柳沢峠の思い出 | 旅はブロンプトンをつれて

旅はブロンプトンをつれて

ブロンプトンを活用した旅の提案

今回、はじめて青梅街道を今までとは逆向き、すなわち奥多摩湖から柳沢峠に向って登ってみたのですが、感慨深いものがありました。
バブルたけなわの頃、中央自動車道は下道の国道20号線(甲州街道)とともに、春から秋にかけての行楽シーズンを中心に、日曜日の午後から深夜にかけて激しい渋滞に見舞われました。
当時大学生で免許取り立てだったにもかかわらず、清里や蓼科、遠くは安曇野までドライブに行き、かえりは甲府盆地から郡内地方の桂川(相模川)沿いの谷をぬけて八王子まで帰るのに、全然動かないので月曜の朝になってしまうかもというほどでした。

そんな時、間道として使っていたのがこの青梅街道です。
甲州街道経由よりも明らかに遠くなりますし、当時は道幅も狭く、またトンネルや橋梁も少ない分、谷に沿ってくねくねと急カーブが続く道で、星明りしかない夜にここを通り抜けるのは相当に危険でした。
また、途中に花魁渕という絶好の心霊スポットがあり、真っ暗な中でここに立ち寄って記念写真を撮ったものです。
当時の写真を見ると、淵に向って高飛び込みのポーズを決めている自分が居て、怖いもの知らずというかなんというか。

その伝説はガセネタだと当時から言われておりましたが、それを除外してもオートバイを中心に死亡事故の多い道でした。
私は林道に行くためにオフロードバイクで通り抜けていたから良いものの、某二番手メーカーの排気量250㏄クラスの2ストロークエンジンを積んだスポーツモデルなど、アクセルを開けたまま谷底に消えるライダーが続出といわれておりました。
その道をいまは自転車で通り抜けるようになったわけですから、時代が変われば乗り物も変わるわけです。
あの頃一緒にドライブをしていた仲間たちも、まさか今の私がひとりエッチラオッチラと小径自転車で峠越えしているとは思いますまい。

ブロンプトンを購入した後、ダウンヒルをやろうと真っ先に思い浮かんだのが柳沢峠でした。
箱根峠は東海道の旅で越えて、カルデラ湖(芦ノ湖)がある関係で、外輪山の山頂まで登っても、いったん湖までくだってまた登り返さねばならないし、丹沢のヤビツ峠は同じチャリダーが多そうだし、そのほかの峠は東京から遠すぎるしということで、バスや索道で登って帰りはブロンプトンで下るという計画をもっとも立てやすい場所でした。
しかも、塩山側から登って奥多摩側へくだれば、週末などはハイカーたちと違って午後早い時間に電車に乗れるのでゆっくり座って帰れそうです。

そこでブロンプトンを購入してからさほど時間の立ってない、2012年の10月に友だちとはじめて塩山駅からのバスで柳沢峠に登ってみました。
駅では晴れていたのに、柳沢峠では雨が降り始め、下ってゆくにつれてどんどん本降りになり、丹波山につくころには結構濡れてしまいました。
けれども紅葉が美しく、自転車だとどこで停止しても路肩なら邪魔になりません。

雨が降ったことへの反省で、同年の翌11月にもひとりで柳沢峠にゆきました。
このときは、シーズン最後のバスでした。
当日はよく晴れていて、峠から見る富士山は雪をかぶり、また走り出しも完全に冬の装いでしたが、落合あたりからは奥多摩駅までずっと見事な紅葉で、途中お祭山荘でボリュームたっぷりのすき焼き丼をいただき、ゆっくり走っても奥多摩駅には14時前について、悠々とすいた電車に乗って帰ることができました。
14時台では、ハイカーたちはまだ下山中の方々が大半ですから。

そして何度もダウンヒルをするうちに、少なからず登ってくる自転車を見かけては、「小径車で登ったらどうなのだろう」という思いが頭をもたげました。
家の近所もけっこうな坂があり、最初は迂回していたのですが、そのうちに挑戦するようになり、いまや直線の長い急坂でもない限り、大概の坂道は乗ったまま挑戦するようになってしまいました。
とくに甲州街道を走るようになってからは、登り坂を練習する必要があったので、わざと比較的急な坂道を選んでは、乗って登ることを心掛けていました。

そんなところに、甲州街道の脇往還だった青梅街道ですから、ちょうど良かったのかもしれません。
こうして改めて登ってみると、下っている時以上にバブルの頃よりもずっと道が良くなっているのを感じ、小径車でも地面の凸凹にタイヤをとられて危ない目にあうということは殆どありませんでした。
気をよくして2015年、2018年も秋の紅葉シーズンにダウンヒルしたわけですが、柳沢峠は標高が1,500m近くあるわけで、11月は完全に冬です。
そこから下ってゆくにつれて季節は逆巻きで戻り、奥多摩駅に着くころにはかなり暖かくなっているという塩梅でした。

今回新緑の季節に朝7すぎに鴨沢西バス停を出発し、10時半過ぎに柳沢峠に着いたわけですが、登れば登るほど気温は下がり、瀬音も涼しかったので、なんだか自然に応援していただいているような気分でした。
おそらく秋であれば、登れば登るほど寒くなって身体の熱を逃がすことができるので、初夏よりももっと有利かもしれません。
帰りは塩山からそのまま上り電車にのらず、ふらっと石和温泉にでも立ち寄って、汗を流してから帰路につきたいものです。