歯の痛みを音楽で癒してみました | 旅はブロンプトンをつれて

旅はブロンプトンをつれて

ブロンプトンを活用した旅の提案

今年5月の下旬から続いている虫歯治療がクライマックスを迎えました。
5月に治療した虫歯とは別に、詰め物がとれて中が空洞になり、根元からぐらぐらと不安定気味になっていた歯があったのですが、それを取り除き、奥に1本だけ残っていたおやしらずを抜いて、そこに挿すという、何やら麻雀牌の並べ替えのような作業が自分の口腔内で行われました。
普段お酒を飲んでいないせいか、それとも医学の進歩ゆえか、やたらと麻酔の効きが良くて治療中は全く痛くありませんでした。
(ただし、顔面の四分の一以上はマヒしてしまい、マスクをしていなかったら涎を垂らしてもわからないほどでした)
1時間半も歯医者さんにいたでしょうか。
お会計を済ませ、薬局に立ち寄って薬をもらい、ブロンプトンに乗って帰ってきても、まだ顔が引きつったままです。
顔面麻痺とはこういう状態でしょうか。
考えてみれば、穴を二つ開けてひとつは塞いだものの、もう一つは開いたままなので致し方ありません。
「この痛みもまた過ぎ去るだろう」などと祈りながら、寝てしまえば意識が途切れるから痛くないはずと早寝を決め込もうと考えつつ、これまでの治療を振り返りました。

(本日の写真は秋から冬にかけてで本文とはとくに関係ありません)
虫歯治療が長引いてしまったのは、それとは別に並行して歯周病治療を行ってきたからです。
なにしろ20年以上歯医者にかかっておりません。
歯茎の奥深くに歯石(プラーク)が固着してしまい、これを歯科衛生士さんが口の中を区分割して、1か月ごとに場所を変えてスケーラーと呼ばれる器具で決められた場所を集中的に除去してゆくのですが、これが根気のいる作業で、麻酔もかけないから抜歯などより痛いのでした。
歯周病については歯磨き粉や歯ブラシのコマーシャルで知ってはいたものの、最近はテレビを全く見ていないこともあって忘れておりました。
歯医者さんではプレゼンテーションソフトとレントゲン、CT写真なども交えながら説明してくださったのですが、歯石を放っておくとそこから毒素が出て、けっこう怖いことになるというお話を伺いました。
もっとも懸念したのは、脳が毒素の影響を受けるかもしれないということ。
部位的に近いので、認知症というのは素人でも想像がつくのですが、動脈硬化を引き起こし、脳梗塞や心筋梗塞などのリスクも高まるのだとか。

そういわれてみて、知り合いに歯磨きを一切せず、家族も匙を投げ歯が失われるままに任せていたら、歯が無くなる以前に認知症に陥ったという人を思い出しました。
あんな風になるのは御免です。
やはり認知症予防は規則正しい生活のなかで、粗食と適度な運動だけでは駄目なようです。
こうなったら毎晩読書しながら歯磨きをしましょうか。
本の中身がよごれそうですが…。
ここのところ歯科衛生士さんから歯と歯茎の間、つまり歯周ポケット呼ばれる歯垢の溜まりやすい場所を重点的に磨く正しい歯磨きの仕方と、歯間ブラシも使った歯ブラシの届かない歯と歯の隙間の磨き方を教わったので、抜歯の傷が癒えて差した歯がある程度安定したら、毎日の歯磨き(特に夜)に精を出そうと思います。
そんなこんなで家に帰って来たものの、強力に効果のあった麻酔が徐々に切れてきたのか、だんだんと外科治療した口腔の奥が痛み出しました。
奥歯に大穴が開いてしまったのですから無理も無いのですが、場所が場所だけに頭痛にも似た痛みが頭全体に広がります。
昔のギャグ台詞に「耳の穴から指突っ込んで奥歯ガタガタいわせたろか」というのがありましたが、そのガタガタが頭にまでまわっている状況です。
もちろん、ブログなど書けません。
こんな時は読書だ!と思い本を開いたのですが、数行読んで「やっぱりイタァイ」と閉じてしまいました。


さてどうしたものか。
こんな時は私的には禁じ手だけれど、YouTube動画で音楽を、それも自分の好きなショパンのソナタでも聴くかと思い、「Chopin」と検索したら、「【ドッキリ】角野隼斗(かてぃん)が韓国の音大模擬入試に紛れ込んでいたら…?」という動画が出てきました。
ああ、これ少し前から「あなたへのおすすめ」に出ていた動画でちょっと観ました。
たしか音大ピアノ科入試模擬試験に角野隼斗さんいう若いプロのピアニストを紛れ込ませて、カーテン越しに本物の受験生に混じって演奏させ、評価者のソウル大女性教授3名が、プロが演奏していることを見破ることができるかどうかというドッキリ企画の動画です。
彼が今月韓国で初めてコンサートを行うのに合わせてつくられた広報企画のようです。
私は角野さんのトライアル演奏がショパンのスケルツォ(第1番Op20)とエチュード(木枯らし Op25-11)だったので食いついたのですが、さすがショパコン(ショパンコンクール)のファイナリスト、学生さんたちとは数段違いの演奏で「こりゃさすがに気がつくだろう」と思っていたら…結末はご自身でご覧になってください。
https://www.youtube.com/watch?v=WTPlp90DvM0&t=513s
彼の演奏は、自分が中学の頃から聴いていたルービンシュタイン(ポーランド人の有名なピアニスト)の演奏によく似ていました。

