青梅街道をゆく ブロンプトンで柳沢峠越え(その9) | 旅はブロンプトンをつれて

旅はブロンプトンをつれて

ブロンプトンを活用した旅の提案

登戸駅始発電車に乗るべく家から走ってきて、予定通り4時過ぎに到着したのち4時から朝食が食べられるファストフード店で朝食をいただき、そして駅前広場お向かいのコンビニで登坂中の食料も買い込んだのですが、まだ出発の4時39分までは時間に余裕があります。
そこで、少しの間駅を観察することにしました。
通勤時もそうですが、ブロンプトンに乗るようになってから、とくに朝は時間に余裕ができるようになりました。
大概の人は、自転車通勤をしたら通勤時間がタイトになると思い込んでいますが、実際は逆です。
理由はこのブログを丁寧に読んで下されば分かると思います。
健康の為にも、前向きに仕事をするためにも、そして何よりも心の落ち着きを保つためにも、ブロンプトンは有効ですよと申し上げておきます。

ちょっと不精して、ブロンプトンをたたまないまま駅前のエレベーターにのって2階にゆこうとしました。
鎌倉に通っているときは、電車に乗るために駅のエレベーター前まで走り込み、エレベーターのなかでブロンプトンをたたみ、降りるときはたたんでカバーをかけた状態で改札口にむかうということをよく行いました。
その場合、エレベーターの中ではそっと自転車をたたまねばなりません。
万が一「ドシン」と振動が伝わるようなことをしたら、直ちにブザーが鳴って止まらなくなります。
だから、エレベーター内ではそっと優しく、ブロンプトンについて、まるで腫物を扱うようにたたまねばならないわけですが、それがまた楽しかったりするのです。

今回も「時間があるけれど、エレベーターの中でたためばいいや」と思って乗り込んだのです。
この場合、小さなブロンプトンは小さなエレベーターの搬器にも収まってしまいます。
すると内部のスピーカーから「自転車で乗らないでください」と男の人の声が響きました。
おそらく、24時間リモート監視をしている警備会社の人でしょう。
こういう場合、折り畳み自転車の曖昧さが仇になります。
私は天井に設置されているカメラに手を合わせて「ごめんなさい」をしてから、素早く自転車をたたんでから、把手を曳いて2階のコーンコースに降り立ちました。
それ以上何も言ってこなかったので、分かってくださったのでしょう。
改めて小田急線への通路を眺めてみると、かつてとは違って明るく広々としています。
昔は切符売り場や緑の窓口の前を通るので、そこに並んでいる人たちとぶつかったりしていました。
それくらい、南武線と小田急線の乗り換えはシビアだったと思います。

とくに朝の通勤時間帯においては、1本電車を乗り過ごすと、次の向ケ丘遊園止まりの電車とか、相模大野駅まで各駅停車に連絡しない急行電車とか、酷いときはお隣の向ケ丘遊園に悠々と停車するロマンスカーのさがみ号とか、学校のある駅に停車する電車は20分もさきまでないということがざらにありました。
そして、やっと待って乗ったその電車は、自分の学校だけでなく、他校の生徒でもあふれかえっており、上り新宿行き電車同様の「ガラスが割れるのではないか」という具合にまで混雑しているのでした。
だから、中学1年生の途中から、始業ぎりぎりの電車を利用するのは中止して、朝6時台前半の、ホームに人がまばらな時間帯の電車に乗って学校にゆくようになりました。
当然、学校に行っても玄関は開いていないのですが、似たように朝の混雑を避けて登校してくる同級生が校舎前にたむろしていて、女子には「おはよう」の次の言葉が続かない私も、その時間に何かを期待して早めに登校していたのでした。
そんなわけで、授業中はよく舟を漕いでいましたし、学校の成績も芳しくないのでした。
私が本当に要領の良い子どもだったら、その玄関先の時間を利用して単語カードをめくるなり、成績の良い子に「今日のテストどこが出題されるか知っている?」なんて持ちかけたりしたのでしょうが、あいにくそのような立ち回りの良さは持ち合わせておらず、男子とふざけながら、ひたすら女子の気配を背中で感じている、ダメダメな生徒なのでした。

