旧甲州街道にブロンプトンをつれて 21.犬目宿から22.下鳥沢宿へ | 旅はブロンプトンをつれて

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ブロンプトンを活用した旅の提案

犬目宿の甲府側の端にある宝勝寺の前から、次の鳥沢宿に向かいます。
これまで鶴川宿から野田尻宿を挟んで犬目宿まで延々と登ってきて、犬目宿を過ぎたら下りにかかるのかと思いきや、さにあらず。
旧甲州街道は山肌を縫うように南西方向へと横移動します。
しかも沢目にむかって下るかと思いきや、カーブを過ぎて沢を背にすると今度は登りという具合で、これまでの登り基調だった道よりも、アップダウンが続くので余計につかれます。
しかも、ただ県道(山梨県道30号大月上野原線)を走っていればよいわけではなく、旧道を忠実に辿ろうと思ったら、所々進行方向右手の山へと分け入らねばなりません。
大きな丸い石に「空」と彫られたお寺のオブジェを右にみながら県道をすすむと、すぐ先のバスが折り返すような広場に馬頭観音があるのですが、小屋に囲われて見えません。
そこに扇山への登山道が右手に分かれています。
扇山というのはここから1時間半ほどで登れる北西方向にそびえる標高1,138mの山で、中央線の鳥沢駅の少し甲府寄りの下り方向右手に、文字通り扇を開いた様な形をしています。
山頂からは富士山の眺望が見事で、一日ハイキングで登れる手軽な山です。

(白馬不動尊入口)

(君恋坂入口)
330mほどすすむと、右手の一段高い場所に鳥居がたっていて、その奥に藁ぶき屋根の家屋がみえますが、この鳥居が白馬不動尊への入口です。
不動尊自体は藁ぶき屋根の建物ではなく、ここから25分ほど歩いて山に分け入った場所にあります。
奈良時代の737年、諸国にはしかが流行した際、甲斐の国都留犬目の里、白馬不動尊に祈祷せよとのお告げがあり、行基和尚がここを訪れて祈ったところ、諸国の病は平癒したとかで、朝廷の命により寺を建立したとあります。
お寺なのになぜ鳥居?と思いながら、往復50分かけてお不動様に立ち寄っているわけにはいかないので、鳥居わきの不動明王像と思しき石仏にそっと手を合わせて参拝の意思を示します。
実は初めて来たとき、この手前の坂道が後述する君恋坂だと勘違いし、ブロンプトンを押し歩きしながら登って行ったことがあります。
夏の夕暮れ時で、鬱蒼と樹木に光を遮られた登山道をいったわけですが、登っても登っても下へくだる気配がないのでおかしいなと思っていたら、このまま進むと扇山山頂ということが標識から分かったので、慌てて引き返したことがあります。
たしか夕方の4時くらいでしたが、その時間から熊も出る山の中に独りで入ってゆこうとするなんて、自殺行為でした。
あのままいったら確実に夜を迎え、下手すると下山路を見失って遭難していたかもしれません。
いくら登山口から山頂まで90分だとしても、山に足を踏み入れてはならないTPOというものがあると思います。


そこから270mすすむと、右手の擁壁が切れて、そこから道に沿って小道が上へとのびている箇所があります。
ここが君恋坂入口です。

壁に小さな板が掛かっていますが、字が消えて読めません。
坂は人がやっと登れるような登山道のような未舗装の坂ですし、夏は草木が生い茂って藪になっているうえ、山からの水がおりてきてぬかるんでいるし、さらにこの先で倒木などが道を塞いでいて、標識もなにもないので、本当にこれが旧甲州街道と訝しく思います。
夏などはヤマビルがでるのではないかと警戒しながら自転車を押し歩きして倒木の下をくぐらせますと、人家が右手にみえてきます。
住宅の先には割と大きな建物がたっていますが、これが2016年ごろに閉館した君恋温泉の跡です。
君恋の地名は、浦賀水道を渡る際に嵐に遭った際に、海神の怒りを鎮めようと船から身を投げて入水したオトタチバナヒメを日本武尊が偲んだから、この地名がついているそうです。
温泉というよりは沸かし湯の鉱泉だったようですが、扇山の登山客には人気があったみたいです。

建物の前には馬頭観音像があります。
元宿の前は南から東へ斜面となっており、晴れていれば富士山が望めます。

(恋塚一里塚)

(旧甲州街道石畳)
もと旅館のアプローチとおぼしき坂道を下ってゆくと、県道に復帰します。
折り返すように鳥沢方面に向かうと、温泉入口から240m先の左側に、こんもりとした塚のようなものを認めます。
これが通称恋塚と呼ばれる江戸から22番目の一里塚です。
塚の上には杉が植わっていたそうですが、今はなにもありません。
その代わりに、春先にくると塚の裏手で静かに桜が咲いています。
この塚を男女が逆回りに三周して、桜の前で出会ってハグしたら恋愛成就とか、県道は走る車も少ないし、桜の前はちょうど塚の影になっていて道からは死角になっているから、私が上野原市の観光仕掛人なら、適当に話をつくって広めます。
だって恋塚なんて名前の一里塚、旧東海道も含めてみたことがありません。
京都の鳥羽にある袈裟御前のお墓を恋塚と呼びますが、あちらは人妻に恋した男から夫を守ろうとして犠牲になった平安末期の女性(但し、史実かどうかは不明)で、恋愛沙汰の犠牲になった人を弔う墓という意味ですから、塚は塚でも意味が全く違います。

(大月市に入ると下りになります)

