問いそのものが答え | 旅はブロンプトンをつれて

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ブロンプトンを活用した旅の提案

「なぜ山に登るのか」という問いに対して、「そこに山があるからだ」と答えたのは20世紀初頭のイギリスの登山家、ジョージ・マロリーでした。
でもこの言葉は正確には、「なぜ(当時は誰も登頂したことのない)エベレストに登りたかったのか?」という質問に対して、「そこにその山、つまり(という前人未到の)エベレストがあるからだ」(“Because it's there.”)と答えただけで、哲学的な意味合いはなく、「誰も登ったことのない世界最高峰があるのだから、登山家だったら誰だって登りたくなるだろう、そうは思わないかい?」くらいの意味合いだったそうです。
1924年6月、エベレスト登頂を目指す第3次遠征隊に参加した彼は、標高8,230mの第6キャンプを出たまま行方不明になり、75年後の1999年に、頂上直下北側の斜面で遺体が発見されました。

日本では「そこに山があるからだ」と誤訳されています。
だから「もし山が存在しないのだったら登りようがないが、せっかくあるのだから登らない手はないじゃないか」という意味にとるひともいれば、「ずっと平坦な道を前進していったらたまたま山があった、その先へゆくには山に登って向こう側へ降りるしかない、だから登る」という意味にとる人もいて、色々な解釈が可能になっています。
しかし、たとえ山があっても、迂回して進めば登らずにすみます。
現代の技術であれば、トンネルを掘って下をくぐるということも出来ましょう。
(膨大な時間とお金がかかりますが)
さらに、飛行機に乗って山を飛び越えることだってできます。

しかし、いずれにしてもこの問いはそこに山があるからこそ、「なぜ登るのか」という問いが成立するのであって、もしもこの世の中に山というものが無ければ、問いそのものが成立しません。
登山をしたことのあるひとでしたら、誰でも経験することだと思うのですが、「よし、がんばって山頂を目指すぞ」と意気込んで歩き始めたものの、だんだん傾斜がきつくなり、いっこうに頂上が見えない、頂上に近づいている気配も無い時、「なんで山に登ろうなんて思ったのだろう」と後悔したことがあると思います。
しかし、その時点ではすでにかなりの距離を登ってきてしまっているので、いまさら登山を中断しておめおめ戻るわけにもゆかず、仕方ないから挫けそうな心を奮い起こして山頂を目指して登るわけです。
で、ブツブツと同じことを自問しながらもなんとか頂上に辿り着いたら、今までのモヤモヤが一気に吹き飛んで「来てよかった」となるのではないでしょうか。
もちろん、登ったら後悔する程度に高い山に自分の足で登頂した経験のない人には分からないと思います。

これと似たような気持になったのは、旧道を歩いた時でした。
日本橋から東海道を辿り、正味4日かけて小田原にたどりついて、そこから5、6日目で箱根峠を越えて、そのあたりからあとには引けない気持ちになったと先般このブログに書きましたが、静岡県に入って右手に富士山をみながら富士川を目指して延々と直線に近い県道を沼津から富士に向って歩いている時に、既に後悔がたって「なんで旧東海道を踏破しようなんて考えたんだろう」という自問がはじまりました。
この問いは夏の間に東西に長い静岡県を抜けて、秋に伊勢湾を佐屋街道で迂回して、冬の鈴鹿峠を越えて滋賀県に入っても、ずっと続きました。
続くどころか、どんどん頻繁になりました。
しかし、明確な答えはまったく見つかりませんで、ただ「何で前に向って歩くのだろう」と何度も自問しながら「それでも前進あるのみ」と、ひたすら歩いたのです。

司馬遼太郎著『世に棲む日日』の前半にはこんな記述があります。
「松陰はうろうろ歩いている。
二十歳の九州旅行いらい、まるで歩くことが商売のようだ。歩くがために脱藩という大罪をおかし、召し放ちになってもこのように性懲りもなく大和路を歩いている。
それが松陰にとっての大学であった。」
私の場合、大津宿を過ぎて逢坂峠を越え、山科盆地に入る頃には、もうすぐこの自分への問いかけができなくなってしまうと思うと、無性に寂しくなってきました。
事実、京都市に入ってゴールが間近に迫ってくると、もう「私はなぜ歩くのか」という問いを発せなくなっていたからです。
それは、京都まで歩くという目的が達成されてしまったら、もう歩く理由を問う必要がなくなるからでしょう。

それは三条大橋に着いてもうこれ以上歩く必要がなくなった時にはっきりしました。
要するに、「なぜ私は歩くのか」という問いに対する答えは、問いそのものを発することだったのだと。
つまり、歩きながら問うているその瞬間瞬間が答えであったのだと。
これは禅問答ではありません。
読書も同じです。
テレビなどにおいて、評論家気取りで意見を言う人の話に耳を傾けたり、学識者を自認しているような人間の書いた本を読んだりする暇があったなら、何百年もの時を越え、場所を越え、言語の違いを越えて今に伝わる古典を読んだ方が良いと常々書いてまいりました。
読んですぐには何が書いてあるのかわからなくても、やがて「この作者は何を言わんとしているのだろう」という問い自体が答えになる時がいずれ来るから。
時と場所を越えて様々な人に読み継がれて今に伝わる本というのは、数版重ねただけで絶版となり、二度と出版されないちっぽけな虚栄心で書かれた本など比較にならない、風雪に耐えた価値をもっていて、それが今入手できるということには、はかり知れない深い事情があると思うのです。

何かを学ぶこと。
誰かを愛すること。
人間としてより善く生きようと努力すること。
「そんなことは考えるだけ無駄」とせせら笑う人が大勢おりますが、実はみな、「私はなぜ学ぶのか」「私はなぜ自分ではない他人を愛するのか」「私はなぜより善く生きるのか」というその問い自体が答えになるときが、人生においていつか来るとこの年齢になって感じています。

そもそも、自分さえよければ他はどうでもよいと享楽的に生きている人間にとって、最初から問いそのものがないのだから、答え自体もあるわけがなく、そんな人の意見に引き摺られる必要は全くありません。

彼らは自分たちこそ現実的だと思い込んでいますが、実際は全く地に足の着いた生き方をしていないと思います。
私は周囲の人たちから慰められたい、理解されたい、信頼されたい、愛されたいと思う人間から、周囲の人を慰めたい、理解したい、信じたい、愛したいと思う人間に変わりたいと思った瞬間から、この「問い自体が答えだから問い続けることが大切」という形而上学的な問題をいつも心の礎石に据えていようと思います。

上述の通り、この問い自体が答えになるという感覚は、知識を貯め込んで答案に吐き出すことが答えだ、そうすれば人生は誤ることなく、正道を歩いて行けるなどと教えている自称教育者たちには絶対に理解できません。
ここで「歩くことが松陰にとっての大学であった」という司馬遼太郎の言葉が具体的になるでしょう。
歩いて見聞を広めることももちろんですが、歩くこと自体に問いと答えがある。
それは本を読むことも、何かを学ぶことも、ひとを愛することも、人間として生きることも皆同じ。
もちろん、ブロンプトンをつれて旅をすることもです。
そんな問いを発すること自体に意味が無いという人たちのことは放っておき、問い続ける生き方にスイッチしてみませんか。

遠藤周作が書いたように、どんなにつまらないことや、世間ではマイナスと思われていることにも、すべてにおいて価値があり、その価値を見出せるかどうかは自分次第なのですから。
拙文の言わんとしていることはよくわからないけれど、なんだか気になるという方、問い続けているうちに、問いかけ自体が答えだという感覚を、いつかきっと見つけられるようお祈りしております。