旧甲州街道にブロンプトンをつれて 27.下花咲宿、28.上花咲宿を経て29.下初狩宿へ | 旅はブロンプトンをつれて

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ブロンプトンを活用した旅の提案

旧甲州街道の旅は、大月市街を背に新大月橋をわたった先、旧道と国道20号線が合流する地点からです。
この辺りはモータリゼーション勃興期におけるドライブインの雰囲気を残したレストランが残っています。
おそらくは甲州街道の旧国道20号線と、富士山道だった旧国道139号線がこの付近で合流していて、中央自動車道はおろか、今の国道も整備されていない時代に、ここは甲府盆地、富士五湖方面の分かれ道だったのだろうと思います。
その頃から、富士五湖はドライブのディスティネーションだったのでしょう。
ちなみに鈴鹿サーキットが完成するのは1962年、富士スピードウェイはその4年後の1966年オープンです。

(下花咲一里塚跡)
富士吉田への道を左に分けたあと、旧甲州街道はいよいよ郡内地方と甲府盆地とを分ける笹子峠への登りに向かいます。
国道20号線は中央線を左手上に沿いながら、右へゆるくカーブしていって旧道・国道の合流点から160m先の左側、石碑のあるところが、下花咲の一里塚跡です。
念仏塔、庚申塔、三夜塔、道祖神、馬頭観音のなかに、芭蕉の句碑があります。
「しばらくは 花の上なる 月夜かな」
(満開の花の上に月がのぼった。これでしばらくはお月あかりのもとで花見ができそうだ。)
山あいのこの場所は、平地と違って月がかなり高い位置まで昇らないと、山影にかくれてしまって見えません。

(下花咲星野屋本陣)

(正面に見えるのが高川山)
下花咲の一里塚跡から410mさきおn右側にあるのが、下花咲宿本陣跡の星野家住宅です。
花咲宿は花崎とも書き、上下2つの駅の間に桜の大木があって、葉が繁る時期には旅人たちに木陰を提供し、また開花期には旅人が小枝を折ってかんざし代わりに頭に挿したりしていたので、この名前になったということです。
下花咲宿は本陣1、脇本陣2、旅籠22を数える結構大きな宿場で、ここ星野家は宿場の名主もつとめ、幕末の頃には薬の商いや養蚕もおこなっていたそうです。
この建物は国の重要文化財で、天保期に火災で焼失した後、嘉永5年までには再建されたといわれています。
明治天皇もここで休んだ記録があって、「明治天皇花咲御小休止所」の石碑もあります。
大月市街からこの本陣跡付近までが食事処が目立つので、すきっ腹のまま笹子峠越えはきついので、時間のある方は是非食べておきましょう。
なお、星野家の中は、予約した人のみが入れるようです。
幕末期に建て替えられても、もともとの家屋に忠実に建て替えられています。

(上花咲本陣跡付近)

(旧道はここを右折)

(二十三夜塔)
星野家本陣跡から緩い坂をくだっていった380m先右側にあるのが、中央自動車道の大月インターチェンジです。
バブルの頃は(今もそうかもしれませんが)、中央自動車道の大月~八王子インターチェンジ間は渋滞していることが多く、これを避けようと仕方なしに高速をおりて下道を走ろうとしても、国道20号線もまた動かない状態で、結局高速に入り直したとか、中央道が渋滞している時に河口湖、山中湖経由で御殿場に出て、そこから東名高速道路で帰ろうとしたら、中央道以上に混雑していて、仕方なく箱根の山も越えて西湘バイパス経由で帰ったとか、とにかく大変な場所でした。
私はそういうことを聴いていたので、敢えて塩山から柳沢峠を越えて青梅に至る、いわゆる青梅街道を選択していました。

(三軒屋交差点 旧道は左 但し現在は行き止り)

今は大月市街をトンネルで迂回するバイパスがあるので、駒橋からここまでの区間は、国道20号線も交通量が少なく走りやすくなっています。
しかし、ここから先は国道メインで交通量も多いので、車、とくに運転台からの目線が高い、ダンプやトラックなどの運転手によく視認してもらえるような格好がお勧めです。

インターチェンジ入り口付近で正面に見えるのは、高川山(標高975.9m)です。

中央線の初狩駅から徒歩1時間半ほどで富士山の見事な山頂に立つことができ、富士急行線の禾生(かせい)駅へ下ることができる、ハイカーに人気の山です。

2001年ごろから2010年の秋まで、ビッキーと名付けられた犬が山頂に住みつき、ハイカーの道案内をしてくれることで有名だった山です。

犬が道を先導してくれるなんて、日本武尊命の伝説みたいだと思っていたら、スイスのベルナーオーバーラントでは、迷子の登山者を猫が道案内したそうで、犬猫の中にはそういう子もいるのでしょう。

(真木橋)

(真木交差点)
中央自動車道の大月インターチェンジ出入口をすぎてすぐ左側に道祖神を認めながらそのまますすむと、220mさきになるのが、上花咲信号です。
ここからの直線、上り坂にかかるあたりまでが上花咲宿です。
上花咲宿は、本陣1、脇本陣2、旅籠13件を数える宿場で、本陣跡は、笹子川に架かる西方寺橋を右に見て、20m先の左側、西方寺入口バス停の南側に広がっていたそうです。
ここでも京都に近い方が「上」で、遠い方が「下」です。
人馬の継ぎ立ては、毎月初日から15日までが上花咲宿、16日から最終日までが下花咲宿だったそうで、上下2宿で補完し合っていました。
そこから260mさき、登り坂の勾配がだんだんきつくなってきたあたりに斜め右へのびているのが旧道です。
路地と国道との間には石仏群、すぐ先の右側には二十三夜塔がありがすが、国道よりきつい登りを登って間もなく、道は人家で行き止まりになっています。
旧道はこのさき現代の国道と右方向にわかれてゆき、今の中央自動車道河口湖支線にぶつかったら左方向に向きを変えて国道に復帰していましたが、今は道がありませんので、行き止まりまでいって、国道に戻ったら坂をのぼり直します。


