旧甲州街道にブロンプトンをつれて 14.小原宿(神奈川県相模原市緑区) | 旅はブロンプトンをつれて

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ブロンプトンを活用した旅の提案

旧甲州街道は、神奈川県相模原市緑区にある底沢橋から国道20号線を西へ向かいます。
すぐ右手に神奈川中央交通バスのバス停がありますが、相模湖駅行きなら毎時1本ほどあるものの、駅まで国道を歩いても2㎞ほどなので、到着時刻まで20分以上あれば待っている間に歩いてしまった方が早く着くと思われます。
反対方向で便数の多い三ケ木(「みかげ」と読みます)行きは、乗り換えて橋本駅に出るのに時間がかかる(三ケ木バスターミナルまで12分ですが、乗り換えて橋本駅まで30分以上、実質合計1時間以上かかります)ので、容姿が自分に似ていると言われる某タレントさんのような乗りバスマニア以外にはお勧めしません。
なお、八王子駅行きは便数が少なくて利用しにくい旨は前回書いた通りですが、ご注意いただきたいのはここが神奈川県だということです。
日本橋から小仏峠までずっと都内を横切って、峠越えで相模川水系の奥に下ってきたので、感覚的には同河川の源流部が富士吉田市であることを考えれば、山梨県に来たような錯覚に陥りがちですが、神奈川県ですからバスも小田急系列の神奈川中央交通バスなのです。


この点を忘れていると、高尾駅前から便数の少ない相模湖駅行きバスを利用して大垂水峠やここ底沢を目指そうとしても、高尾駅北口駅前広場でいくらバス停を探しても見当たらないということになります。
実はこの相模湖駅~八王子駅間の神奈川中央交通バスは、大垂水峠から東の区間は越境運行して(だから便数が少ない)おり、京王バスや系列の西東京バスで停留所が占められている高尾駅北口の駅前には入りません。
高尾駅北口から「八07系統相模湖駅行き」の神奈中バスに乗車しようとしたら、国道20号線に出て90mほど八王子駅方面に戻ったところにあるバス停から乗車しないと乗れません。
(但し、京王線の高尾山口駅の駅前には、同系統は乗り入れています。)
高尾駅北口のバス停のうち、なぜか小仏行きの高01系統だけが京王バスで、ほかはすべて系列の西東京バスであることと併せて、路線バスの旅マニアでない自分も興味がわきます。


底沢橋から西へ向かって国道20号線を280m走ると、右側に相模原市が運営する小原(おばら)の郷があります。
小原宿の歴史が紹介され、古文書などが展示されています。
小原宿は、日本橋から数えて9番目(布田五宿をそれぞれ数えると14番目)の宿場で、ひとつ先の与瀬宿と併せてひとつの宿場として数えられておりました。
山がちな甲州街道にはこのような幾つかの宿場をまとめてひとつという存在の宿駅が、これからも続きます。
さらに国道を西へ160mゆくと同じく右側にあるのが、小原宿本陣です。
跡ではなく、本陣の建物が残っています。
旧東海道の旅では、豊橋市の二川宿(一部のみ)と、草津市の草津宿にしか本陣の建物は残っていませんでしたが、東京から近いこんな近郊部に残っていたとは驚きです。
入母屋造りの広壮な建物ですが、大名行列の通過が格段に少ない甲州街道の本陣ですから、旧東海道のそれとは違い、ずい分と素朴な「山宿」といった佇まいです。


数年前の初夏の朝に小仏峠を越えた後に小原宿本陣に立ち寄ったことがあります。
正面には屋根のついた立派な門があります。
江戸時代はこのように外構はその建物や主人の身分にあわせて決められていました。
勝手に分不相応な門構えなどをこしらえたら、それだけで罪に問われる時代だったそうです。
もちろん、この門をくぐれるのはお殿様だけで、家来や家主は脇の木戸を使わねばなりませんでした。
今は観光客も城郭の大手門から堂々と入場できますから、良い時代になったものです。
せっかくですから中に入ってみましょう。
外は汗ばむほどの暑さでしたが、なかは冷房もないのにひんやりしていました。
入ってまず目につくのが、大名駕籠のレプリカです。
つづいて、旧東海道の本陣に比べればずっと狭いですが上段の間があります。
そこから枯山水ながら、築山や池のあるお庭も見えます。
その他台所や納戸など、コンパクトかつ機能的にまとまっており、ここはお殿様専用の山のヴィラといった風情です。


