大切な人の産まれた日、消えたいく日は同じ | クピピダイヤリー

日記ブログにご訪問

ありがとうございます。


皆さんはお元気ですか?


毎日、可愛い小鳥のお世話を

しながら幸せを感じてる私デス


もう10月末ですっかり

秋めいて肌寒い朝晩に

なってきましたが…

更新が結構、止まってました


この記事で察して頂けたらと

思いますが…



日はさかのぼる

まだ暑かった

9月のある日


明るく日が昇ってくる早朝


雨と強風で

台風が一瞬きたかと思う程

就寝中でも目が覚める雨風音


ほんの短い時間


そんな瞬間があった朝


台風のような嵐の瞬間

空は次第に晴れてきて

連続猛暑続きの気温は

グッと下がり


秋の知らせのような秋が

一気に空いっぱい広がってきた


実家の屋上↑


それまで

うだるような暑さで

夜でもエアコンがないと

寝れない日が続いていた


突拍子な天気の変化に


なんだったんだろう…はてなマーク


その日は旦那の誕生日

だったけど


目覚めが

雨・風音で起きる

気候の変化に因んで


なんだか

胸騒ぎの嫌な予感




家の中ではバタバタ

いつものように

鳥さん達の世話を

鳥部屋で はじめながら


その日も入院中の

父の所へ行くので

三女と

(私は3姉妹の長女)なので

携帯で打ち合わせしていた時



父の危篤を知り

急いで病院へかけつけました


まだ父の意識はあったけど

酸素を強制的に入れて

マスクをしている


健常者でもしんどいと

言われるぐらいなマスクの

酸素吸入方法に

苦しそうな父は


「何%?

酸素を少し弱くして欲しい」


と何度も

先に着いて付き添いしてる妹に

頼んでいた


看護婦さんに言っても

ドクターの指示で動いているし

そもそも酸素を少なくすると

益々危ないから

酸素を弱く出来ないのは

分かってる


それを何度も妹が説明するけど

どんどんと強制的に

送られてくる酸素に苦しくて

父は辛そうに

何度も頼んでいる状態


あまりにも苦しくて

自分でマスクを取るような事が

あれば強制的に眠らされる


頭の良い

まだシッカリとしてる父は

(事前に私から伝えてたから)

きっと

この事を知っていて

頼んでいるんだろう



私達、三姉妹が揃い

ドクターの話を聞き


もぅ、肝臓などの臓器全体が

悪い血液結果


多機能不全になり

どうにもならない




いっぱい酸素を送って

苦しいし

父が嫌がるのなら…


私はドクターに頼んで

酸素マスクから

チューブからの呼吸がしやすい方法へ

変えてもらった


変えて貰ったら父は

「多すぎるんや…これでいい」


少し安心した感じでも

やっぱり辛そうにして

目を閉じた


父が入院して約1カ月半

病院にいながらも

家の中を見たがっていたので


ウェブカメラの設定を

父は自分でしようと途中まで

してたけど入院中では

最後まで設定が出来ず


父に少しでも喜んで貰えたらと

内緒で前の日に

旦那がカメラを設定して

家の中が見れるようになった


その事を伝えると

父は少し微笑んで


家で留守番していて

父の帰りをずっと待っているワンコ

名前はジジ




目を開くのも

力がいるはずなのに

携帯から見える家のリビングに

ジジが映っている姿を見た


ジ・ジ…


ジ ジ…


父は声も力尽きていたけど

ワンコの名前を

精一杯

名前を呼んだ


マイクから聞こえてきた

父の声




そしたら

ジジは食卓の上にあがり


大きな声で


今までにない


聞いた事もない



とても大きな声


悲しい声で





ワォ〜ン


ワォ〜〜ン


何度も 何度も


チワワなのに

まるで狼の遠吠えのような声で

鳴いた


ずっと ずっと

鳴き続けるジジ



父は携帯を見るのもしんどい

ぐらいだったけど


私が


「ジジが鳴いているょ

分かる?」


父は


うん うん 

と呟きながら

ジジの姿を見て


そして

ジジが鳴く声を聞きながら

静かに目を閉じた



それが私は父が目を開けて

最後に話を交わしたのは最後


その日の夜


父は息を引き取った






父は退院したら

入院前に自分でネット注文して


まだ箱から出してない

新しい椅子に

屋上でユックリと腰掛けて

空を眺めたい✨




そんな事を言ってた


父も母も

自分達で頑張って建てた家が

大好きで

特に屋上は

周りには高い建物はないので

眺めも良く最高に気持ち良い



屋上で像が飼える

と当初のCMでも話題になった

軽量鉄骨の頑丈な家が

父も母も好きで

沢山のご家族が我が家に

(一回にバス2台分)

