運転免許の更新を前にして思うこと(その2) | 旅はブロンプトンをつれて

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前回からの続きです。
運転免許証の更新が迫っているので、これまで経験した過去の更新の時を振り返っていました。
運転免許証をはじめて交付された時もそうですが、1994年5月に優良運転者という制度(いわゆるゴールド免許制度)ができるまで、僅かでも違反の事実があれば、免許の更新は各警察署ではできず、免許センターにゆかねばなりませんでした。
神奈川県の場合、相鉄線の二俣川駅から1.3㎞、バスに乗ってゆかねばならないところにありました。
相鉄線というのは、今でこそ悲願といってJR線や東急線との乗り入れを果たしましたが、その当時もそれから長い間も、同じ横浜市民でも、当該沿線以外の住人以外は利用しにくい路線でした。
なにしろ、横浜駅の中でも乗り場は隅の方にあって、横浜駅が改良される前は偉く乗り換えにくい場所にありましたから。


いっぽう、運転免許試験場という場所は、駐車場や駐輪場はあるものの、車やオートバイでも行きにくい場所です。
なにしろ、最寄りの高速道路は年がら年中渋滞していることで有名な、国道16号線の保土ヶ谷バイパスですから。
最初の更新だったか、更新可能期日ぎりぎりに二俣川へオートバイで行って、免許センター手前で速度違反にて捕まったことがあります。
きけば、自分のような慌てて更新に向かう人間をつかまえるために、運転免許センター近くの道路では、頻繁に取り締まりが行われているのだとか。
私はまんまとその手にひっかかってしまったわけです。
免許の更新ですら、というよりは、更新ならなおさら、運転が雑になる自分に嫌気がしました。


その後四輪車に乗るようになっても、折りたたみ自転車と出会う前は、車の運転は雑なままでした。
雑な運転をするには「らしくない」車に乗るようになっても、いつも短気な自分が出ないというわけには参りません。
もう身体的なピークが過ぎたと自覚できる40代手前のタイミングでブロンプトンと出会い、公共交通機関と折りたたみ自転車の組み合わせがとても楽しいことを知り、自転車の運転者目線で車やオートバイを見るようになってから、自分の運転への内省がはじまるようになりました。
だから、自分のことを優良運転者だなどとこれっぽっちも思っていません。
気の短い人間が、たまたま環境や周囲の人たちの助けを借りて、なんとか違反しないで済んでいるだけで、また車のみの生活に戻ったら、イライラして速度超過などすぐに起こすのではないかと思っています。
世間には、自転車走行のマナー違反をあげて、自転車運転手にも免許制度をと叫ぶひとがおります。
そういう人たちは、大概自分が自転車に乗れない、或いは乗る気のない人たちですが、


もちろん、自分もいつまでも車やオートバイの運転ができるなどとも考えておりません。
免許を返納するタイミングを考えると、このまま健康でいられたとして、どんなに遅くても後期高齢者と自分が呼ばれる75歳くらいが限界だと思っています。
その時になってみないと分からないから、気持ちよく返納できるかどうか今の時点では自信がありませんが、それでも少なくともゴールド免許が取れなくなってから2ないし3回の免許更新が限界だと今は勘定をしております。
世の中には、長寿が当たり前になったのだから、一定年齢に達したら運転免許は交付されない形にしたら良いという意見があります。
これを言う人は、自分がいつかは年老いるということを棚上げにしておいて、そう言っている人が多いと私は思います。
そういう人に限って、いざ自分が当該年代に達したなら、色々な屁理屈をつけて免許を返さずに運転を続けるのではないでしょうか。
上述のように、自分のこととして考えるのなら、とてもそのような意見を言う気に私はなれません。


