青梅街道をゆく ブロンプトンで柳沢峠越え(その14) | 旅はブロンプトンをつれて

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ブロンプトンを活用した旅の提案

(竹森林道の入り口は、トイレのある駐車場の脇にあります)

摩川源流を目指し、柳沢峠まで登ってきた旅も、あとは山梨県の塩山駅へ下るだけとなりました。
時刻は10時37分。
実は旅というのは、目的地に到達したあと、帰り道をきちんと計算することが大事です。
軍事作戦だって、引き際が難しいといいます。
真珠湾攻撃(当時の名称は布哇=ハワイ作戦)で、第二次攻撃を行わずに反転を決意した艦隊司令官に対し、連合艦隊長官が「泥棒だって帰り道は怖いよ」といった話は有名です。
「行きは良い良い帰りは恐い」というのは、旅も全く同じです。
今回のような場合、柳沢峠にいつつくのか、自己の体力次第でした。
あまりの急坂に途中であきらめて奥多摩湖側へ引き返すことも考慮にはいれていたものの、ずっと多摩川をのぼってきて、いくら何でもそれはないだろう、多分お昼までには着くだろう、いや、11時前には到達し、塩山駅には昼前に降りられるだろうと大雑把な予測はつけていましたが、まさか10時半過ぎに着けるとは思ってもみませんでした。
だから、その場で計算を巡らせます。

(この日は遮断機は開いていました)


塩山駅までゆるゆると下っても1時間はかからない(途中大菩薩峠登山口を経由して、駅近くでは迂回してゆく路線バスで所要50分)はずですから、途中パンクなどのアクシデントに遭遇しない限り、このまま下れば11時半前には駅に着きます。
ゆっくりお昼を食べて、12時06分発の高尾行きに乗れば、高尾13:17着/ 13:19発中央線特別快速に乗り換え、立川13:36着/13:55着南武線快速に乗り換えれば、武蔵小杉には14時28分には到着します。
これなら、家に帰って夕食の支度をしながら家を掃除することだって可能です(やりませんが)。
立川駅での乗り換えに時間を要するのは、わずか2分の乗り継ぎで出る2本前の各駅停車は、武蔵小杉到着が7分早いだけで、その乗り継ぎ時間ではおそらくロングシートの端には座れず、次に出る1本前の各駅停車は登戸駅で追い越されてしまうので、結局19分の乗り継ぎで快速列車に乗るのがいちばん合理的ということを知っているからです。
これは、週末の土曜日曜でも南武線は昼間の時間、快速列車が走っている(朝の8時台までと、午後の16時以降は走っていません)のを知っていて、南武線のような元私鉄線で停車駅がやたら多く、各駅停車の表定速度が遅いということ、結局快速に乗った方が楽だし速いということを肌身で感じています。
私の場合、中央線特別快速に高尾から乗った時点で、手前の八王子駅で横浜線(こちらも日中だけに快速の設定があります)に乗り換えるという手もあるのですが、この快速電車の乗り継ぎのタイミングが悪いと、結局菊名駅到着が遅くなるので、できるだけ南武線を選ぶようにしています。
(将来、ハイカーや折りたたみ自転車で輪行する人向けに、「大菩薩峠・柳沢峠周遊きっぷ」なるものができたときには別途考えますが。)

(車が来ない分空気が美味しいのです)
しかし、柳沢峠は旧青梅街道の大菩薩峠が険しいため、国道を通すためにずっと北西の奥まった場所に新たに道をつけた峠なので、確かに富士山は見えるものの、展望としてはかなり奥まった場所から小さく開けた先に小さく富士山が見えるという感じで、迫力に欠けます。
だから、達成感とともに大展望を味わうのには、少し物足りないのです。
このブログを読んでくださっている皆さまは、もうお分かりかと思いますが、どうせここまで来たのなら、ここから竹森林道を1.8㎞ほど入った、「柳沢の頭」の南、標高1,562m地点までゆくことをお勧めします。
写真を見ればお分かりの通り、途中の林道はきれいに舗装されていますし、中間地点位に(飲料に適しているかどうかは別にして)きれいな沢水が落ちている箇所もあり、汗でべとついた顔位なら洗えます。
そして、同地点からの富士山は、柳沢峠からのそれよりもずっと秀麗で美しいのです。

竹森林道に入り、ずっと南方向への登りが続いた後、いきなり視界が開けて林道が西への下りにかかるあたりが、その地点です。

(谷をはさんで向かいに見えるのが大菩薩嶺)

(空がだんだん開けてきます)
なお、ハイカーたちは柳沢峠でバスを降りたあと、やはり竹森林道を少しだけのぼったところから、倉掛山への登山道をたどるようですが、45分の登りで到達できる柳沢の頭(標高1671.2m)は樹木などでそれほど眺望が効かず、そこからさらに30分登った、ハンゼノ頭(標高1,685m地点)までゆくと、富士山の眺望が開けるようです。
でも、私たち自転車乗りが自転車を置いて登山道に足を入れたら、柳沢峠との往復で2時間10分かかる計算になります。
もちろん、自転車用のシューズを履いている人は、登山道は無理ですし、自分のようにスニーカーを履いていても、このくらいの標高帯になるとわずか2時間程度のハイキングでも、山に入るにはそれなりの靴と装備が必要ということは常識です。
しかし、舗装された竹森林道なら、柳沢峠との標高差は90mほどで、登り坂ではあるものの、これまで奥多摩湖からペダルで登ってきた身としては、フィナーレのようなものですし、積雪期でもなければ(冬期は通行止めになっている場合が多いのです)舗装路をゆっくり走って上り20分、下り10分ほどですから、2時間以上山道を歩くのに比べればずっとお手軽です。
この日はあいにく富士山には既に雲がかかっており、また7月という季節ゆえか、南アルプス方面もかなりうずぼんやりとしておりましたが、それでも稜線はちゃんとわかるし、下の甲府盆地もよく見えました。
それに、何よりも涼しいのです。
もしお弁当を持ってきたなら、柳沢峠よりもここで食べた方が、車の排ガスの匂いがしない分、ずっと美味しくいただけることと思います。

