、どうしてそんな言い訳をしましたか?

そもそも「言い訳」というのは

1 筋道を立てて説明すること。
 ㋐自己の事情を説明して、弁解をすること。弁明。
 ㋑物事の筋道を説明すること。解説。
2 (言い分け)言葉を別々の意味に分けて使うこと。
3 過失・罪などをわびること。謝罪。

という意味ですが、一般には「言い逃れ」「責任逃れ」「逃げ口上」みたいに悪いものとしてとられることが多いのではないでしょうか。

何か問題が起こったときにその理由を説明することや、それに対して謝罪をすることが悪いわけでは決してありません。たぶん人が「言い訳」を苦々しく思うのは、そこにあるその人のあり方なのだと思うのです。

人は本能として自分を守ろうとします。誰かに責められそうになったときなどは、脳を総動員してその状況からいかに脱出するかがほぼ自動的に行われます。思わず笑ってしまうような「言い訳」でも、本人はいたって真面目だったりすることもよくあります。守ることがよくないわけでは決してない。

でもその自分だけを守ろうとする「言い訳」によって、実際は自分を守れていないことが多い。その人に対しての期待や信頼を失っていることがとても多い。

そして一番失っているものは、自分が成長する機会。

どんな「言い訳」をしても絶対に欺けない人、それは自分です。
無意識では本当の理由を知っているから、その場を取り繕うために「言い訳」をしていることを自分は知っています。

「言い訳」をするたびに、自分はそういう人間だということが何度も上書きされていきます。
そして自分をそういう人間として評価します。

自分は「言い訳」をする人、と無意識に思っている人が、また何か窮地に陥ったという非常事態に、言い訳をせず違う選択をすることがあるでしょうか?そんな突然変異は残念ながら起こりません。

そして、自分で自分を「言い訳する人」と思っている人を、人が勝手に「この人はとても信頼できる素晴らしい人だ」と思ってくれるかというと、それもどうでしょうか。


人に貢献したい、使命や志に生きたい、社会にインパクトを与えたい、共創したい etc...

どんな生き方も、その土台となるのは人としての成長・成熟です。
そしてそれに基づいた人間関係です。

自分との関係が上手く取れない人、もっと言うと、自分と向き合えない人、自分を信頼できていない人が、本当に人と向き合い信頼し合うことはない。相互に影響しあいながらお互いを成長させることはない。


それが本当かどうかは誰が決めるの?

それは個々人が知っています。意識できていないことの方が多いだろうけど。


言い訳をすることがいい悪いということではなく、何を選択するかという機会は、常に、あらゆる瞬間にある。
その選択の積み重ねで、人生が形づくられていく。

生きるということが、その瞬間ごとの選択なのであれば、言い訳をし続けるか(そしてそれを正当化する自分であり続けるか)、そこから学んでより多くの選択の可能性に開いていく自分であるかを選択するという機会が、私たちにはたくさん与えられている。

それに気づいている状態であるということが、大切なんだと思うのです。


これだけ雑多な情報が氾濫している中、自分自身も他の人のブログはほとんど読まない中で、「ほとんどの人が読まない文章を時間を使って書いて意味があるのかな」という声が毎回自分にやってきます。

そして「人から読まれない文章を書いている自分」を受け入れたくなくて、自分は今こういう理由でこれを書いていますという「言い訳」をしたくなることがここ数日だけでも何度もありました。この投稿も、もしかしたら単なる「言い訳」かもしれません。

でも、それを無意識に行ってしまうのではなく、自分の中にそういうことが起こっているなあと観察しながら書いてみました。そうすると、自分はどうしてそれをしているんだろう、したいんだろう、ということが自然にうかんできます。言い訳をするのではなくて、本当はどうしたいの?と自分の声を聴く。それが次の行動につながっていくのでなないでしょうか。


追記:

ちなみにこのブログは、1日1時間、毎日1600字以上を書けるトレーニングというのが目的の一つ。(←いいわけ 笑)


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