屋根裏にも展示があるので登ってみましょう。
当時利用されていた階段は急すぎて危険なので、「あぶのうござる、ここからはあがれませぬ」の張り紙で封印されていました。
「武士語…」と絶句しながらのちに作られた階段をあがりますが、こちらでもかなり急です。
屋根裏には当時の食事のしつらえや、糸車や機織り機、脱穀や精米などの家内で使う設備、そして農機具や山仕事の道具などが展示されていました。
ここもおそらくは養蚕を行っていたことでしょう。
機織り機をみていると、カタンカタンという音が聞こえてきそうです。
また、木製の背負子など、現代のアルミ製フレームの背負子より、はるかに重量のあるものを楽に背負えそうです。
こちらの方が、畳んだブロンプトンを楽に固定して山歩きができそうですが、問題は里に下って駅まで走り込んで電車に乗ったあとです。
こんな背負子を背負って鉄道を利用する人は、見たことがありません。
枝打ちや伐採に使用したはずの鉈や大鋸などはとても大きくてごつくて、これを昔の小さな人が使ったかと思うと、どこまで力持ちだったのだと思います。


小原宿本陣跡を出て、国道を右(西)方向に向かいます。
本陣から先にも、旧街道らしい建物がいくつか残っています。
旅籠跡の石碑もあって、やはり小仏峠を越えて最初の宿場ということで、往時は賑わったのだと思います。
こんな場所に宿泊したら、夜はさぞかし静かだろうと想像します。
(もっともかつての大垂水峠は走り屋たちのメッカでしたから、夜中まで煩かったと思われます)
250mほど直線のさき、最初の右カーブの左側に、国道から一段下にあるグラウンドへ下る坂道があります。
車止めのために蛇腹の門が設置されていますが、歩行者や自転車は脇からすり抜けることが可能です。
グラウンドを突っ切って向かい側の出入り口から道へ出たら、右折して坂を登り、国道に復帰します。
ここは平野といいます。
高架道路の下をくぐりますが、これは中央道相模湖東出口から国道へ出るためのランプウェイです。


相模湖東出口は下り線のみの片側インターチェンジですが、八王子方面から来てここでおりれば、小原宿や大垂水峠、高尾方面へは渋滞を避けられますし、この先西側にある渋滞の名所、相模湖駅前交差点でも左折して相模湖公園やプレジャーフォレスト、三ケ木から道志川を経て山中湖方面、津久井湖方面へゆくのも便利です。
あれ、自転車の旅をご紹介しているのに、なぜマイカーネタを書いているのでしょう。
これは徒歩旅行でも言えることですが、車やオートバイなど、ほかの乗り物を利用した場合のシミュレーションをすることはとても大事です。
自転車で走っていても、渋滞箇所やそれをさけて旧道などを抜け道として利用しようと侵入してくる車など、彼らの行動パターンを知るうえでも、そして自分がハンドルを握る時に、歩行者や自転車に注意するうえでも必要です。
運転免許など持っていなかったとしても、自分を守るための要素になります。


実際、ブロンプトンに乗るようになってから、車の運転は慎重かつ穏やかになりました。
若い頃、私は歳をとったら性格は自然に丸くなると予測していたのですが、どうもそうではないようです。
運転が荒かった人は、たんに勢いが落ちるだけの話で、ますます雑になってゆくようです。
若いうちから丁寧な運転を心がける人は、ますます慎重になり、最後は自ら免許を返納するようになるのだと思われます。
私は間違いなく前者なので、ブロンプトンに乗るようになって車やオートバイを運転する機会が大幅に減ったのは、むしろ喜ばしいことなのかもしれません。
僅かな機会をとらえて、慎重で丁寧な運転を訓練できるようになりしたから。
人間、いつかは今持っている能力を手放さねばなりません。
その時、素直に手放せるようになるためにも、若いうちからの準備は必要です。


