江戸時代は幕府に対する謀反を警戒して、各街道筋に関所を設けて町奉行所や、地方の代官が発行する関所手形を所持していない者の通行を禁じました。東海道の箱根の関所は有名で、現在でも土産物として関所手形が売られています。
江戸庶民の場合は町役人に届け出て、町奉行所から旅行手形を発行してもらったのですが、遊山旅のような理由ではなかなか発行してくれなかったので、富士講や大山詣りや伊勢詣りのように宗教や山岳信仰を理由として旅行手形を発行してもらう事が多かったようです。
それはさて置き江戸時代の上野公園は、江戸幕府の庇護を受けた東叡山寛永寺の広大な敷地でした。現在の春日通りの上野広小路の交差点まですべて寛永寺の敷地でした。西に隣接する谷中には、狭い場所に70近い寺がありますが、その理由は寛永寺の末寺だからです。
金龍山浅草寺も広大な敷地を持つ寺ですが、その境内には浅草神社(三社)があります。その理由は、聖観世音菩薩像に関連している事で、そんな事も知らずに三社の祭りがどうのこうのだなんて田舎もんのような事は云わないで下さい(^ω^)
で、寛永寺が出来るはるか以前にこの地には五條天神社と云う神社がありました。さらには五條天神社がこの地に移転してくる以前に最初にあった神社が、現在の花園稲荷神社だと云われています。
私は昨日何食ったかさえも憶えていないんで、千数百年前にどうだったかなんて云われても判らん(^ω^)
でも神社仏閣をお参りするってのは、殺伐とした現代では心和むものです(^∇^)
撮影データ・・・平成29(2017)年7月4日(火)午前七時前 上野の山