(右手が旧道)
恋塚から県道を190mほど進むと、右手に旧道が分岐しているので、こちらに入ります。

標識はありませんが入口右手に鳥居があって、この一段高いところに山住神社という小さな祠があります。

きけば鎮守様です。
今度は君恋坂とちがい舗装路だからと安心していると、140m先で人家は途切れ、道も未舗装になってしまいます。
そのさき70mほどで県道に復帰するのですが、最後の30mほどが、今も旧甲州街道に残る石畳です。
旧東海道の箱根石畳や金谷坂などと比べれば区間も僅かで保存状態も良くないので、小径車を押し歩いている身としては却って助かるのですが、犬目峠もまた、いにしえの旅人が越えていった苦労をこうして偲べるのでした。
県道へ出て右手に向かう(旧道から県道に出る際、側溝には蓋がしてありませんから、小径車が乗ったまま県道に出ようとすると、溝に前輪をとられてしまうので、くれぐれもご注意のほどを)と、すぐに正面に富士山が見える場所に出ます。
ここからが、下りになります。
結局、犬目峠というのは山を越えるというよりは、渓谷に沿った谷筋の道ががけ崩れなどで危険なので、急峻な地形を山に途中まで登った形で迂回するように道がつけられているから、国境にある峠のように、登りと下りがはっきり分かれていないのだと思います。
旧東海道で類似しているのは、同じく急峻な地形ゆえに海岸線を避けて山に登っている薩捶(さった)峠でしょう。
あそこも峠の頂上がどこなのか、ピークが2つあっていまひとつはっきりしませんでしたから。

(だんだん富士山が周囲の山に埋没してゆきます)

(右手が旧道)
下りにかかると、道の上に架かった標識で、上野原市から大月市に入ったことが確認できます。
石畳から470mほどで、またもや右手に簡易舗装の道が分岐していますが、こちらが旧道です。
道標は無く、人の家に入ってゆくような感覚で、事実民家の庭先を通る形になりますので、住んでいらっしゃる方と出会ったら、「通してください」と挨拶してお願いしましょう。
今度は砂利道や石畳にはならず、簡易舗装のまま210m進めば、また県道に復帰します。
馬頭観音をはじめとする並んだ石仏を右上にみながら、山谷という集落をS字カーブの下り坂で抜けた後、240m先で右手白いガードレールの隙間(小道には種類の違う、薄水色の網状のガードレールがあります)から、小道をくだってゆきます。
ここも夏はススキといばらのような棘のある植物が一部区間で道を塞いでいて、下り坂の勢いそのままに突っ込むと、急な傾斜と相俟って落車の危険があるので、慎重に入ってゆくようにしてください。
この旧道も120m下った先で県道に合流するので、右折して240mくだった、農業体験施設(バーベキュー場)入口の標識があるところを右折、すぐ先で左折して、未舗装の道を南へくだります。

日当たりの良い場所で、良く晴れた日には正面に富士山が見えます。

やがて墓地の脇を通り、380mさきでまた県道と合流します。

(舗装されているからと安心して下ると、藪に突き刺さります)

そこからすぐ下にある坂下橋という小さな橋を渡り、中野という集落を抜け、カーブミラーのある場所を左折して、両側に人家の並んだ急坂を下ります。

坂を下りきったところで小さな橋をわたって少しだけ登り返し、200mさきで突き当たるので、右折して左折すれば、また県道に復帰します。

すぐ先の上空には中央自動車道の橋が跨いでおり、進行方向奥側、下り線の赤いトラス構造になっている橋桁が印象的です。

今回、犬目宿から都合6回、県道とは別の旧道に入りましたが、最初の君恋坂もふくめ、道標らしきものはほとんどありません。

しかし幸いなことに、グーグルマップには6か所とも分岐している旧道の細道が、旧甲州街道として明記されているので、ハンドルにスマートホンを取り付けて、自車位置をプロットさせながら走れる人(その代わり、スマホの電池を異様に消耗します)は、それが出来れば道に迷うことはないでしょう。

いずれにしても、旧街道を忠実にたどりたかったら、自転車乗りは下り坂だからといって、(とくに最初は)飛ばさず慎重に下ることです。

そのまま高速道路の下をぬけ、県道を310m下れば、止まれの標識がある、正面に小さな花屋さんのあるT字交差点で、国道20号線に復帰です。

バブルの頃、林道からの帰り道で下道国道が車が連なって動かなかったとき、オートバイはここを曲がって犬目峠を越えることで、渋滞を回避していたのを思い出しました。

(旧甲州街道はここを右折)

(カーブミラーの左を下ります)

(中央道の下をくぐれば、国道20号線はすぐそこです)

上野原の本庁交差点で国道と別れて以来、犬目宿までの登りが9.3㎞、下りが4.1㎞で合計13.4㎞の旧道峠越えでした。

振り返ってみると、犬目峠越えは都会から近いうえに、急登あり、山の宿場あり、登山道のような道の押し歩きあり、小さな寺社があって、4月は山桜も咲いていて、富士山も眺められる、ルートファインディングを養いながら、山の旧道旅を楽しむのにはもってこいの場所です。

箱根石畳道のように観光施設も沿道には殆どなく、歩いている人もほとんどいないので迷惑にならず、県道も交通量が少なく、談合坂サービスエリアのような食事・休憩施設も充実しているので、真夏の昼間を除けば静かな自転車による山旅が楽しめます。

この先の笹子峠もそうですし、旧中山道の碓氷峠や和田峠を越える前の練習にもなると思われます。

次回は国道20号線に復帰した交差点から、下鳥沢宿に入ってゆきます。

(下鳥沢宿の入り口で国道に復帰しました)