一旦九ラウンドにくだってから坂をのぼって国道に復帰したら、左手にある横断歩道を渡って、お向かいにある坂を登ります。
けっこうな傾斜ですが、小仏峠を越えて来たなら乗って登れるでしょう。
前述の相模湖東出口を右手フェンスの向こうに見ながら急な坂道を登り切ってくねくねと下ってゆくと、国道から430m先の右上に、江戸中期造立の小さな地蔵尊など祠が2つ並んでいますが、夏などは藪に隠れて登り口の階段しか見えません。
さらにそこから90m先の、アパートや住宅が増えてゆくところで左に大きくカーブしてゆく際に、鋭角に右折して中央道下をくぐる道が分岐しています。
ここを右に入って30m先の隧道手前右側の階段をのぼれば、中央道下り線の相模湖バス停であり、隧道をくぐった100m先、やはり右手の階段をのぼれば、中央道上り線の相模湖バス停です。
急な天候の変化など、山あいにありがちな事態に備えて、高速道路のバス停をチェックしておくことは、旧甲州街道を折りたたみ自転車で行こうとする者にとっては大切なことです。


それだけではなく、下り線の高速バス停からは、石和・甲府行きと山中湖・河口湖行きの高速バスが発車します。
旧甲州街道をお散歩するのに、小仏峠を越えた後に、上野原宿、野田尻宿、猿橋宿へワープする場合、高低差のある中央線の各駅よりずっとアクセスが楽です。
また、上り線の高速バス便の方は中央道日野、府中、三鷹バス停と、それぞれ日野宿、多摩川サイクリングコース、仙川沿いの道に戻るのに便利です。
このように、甲州街道と並行するJR中央本線と、中央道の高速バスは所要時間と運賃の多寡で競合関係にありますが、ブロンプトンを活用してこれら公共交通機関を利用する場合、駅とバス停の位置関係や、ブロンプトンでの走り出しやすさ、そこから自宅を含む目的地までのルート想定を含めて、どちらが有利か天秤にかけて勘案すると面白いです。
一律に、鉄道は運賃が高いから利用したくないとか、高速バスは混雑している時は乗れない可能性があるし、ブロンプトンの置き場所に困るから除外するというのではなく、あらゆる可能性について考え、そして試行錯誤を繰り返しながらも自己にとってぴったりの手段を選ぶことは、旅も人生も一緒だと思います。


旧甲州街道はそのまま大きく左カーブを切ったのちに南方向へ下り坂となり、平野から680m先の坂の途中、右手の幅が狭い階段を下ります。
階段の入口に字が滲んだ小さな木札があるだけですから、ゆっくり走っていないと見落としてしまいます。
もちろん、自転車を抱えて階段を下ります。
20m三十数段ほどの短くて緩い階段ですが、既に日本橋を出立してから東京駅構内も含めて3カ所も動力付きの車両が通れない区間が出てきてしまいました。
この点では、旧東海道よりも旧甲州街道の方が、より車やオートバイで踏破するのには向いていないと言えましょう。
但し、車両が走れる旧東海道でも、一方通行や右左折禁止、箱根石畳道や鈴鹿峠越えなど、車両が走れない区間は多々あります。
その意味でも自転車による旧街道の完全踏破には、電動アシスト自転車など重量のある車両や、分解しても嵩が張って背負って歩きにくいスポーツタイプの自転車より、畳むとコンパクトになる折りたたみ自転車の方が向いていると思われます。


短い階段を降りた後、正面に中央本線の相模湖駅を見ながら坂を下ります。
大きく右手にカーブした後、階段下から90m先の四つ角を右に曲がると、200mで相模湖駅前の広場に出ます。
JR相模湖駅からは、もっとも閑散とした日中でも1時間に2本ほどの列車があり、運が良いと東京駅直通の列車に乗ることもできます。
お隣の高尾まで8分、八王子まで正味16分、立川36分、新宿54分です。
こうしてみると、時間の正確性、速達性はやはり高速バスよりも分があると思われます。
旧甲州街道に戻り、四つ角から170m南へ進むと、相模原市立桂北(けいほく)小学校北側の、国道20号線与瀬歩道橋脇で国道に突き当たります。
次回はここから、次の与瀬宿についてご案内したいと思います。