(途中にある水場)
なお林道走行についてですが、入口の遮断機が開いていれば問題なく入れます。
工事やその他災害等で「この先通行止め」となっていて、遮断機が閉めてある場合(その場合でも、工事車両の出入りのため、鍵がかかっていない場合が多いのですが)、これは警察などによる道路通行規制とは違うので、その場所の先に工事個所や崩落個所などがある場合は、目的の場所まで入って引き返すだけなら何も言われません。
警備員などが居る場合でも、「どこそこまで行って戻ってきます」と説明すれば、自転車の場合は通してくれることが多いですし、自転車の場合は降りて歩けばただの歩行者になりますから、問題なく通れます。
歩いても、舗装路を往復して1時間はかからないでしょう。
上述の山道をゆくより半分で済みますし、危険な目にもまず遭遇することはないでしょう。
林道には駐車スペースはありませんし、動力付きのオートバイだと林道に入れたとしても、家からの行き帰りも含め、全部走らねばならないわけですから、折りたたみ自転車で輪行し、帰りの電車の中でグースカ寝て帰るのとでは、ずい分と違います。
私のお勧めは、好きな本を持っていって、こうした場所で音読してみること。
きれいな空気の中で、好きな箇所を大きな声で読んでみると、作者の言葉が染み入ってきて、身だけでなく、心の中も洗われるような気持になります。

(だんだんと青梅街道との標高差が開いてゆきます)

(上り坂が下り坂に転じる場所が目的地です。左わきのピークは高芝山=標高1,542m)
そんなこんなで竹森林道を往復して、景色を堪能したあと柳沢峠に戻ってきたら、11時10分になっていました。
うーん、これから塩山市内の飲食店に飛び込むと、ちょうどお昼になる可能性が大であります。
ならば、この時間帯にここで名物の肉そばをたべて、ゆるゆると下ってゆくのもひとつの手ではありますが、塩山12時06分発の列車に間に合うように食べるには、10分ほどでかき込まねばならなくなりそうですし、その列車に乗り遅れると、鈍行は1時間後の13個06分発までありません。
その間に12時50分発の特急かいじ号がありますが、座席指定の特急料金1,020円を余分に支払っても、12時06分発の鈍行でゆくのと同じ南武線の快速列車に乗るだけの話です。
塩山駅の近くの食事処を探すと、柳沢峠からくだってゆく北口側に1軒、おあつらえ向きの街中華さんがあります。
それに、昼食場所は土曜日だから平日よりは多少は出足が鈍く、12時きっかりでは遅すぎるということも無さそうです。
ただし、駅のベンチで1時間居眠りしてから13時06分の電車で帰ると、今列車は大月止まりなので、そこで東京行きに乗り換え、立川では南武線快速列車との乗り継ぎがスムーズにはゆかないので、武蔵小杉到着は15時41分と10分以上余計にかかるうえに、南武線は時間のかかる鈍行になってしまいます。
でも、僅か10分ちょっとの違いだし、大月では4両編成の列車から10両編成の始発列車に乗り継ぐので、富士吉田方面からの乗り換え客がいたとしても、まず座れます。
こうした状況に応じた見立てをパパッとするのも、ひとり旅の醍醐味です。

(富士山もすそ野は見えるのですが。秋にはススキの穂越しに見えますよ)

(奥にうっすらと南アルプス、手前は水が森や帯那山から続く尾根でしょう。だとすると先端は石和温泉です。)
いちばん避けたいのは、「まだ時間がある」と考えて、塩山に下っても恵林寺などの史跡に立ち寄ったり、帰りがけの駄賃とばかりに旧甲州街道を日本橋方面に走り出し、甲府盆地側から笹子峠を越えようなどと無謀なことを考えたりすることです。

今回のように、ちょっとだけ加えてみる程度なら構わないのですが、かつての私は、ひとりであるのをいいことに、そうした欲張り旅を実践して自己満足に耽っていました。

しかし、そのような極端から極端への運動を伴う旅は、健康にはむしろ害であること、さらには危険と隣り合わせであることを、身を以て悟るようになりました。
身体的なことであろうと、心理的なことであろうと、そして中身が誰に迷惑をかけるわけでもない、むしろ自分にとって良いことである場合でも、欲望が欲望を呼ぶようなやり方をしていたら、結局は嗜癖と同じようなことになってしまうのではないでしょうか。
これは趣味以外の、たとえば仕事や学問でも、生活態度でも同じことですが、そういう生き方を選択してしまうと、自分で自分を止められないところに自己をもっていってしまい、そういうやり方が破綻するまで、走り続けることになります。
欲望の虜になってしまった人というのは、それが飲酒だろうと金儲けだろうと、はてまた教育や福祉であろうと、自己や他者を傷つけるような行動や態度であろうと、遅かれ早かれいつかは底をつくことになります。
それが高齢になってからだったら、もう取り返しはつきません。
「過ぎたるは及ばざるが如し」「二兎追うものは一兎も得ず」とはよく言ったもので、今回のような場合、「柳沢峠を自転車で越えるだけのために早起きして来たのだから、目的を達成した以上さっさと引き上げ、ほかの愉しみはまた次の機会に譲る」と考えるのが至極妥当です。
(つづく)