見学会に5年以上も

訪問し続けてた

両親からして自慢の家だった


花が好きだった両親


屋上は花や野菜など

沢山育てていたが



子供の頃から父は車で旅行に

連れて行ってくれたりして


その間にも水やりをできる

当時は自宅では珍しい自動散水を

自作で作っていた父の技術は

今の私の我が家にも

引き継いで旦那が

教わりながら庭に作った


家庭的なものから

仕事は技術者として

特許も何個もとったり表彰された

社会的にも貢献して父


まだ70代だったので

少しでも長く

生きていて欲しかった


ただ、父が亡くなった事で

母の時みたいに

大きく私の人生は変わらなく

自分の家に帰れば

普段の生活と変わらない


ただ、もぅ

子供の頃に育った

沢山の昔の思い出のある家も

消えて


そして小さい頃から

身近に私を知ってくれてる

両親はこの世に

消えてしまったと

遠い自分の過去を振り返る人も

いなくなってしまうのは

悲しい


ただ時間は進んでいる以上

遠い過去を振り返る事は

なくなっても

未来へ進んでいく


本当に父の死は


正直に詳細は

ここではかけないが


悔しくて

悔しくて

ならない


ひどいよな…


母もそうだが

父までも…


原因が明らかに分かっていて

怨みながらの感情を

引きずりながら生きていく


良い方向には

進まない


人生の無駄だけなのは

分かってるから



どんな思いがあっても

戻ってこない時間


だからその感情は

許す訳でもなく


悔しさ

憎む事も


もぅ、辞めた


嫌ならそんな事から

離れよう


次は自分にも

両親みたいにならない為にも

逃げよう


これからの人生は

できるだけ穏やかに


今の私があるのは

父からも 母からも学び

両親がいてたからこそ


最後の最後の言葉は

同じ

ありがとう

の感謝の言葉だったのように


私も感謝しながら

小さな幸せを沢山拾い集めて


鳥達と共に

穏やかに

生きていこうキラキラ



入院中に父が亡くなる10日前

まだ父と普通に会話してた


これからの私達の歩み方に父は


お前達(私達夫婦)こそ

自由なんだょ



子供なんて

つくっても

心配がつきないから

今から頑張ってつくるより

いない方がいいょ


心配する子供もいなく


夫婦2人仲良く

自由に好きな所に

いけばいい


お父さんも

お前達みたいに

お母さんと仲良く一緒に

したかったなぁ…


父も少し羨ましいと

思っていただける程


私は両親とは違う人生であっても

幸せなんです🩷照れ



そう信じてる



ただ、父の亡くなった日は

旦那の誕生日


旦那の誕生をお祝いしながらも

父を思い出す日に

なってしまったな



大切な人が

誕生した日ヒヨコ


大切な親が

消え去る日虹





父の着ていた服の側を離れない

寂しそうなジジ



その日咲いていたプルメリアを一輪

あの世では幸せになれる様に願いを込めて…


父の胸に置きました


父が使っていた古いパソコン2台


先代のワンコ 桃華ちゃんが

画面に写ってた



お父さんの写真に

シッカリとワンコ ナナちゃんを

抱いて微笑んでいる写真を選んだょ





そして残されたチワワ

ジジ


妹の友達のところに

新しく家族として

お迎えが決まり


父が亡くなった丁度1カ月後は

ジジの3歳の誕生日バースデーケーキ



食べられないけど

新しい家族でお祝いしてもらい


散歩にも連れて行ってもらい

ご近所さんからも

名前を覚えて貰ってる


そして

妹がいつでも会える距離なので

会えるし

私も話を聞いて

大切にジジの事を思って

してくれているので

嬉しいほっこり


時々、父の年齢の男性のところに

懐いて寄って行くらしいが


ジジ


新しい家族の元


幸せになるんだょドキドキ


入院して直ぐに

ジジも少し体重が減った事を聞き

父が心配してジジへ

送った優しい声





ジジや私達が

幸せに暮らしているのを

お空から見守っているに

違いないと思うキラキラ