あれ、なんで登戸駅の話からそこまで脱線してしまったのでしょう。
きっと最近昔を思い出すことが多いからでしょう。
小田急線からくる乗り換え客とともに、今度は南武線の改札をくぐり、南武線の下りホームに向かいます。
JR側の登戸駅は、川崎方面の上りホームが島式で2線、下りは1線の変則的なプラットホームです。
こちらは学生時代について、帰宅時の思い出が多いです。
先発の立川からきた混雑している川崎行きを避けて、後発の登戸始発川崎行きの電車に乗って待つ間、「ポールダンスごっこ」をしました。

当時の南武線の車両はマルーン色をしている古い車両で、ドアの開口部付近に一本の手すりが床から天井までを貫いていたため、これを利用してハリウッド映画でみたポールダンスの物まねをよくしたものです。
「ヒューヒュー」なんて言いながら、おひねりのつもりで座席(客席)から飛ばした紙飛行機(実は学校で配られたプリント)が、リズムに乗って投げキスをするダンサー役の子の眉間に当たってしまい、本気で車両とホームを追いかけまわされたこともありましたっけ。
週末のクラブ活動の行き帰りなんか、かの「神奈川ギャンブルライン」とあだ名された路線の車内は、片耳に赤鉛筆さして、もう片方の耳はラジオのイヤホンで塞がれたまま、スポーツ新聞を読んでいるおじさんが多く、そういう新聞のこちら側、つまり中学生の私たちの見える側には、かなり煽情的な写真や絵が載っていたと記憶していますから、照れ隠しだったのでしょうね。

電車の屋根越しに赤く染まる朝焼けをみながら、立川行きは出発しました。
稲田堤から先は府中本町までの間、南武線は高架になります。
車窓からは朝日が昇ってくるのがよくみえました。
青梅街道もそうですが、旧甲州街道をたどる際も、この南多摩~府中本町間にかかる南武線の多摩川橋梁と、立川から乗り換えた中央線の日野駅までの間に架かる多摩川橋梁からの眺めは、朝日や朝焼けだけでなく、上流方にみえる丹沢、奥多摩、奥武蔵の山々の眺めも素晴らしいものがあります。
とくにこれから冬場になって空気が澄んで、山の峰々に白いものが目につくようになると特にです。
3時台に起きていて、本来はねむりたいわけですが、朝ごはんをたべて元気が出たところなので、目をつむっていても、なかなか寝落ちはできません。
南武線始発電車は、「東京ギャンブルライン」の乗換駅でもある府中本町で多少乗降はあったものの、立っているひとはほとんどいないまま、5時07分に立川駅に到着です。

今日はいつも乗り換え時間が1分しかない中央線ではなく、5時14分発の青梅線青梅行きに乗り換えるため、余裕があります。
青梅線は10両で、ガラガラでした。
おそらくは折り返しの上り電車になる時に混雑するのでしょう。
青梅駅までの間も、寝ようにも眠れません。
しかし、こうして電車の中で静かに目を閉じて瞑想しながら祈りを捧げるというのも、朝のお勤めとしては善いと思われます。
車を運転しながら「1分でも早く」と黄色信号を突っ切ったり、前をノロノロと走る車に舌打ちなどしたりするよりも、よほど心は平安でいられますから。
しかも下り方向ということを差し引いても、5時代前半の電車は座ってゆっくりしてゆけます。
乗ったことのない人はぜひお試しあれ。

青梅駅ではお向かいのホームに停車している6両編成の奥多摩行きに乗り換えです。
こちらも金曜日の朝という事もあって、人はほとんど乗っていません。
電車が走り出すと、単線の線路をくねくねと、多摩川の渓谷に沿って奥へ奥へと進みます。
それにしても、つい先日自転車で走った国道411号線を車窓下に見ながら、その時のおさらいが電車の中でできる尺取り虫方式の旅は、一見旅行に比べて旅の内容が濃密になります。
よく旧街道のことについて、「どうしてそんなに細かいところまで記憶しているの?」と訊かれることがあるのですが、「何度も行ったり来たりしているから覚えてしまう」と答えると、相手は怪訝な顔をします。
きっと、そういう種類の旅をしたことがないのでしょうね。

学問だって同じです。
以前専門学校の先生が、予復習するまえに、かならず目次をみてそれまで学習したことを反芻してからその日の学習に取り掛かることを薦めていましたが、これも尺取り虫方式学習法とでもいいましょうか。
記憶を定着させるには有効です。
(その代わり、教科書の最初の方だけが異様に詳しくなり、後ろに行くにしたがって記憶が薄れるという弊害はあるものの、大概の教科書は重要なことから順に書かれているので、それで良いのだと思われます。)
旅行会社の皆さん、商機ですよ。