対して、今現在後期高齢者になってもまだ自分の都合で自動車やオートバイを運転し続けていて、今後も免許を返納する気のない方々は、危険と隣り合わせの自己という存在だけでなく、それが後の世代に対してのツケになっているという自覚が足りないのではないかとも思います。
もう5年前のことなのですが、前回の更新手続きを思い返していると、自然にその頃の自分を思い出しました。
あの時の生活状況とか、周囲の環境を思い出すと、現在よりも辛いものがありました。
よくよく見てみると、当時警察署で撮影された免許証の写真も、かなり暗い表情をしています。
というのも、今持っている免許証の前のゴールド免許をもっていた期間、すなわち、10年前から5年前にかけては、ずっと昔のことを蒸し返されて、個人の人格攻撃をされてた時期と重なるのです。
私自身はそんなことにくよくよしていても仕方ないので、その出来事は忘れるようにしていたのですが、蒸し返された過去とは、そこからさかのぼることさらに18年前の出来事で、そうした行為を何年にもわたって続けてきて、最後は私を社会的に葬ることで、自分のエゴイズムを満たし、あわよくばひと山当ててやろうという醜いひとたちに囲まれておりました。


彼らは自分たちが70歳をゆうに越えているのに、複数台の車を所有し、運転ができることを自慢しながら、私が世間でいわれる「立派な」車を所有し、運転していることをもって「過去に対する反省がない」と攻撃材料のひとつにしていました。
私は当時既に車から折りたたみ自転車に移動手段の中心をシフトしていましたし、車に頼ろうにもその車が15年選手だったので、故障が多くあまりマイカーを使うことはできなかったにもかかわらず、兎に角目に見える事情だけをもって、「車の所有をやめろ」と繰り返し迫られておりました。
私の過去や内面と、所有している車や免許を得て運転している事実は何の関係もないことなのに、なぜそれを攻撃材料にするのかがわからず、ことばの暴力をむき出しにしてくる相手には、もはや口舌をもってしての話し合いは無理と考え、何を言われても無反応を通すことに決めていました。
彼らの私個人を攻撃する真の目的が、他人の財産を略取することだと私は知っていたので、表面上は正義を振りかざしながら、実は自己の利益を追い求める人間の浅ましさに、ただただ呆れるばかりでした。


そこに起きたのが、後期高齢者の運転手が起こした世間を騒がせる悲惨な事故でした。
私を攻撃していた人間は、インテリ的な自己の地位を他者批判に利用していて、その時点で後期高齢者になるタイミングを目前に控えていましたので、あの事故が大々的に報道されたその頃、私を個人攻撃しながら車の運転自慢をしていた彼らのことがチラッと頭をかすめました。
ほぼ同じころ、私の身近にいる後期高齢者になったばかりの人が、潔く自分から運転免許を返納するのに立ち合いました。
そんなことが重なったため、自分はこの先どこまで車の運転ができるだろうと考え、そのことを当時のブログに綴ったことを思い出しました。
今読み返すと、かなり苦しそうな文章が並んでいます。
その当時、私が「力で人を支配できる人たち」と題して書いた記事の最後に載せた祈りの文言をここに再掲しようと思います。
同じ言葉を並べても能が無いので、「子ども」を「相手」に、「大人」を「私」に変えて書き出してみます。


神さま、もっとよい私にしてください。
 
相手の言うことをよく聴いてやり、
心の疑問に親切に答え、
相手をよく理解する私にしてください。
 
理由なく相手の心を傷つけることのないようにお助け下さい。
 
相手の失敗を笑ったりせず、相手の小さい間違いには目を閉じて、
よいところをみさせてください。
よいところを心から誉めてやり、伸ばしてやることができますように。
 
私の習慣や判断で、相手をしばることのないように、
相手が自分で判断し、自分で正しく行動してゆけるように、
導く知恵をお与えください。
 
感情的に怒るのではなく、正しく忠告してやれますように。
道理にかなった希望はできるだけかなえてやり、
彼らのためにならないことは、やめさせることができますように。
どうか意地悪な気持ちを取り去ってください。
私がまちがったときには、きちんとあやまる勇気を与えてください。
 
いつも穏やかな広い心をお与えください。
相手と一緒に成長させてください。
 
相手も私も生かされて愛されていることを知り、
他の人々の祝福となることができますように。


もとはルイス・カンガスさんという聖職者の、子どもを養育する大人に向けた祈りですが、自己を圧迫しようとする人たちに対する祈りとして応用できるのではないかと思って載せていました。

(つづく)