(白馬三山 左から白馬鑓ヶ岳 杓子岳 白馬岳)
(その3からの続き)
八方の最上部、リーゼングラート(大きな枝尾根の意味)コースは、滑り出しの標高が1800m以上あるので、春でも雪質は抜群です。
先シーズンまでは「雨が降ったな」と思われる水分を含んでいましたが、今年は全然そういう気配がありません。
一時期暖かくなったものの、また寒の戻りがあって新雪におおわれているのでしょう。
中斜面とはいえ、けっこうな高度感があるので、ウィンタースポーツに慣れない人、高いところが苦手な人には、特に後半斜度が増すあたりからは恐怖を感じる場所ですが、ここが長野オリンピックの男子滑降競技のスタート地点で、競技自体は出場45人中15人が途中棄権となったことで有名です。
15人中14人までが、この下のアルペンリフト駅(ピラールというカフェがあります)脇を通り抜けて兎平ゲレンデの最上部に出た最初の旗門の先でコースアウトして、映像をみていても、「あんなところあんなスピードで通過したら、それは飛んでいなくなるわ」と感じたものです。
もちろん私は中年だし、履いている板は小回り用だし、2mを超える板を履いていた昔ならいざ知らず、こんなところで直カリ(直滑降を指す昔の言葉)は致しません。
(黒菱の壁ー上からみたところ。左端の索道の線をみれば傾斜がわかります)
何本か最上部ばかりを滑っているうちに、10時をまわりました。
ここだけ滑って帰るのもと思い、八方で一番きついといわれている黒菱ゲレンデの最上部、それもえぐれてしまっているリフト際を下ります。
よく、高所恐怖症のくせしてよくこんなところを降りるなと言われるのですが、急斜面はたしかに怖いけれど、技術があるとある意味手抜きして降りられるから、中斜面のような速度に対するヤバさは感じません。
それこそ、神社の急な階段を下るような感覚で、トントンと調子よく下れたので、もう一度挑戦したら、スキー板の先端が刺さって頭から転げ落ちました。
片方の板が外れて落下してゆきそうになったので、思わず抱えたら、自然に立ち上がる姿勢に戻っていました。
これも急斜面ゆえにできることです。
そういえば、転倒からのリカバリーがはやいとも言われていました。
自転車の落車と違って、不思議とスキーの転倒は転んだ自分に対して笑みがこぼれます。
(したからみあげたところ。落ちたらとまりません)
ちゃんと技術を身につけたうえで、無理せずに滑っていての転倒であれば、普段はぜったいにしないような姿勢になって、意外に自分の体が柔らかくできていることを確認できたりします。
それに、スキーが上手くなる過程においては、すこしずつ許容範囲の内で無理をして、失敗を重ねることによって腕をあげていったのでした。
思えば人生も同じではないでしょうか。
無理せずに生きている範囲における失敗であれば、そういうしくじりはすぐに成長の糧になるわけで、失敗を恐れてなにもしないよりはずっと収穫があります。
無理していて生じた失敗でも、それをどう活かすかによってその後の人生を左右するように思います。
その意味において、自己の失敗を見つめることは、他人の失敗を論ったりすることよりも、ずっと重要なのです。
だから今、私は他人の失敗にはそれほど興味が湧きません。
そんなことを考えながら滑っていたら、「今シーズンはこれで充分かな」という気持ちに自然になりました。
スキーというスポーツを、いままでは消費するように享受してきたけれども、これからは、短い時間でもじっくりと自分の過去と向き合いながら楽しむのであれば、それは量より質の問題だから、「これでいい」と自分が思った瞬間が手放し時なのだと思います。
それに、たとえ一日二日でも、この年になってこうして五体満足でこんなに景色の良い場所を元気に滑って下れるのは、ありがたいことだと思うのです。
自転車で走ることも、プールで泳ぐこともそうですが、どれだけの距離を、どれだけのタイムで走ったり泳げたりしたのかということよりも、心から喜んで走ったり泳げたりできたかどうかが重要なのであり、若いうちにつけた技術や体力でもって、それが喜びにつながるのなら、やはりそうした経験を与えてくださった存在に感謝せずにはいられません。
それは読書でも仕事でも同じことではないでしょうか。
こんな風に歳をとってゆくことに実際の幸せがあるとは、若いころには想像もつきませんでした。
「足るを知る者は富む」とは、こういうことを言うのでしょう。
逆にいくつになっても「足りない足りない」と宣い、他人や周囲を消費しつづける人たちは、経済的に豊かであっても貧者のままだと思います。
彼らはどこまでいっても渇望を手放せない、いわば渇望依存症者なのだと思います。
それはかつての私の姿でもあるから、批判する気持ちにはなれないけれど、離れてみていると哀れです。
おそらくは、大勢でいても現実に孤独なのは彼らなのでしょう。
そして老後には、生者とも死者とも、いかなる存在ともつながれない、自己のみにしがみついたままの、本当の意味での孤独になるのではないでしょうか。
私はブロンプトンであちこちを旅していて、消費するのではなく、心の深いところでの喜びをかみしめるような、そんな旅人になれるのではないか、思うような旅が出来ても出来なくても、感謝のうちに残りの人生を過ごすことができれば、それでよいのではないかと思うようになっている自分に気付きました。
最後にもう一本だけゴンドラリフト「アダム」(笑)に乗って、リーゼンスラローム(大回転)コースを下って駐車場に戻り、宿に帰りました。
11時半より前には戻れたので、大急ぎで着替えて帰るつもりだったのに、大女将と昔話に花を咲かせてしまい、結局13時ごろに宿を出立しました。
帰りは上信越道経由で帰るか、中央道経由で帰るか迷いましたが、結局距離の短い前者で帰ったところ、午後4時ごろに埼玉県内で渋滞につかまってしまい、友だちと食事をする予定がひとり個食に変わりました。
そしてその後も渋滞に巻き込まれ、都内に帰ってきたときには午後9時をまわってしまいました。
これではバブル期のスキー旅行です。
やはり日曜日は昼前に現地を出立できるかどうかがカギのようです。
けれども、この満たされた気分のまま、お土産を渡しに立ち寄って友だちと話すことができて、真の意味での”Never Alone”を感じることができた旨を伝えることができました。
来年もスキーに行けるかどうか、私にはわかりませんが、それを言ったらいつまでスキーができるのか、こうしてブロンプトンをつれて旅をして、その旅行記をブログにつづれるのかわかりませんが、そんなことよりも、今を喜べるかどうかの方が私には重要になりました。
やはり少しだけ無理をしてでも、独りスキーができて良かったと思います。
(おわり)