6時25分奥多摩駅に到着です。
登戸駅を4時39分に出てから、2時間弱。
奥多摩はやはり遠いのでした。
やはり前泊したほうが体は楽だったかなと思いましたが、今日は本格的な山登りではなく、「坂登り」だからこれで良いのでしょう。
それにしても空気がおいしいのです。
トイレだけ済ませて6時35分発鴨沢西行きの西東京バスに乗車して出発を待ちます。
乗車距離に応じて運賃が漸次あがってゆく多区間運賃制なので、乗車時に交通系ICカードをタッチしておきます。
心配していた混雑ですが、私の他は数人しか乗車していないので、私も座席わきにブロンプトンを固定して、ゆっくり車窓を楽しむことが出来そうです。
やがて運転手が乗り込んで出発です。

バスはつい先日私がえっちらおっちらとブロンプトンで登った坂道を、エンジンをうならせながら登ってゆきます。
次のバス停を知らせる音声とともに、前面上に設けられた運賃表示が、バス停の名前を漢字、ひらがな、英語、中国語、韓国語で示すので、つい見入ってしまいます。
きっと奥多摩にハイキングに来る外国人が多いからなのでしょう。
これから紅葉のシーズンに入りますが、以前柳沢峠から下って来た際に、奥多摩むかし道に入ったら、外国人の多さに辟易としたことがあります。
こんなマイナーな旧道までインバウンドの観光資源になっているとは、前々知りませんでした。
この調子だと、奥多摩駅前や鴨沢バス停前にある山宿も、下手をすると同じ状況かもしれません。

バス停の名前もかわっています。
弁天峡、琴浦、桃ヶ沢、水根、あずまい、小袖川というように、ロマンチックな名前や奥ゆかし気な名前があるかと思えば、熱海、湯場、女の湯(めのゆ)など、奥多摩湖の湖底に沈んだ小河内村には、かつて温泉があったことを示すバス停名があります。
(実際にお湯を供給する施設があることは、先般ご紹介した通りです)
皆さんは、次のバス停名を読めるでしょうか。
「桧村」、「惣岳」、「留浦」。
答えは、「ひむら」、「そうがく」「とずら」です。
地名は難しいですよね。
わたしは「ヒムラー」「そうだっけ?」「とんずら」と親父ダジャレしか思い浮かびませんでした。

しかし、バスの窓からみる奥多摩湖は、目線が高いせいか格別です。
マイカーやオートバイに乗っている人も、この位置からの景色には触れることはできません。
私が以前にアイポイントがトラックみたいに高い車に乗っていたのも、車から見える風景が全然違うからでした。
それをさいごまで理解せず、見得からだと思っていた無理解者たちがいましたが、あの人たちに路線バスからの車窓の美しさを言っても、馬の耳に念仏でしょう。
外車だから、高級車だから云々という人たちには、旅の美しさをいくら説いたところで分からないわけで、そういう人と旅をするくらいなら、こうして早起きして湖面の美しさに感嘆しているほうが、精神衛生上ずっと有意義です。
ブロンプトンだって、Mハンドルはアイポイントが高いことが、旅のお供に最高なのは一緒です。

別に英国紳士を気取りたいがために乗っているわけではないのです。
(そういうファッションで乗るのは、もちろん素晴らしいと思いますが)
このブログを読んでくださっている方には、きっと分かっていただけると思います。
鴨沢バス停まででほかのお客さんは降りてしまったので、終点まで乗車していたのは私だけでした。

車返しのある鴨沢西バス停についたのは7時14分。
この時間ですから交通量も少なく、あたりは静かです。
鶯の声が瀬音とともに聞こえてきて、思わず背伸びしてあくびが出てきます。
少しの間ストレッチをしてから、さらに坂道のつづく丹波山村方面をみつめます。
実は次の丹波山村行き下りバスがここを通過するのは7時36分と、22分後。
前回は鴨沢西バス停まで自転車でのぼって引き返したわけで、尺取り虫方式を守る以上仕方がないのですが、次のバスには終点丹波山村まで抜かれたくはありません。
「よしやるぞ」と自分に声掛けしてからブロンプトンにまたがるのでした。