すぐ先で花咲信号をすぎて、国道はその先で中央自動車道の河口湖支線の下をくぐります。
上下線2つの陸橋下をすぎてすぐ、高速沿いを左へ折れた路地入口に、「尾曽後峠(鎌倉街道)」と標識がありました。
昔の鎌倉街道は、ここから南下して山を越え、富士吉田の方に向っていたようです。
旧甲州街道は、なおも国道20号線をすすみます。
河口湖支線をくぐってから210mさき、三軒屋信号を右折し、すぐ先の前沢橋で笹子川を渡り、川に沿って上流方に130mほどいった右側にあるのが、真宗大谷派の善福寺です。
このお寺には地頭の娘が毒蛇になり、親鸞聖人に済度された(救われて成仏した)という伝説があり、その名号石と蛇の鱗が残されていると伝えられています。
旧甲州街道は三軒屋信号で左に折れ、中央線線路を渡ってその南側に沿っていたようですが、今は踏切もないし、道も電車の車窓から見る限り、失われているようなので、そのまま国道をすすみます。

(真木川に架かる初月橋)


右側にある大月警察署あたりから、国道は中央本線の線路に沿います。
右手には笹子川の河原が広飼っています。
この辺りは、電車からの車窓と一致します。
国道、中央本線とも三軒屋信号から700m先の真木橋で笹子川を渡るのですが、旧甲州街道はそのまま川の右岸をすすむので、ここで旧道とはやむおえず、一旦お別れとなります。
真木橋を渡って120mさきの真木交差点を左折して路地に入ります。
江戸時代の甲州街道ではありませんが、国道は交通量が多いので、少しでも旧道を辿った方が安全です。
なお、真木交差点を右折して県道510号線を真木川の谷に沿って北上すると、1.7㎞ほどで真木温泉があります。
昔は鉱泉でしたが、いまはきれいになって大月市の奥座敷になったようです。

(源氏橋を左折します)

(橋を渡ったら採石場入口を右折)
オートバイでさらに真木川をさかのぼると、真木小金沢林道に接続し、標高1,560mの大峠へと車で登れます。
そこから1時間ほどの登りで、旧五百円札に描かれた富士山の眺望が開ける、標高1874mの雁ヶ腹摺山の山頂に到達します。
昔は大峠からそのまま北へ峠を下り、葛野川に沿って大月と小菅村を結ぶ途中にあるふかしろ湖へと抜けられたのですが、現在は真木小金沢林道の北半分はがけ崩れなどでズダズダに寸断され、自転車はおろか、徒歩でも突破困難なのだそうです。
そう考えれば、探検してみたくなるのが男の性なのですが、1980年代に私がオートバイで行った時は、落ちたらまず助からない急峻なV字渓谷の上をゆく林道だったので、さもありなんと想像しています。

(春と夏でこれくらいイメージが変わります)
旧甲州街道に戻ります。
真木交差点を左折して国道20号線から離れたものの160mさきでまた国道に復帰します。
そこから250mさきの初月橋から先は、連続雨量が300㎜を超えると通行止めになるという標識があります。

いよいよ山の中に入ってゆくという感じがします。

橋を渡ってすぐ右側にある定食屋さんは、昔ながらの街道沿いの食堂ですが、昭和の雰囲気を残したお店で、味も濃い目でボリュームもあって、男性に人気です。
私はあまりお店の紹介をしない方なのですが、ここは私が高校生の頃からある店で、その頃からライダーやドライバーに人気でした。
いまこうして自転車で立ち寄ると、その味の濃さが疲れた体にいっそう染みます。
さて、そのまま笹子川を左にみて400m進むと、左側に源氏橋があるので、左折してこれを渡ります。
源氏橋は笹子川だけでなく、中央本線も跨いでいるので、渡ったところですぐ右折すれば、中央本線の南側にそってきた旧甲州街道に復帰できます。
(直進は採石場で、関係者以外は立入禁止です。)

(中央線の線路沿いをすすみます)


右折すると、線路沿いの砂利道です。
右側の線路際も背の高い草が生え、左側の山からも雑木の枝がのびているので、夏などは藪の中をゆくようですが、道はしっかりついています。
(四輪車は枝に引っかかれて傷がつくかもしれません)
600mほど線路に沿って進み、そこから採石場の施設をまわり込むように進むのですが、左側の小高い丘を丸山(権現山)といい、ここはあたかも遠目に一里塚に見えたけれど、地元ではそう呼ばれていただけのことのようです。
採石場の施設を西側の出口方面には向かわずに、「これより先進入禁止」と大きく書かれた看板(おそらくは車向け)のある坂道を折返しのぼって行き、左手奥に入ると石仏というか、石板が並んでいるはずなのですが、立入禁止のようであり確かめるすべがありません。
さて、旧甲州街道は採石場の西側出入り口から出ます。
出口付近左側にも石仏と石板が並んでいます。
前を往き来する砕石トラックの影響なのか、むかって右端の仏さまはちょっとしかめ面をしているようにみえました。
この石仏のある場所から90mほどすすむと、第七甲州街道踏切で中央本線をわたって、旧甲州街道は下初狩の宿に入ってゆきます。
次回はこの第七甲州街道踏切からはじめたいと思います。

(第七甲州街道踏切)