なお、ショパンのスケルツォのなかで最も有名かつ人気なのは第2番(Op31)ですが、自分はショパンの全作品中最も好きなのがバラードの第4番(Op52)で、大概のレコードやCDは「バラード&スケルツォ」として編集されているので、バラードの第4番の次の曲がスケルツォの第1番と続く関係上、スケルツォも2番より1番の方が聞きなれているのでした。
ついでに今のシーズンの小ネタとして書いておくと、このスケルツォ第1番、2つの不協和音からはじまる激しくてテンポの速い主部から一転して美しくゆっくりした調子に変わる中間部は、カトリックの国ポーランドでクリスマス・キャロルとして歌い継がれる「眠れ 幼な子イエスよ」をアレンジしています。
https://www.youtube.com/watch?v=rSEpUpbarQE
つまり、スケルツォ第1番は今の時期にぴったりの曲なのです。


さて、ドッキリ動画ですが、なんと再生数が500万回を突破した(クラッシック音楽でそりゃ凄い)とのことで、1時間以上にわたる未公開動画もアップされました。
私が印象的だったのは、動画の中において評価者のひとりでドイツに留学経験のある教授と角野さんが、「ショパンの音楽性、つまりリズムやパッセージ、和声の表現方法には独自性があって、それはポーランド語のイントネーションや抑揚に通じている」と、ともに同じ発言していたことでした。
幼い頃、家がピアノ教室だった関係でツェルニーやモーツァルト、ベートーベンなどを耳にしてきましたが、ショパンのピアノ曲はそれらとは別格だと私も思います。
「ピアノの詩人」と評され、パリのサロンで才能が開花したショパンは、病弱だったことと神経質そうな風貌から繊細というイメージがつきまとい勝ちですが、実際はポーランド農民の土臭さ、たくましさが曲中に息づいているといわれます。
幻想即興曲のようなよく好まれるお洒落な雰囲気の曲ではなく、マズルカ(民族舞踊曲)やポロネーズ(フランス語でポーランド風の舞曲)を聴くとよくわかります。
ポーランドはフランスからみたらドイツの向こう、ロシアとの間に挟まれた田舎の国で、しかも国土が平坦(ポーランド=平たい国)ゆえに、両大国から繰り返し侵入され、第二次世界大戦直前には国そのものが消滅し、戦後はナチスに対する抵抗をした戦勝国でもあるのに、国土を削られたうえに西へ移動させられるという憂き目に遭っている国です。
そこからきた人は「おらぁ、花の都パリさ出て来ただ」というような、田舎者として差別されるのだと80年代にフランス人から聞きました。


実際に当時「連帯」が活躍するポーランドを旅してみて、日本のテレビニュースでは北部グダニスクの造船所しか出てこないけれど、ポーランドの大部分は平らな土地に(当時は豊かとはいえない)畑が広がる農業国なのだと感じました。
(因みにフランスもれっきとした農業国です)
ワルシャワ到着後、ショパンの心臓が眠る聖十字教会、有名な像のあるワジェンキ公園、そして生家のあるジェラゾヴァ・ボーラをまわって、ああ、こういう気候風土、文化のもとでないとあのような曲は生まれないと直感するとともに、一緒にクラコフまで回ってくれた通訳の大学生の子がお父さんと話すポーランド語(内容は全く分かりません)のアクセントや声調が、ショパンのマズルカみたいだと思ったものです。

(そういえば、あの旅はワルシャワからウィーンまで夜行列車のショパン号に乗って帰ってきたのでした)
語学は耳の良い人の方が勘所も良いといいますが、角野さんはプロのピアニストだから、音楽だけでなく言語の細やかなリズムや調子を聴き分け、それを自分の声で再生しやすいのだと思います。
その証拠に、英語だけでなく片言の韓国語も(発音が)上手ですねといわれていました。


ポーランド人に親日の方が多いのは、また今ウクライナのことを他人事ではないと支援しているのは、あの大国の圧力を受ける側としての共感性だけでなく、歴史ある農業国の百姓としての連帯感もあるのではないかと思います。
ショパンと農業なんておよそ関係がなさそうに思えますが、私はショパンの楽曲に触れると、むかしよく聴いていた頃の学校がある、秋から冬にかけての多摩丘陵の農地を連想してしまうし、同じ動画の中で紹介されていた、角野さんがエチュード(Op10-1)をヒントに作曲した「胎動―New Birth」を聴くと、どこか彼の出身地である下総台地に吹く風を感じてしまいます。
そういう意味では、日本独特のこぶしの効いた演歌や民謡も、日本の農業文化や歴史と切っても切れない関係にあるし、ひょっとしたら高度成長期にかかるまでのフォークソングやニューミュージックも、どこかに日本の土の匂いを含んでいるのかもしれません。
それにしても、昔のレコードはピアニストの息遣いやペダルの音などもよく聴こえたものだったと思い出し、実家に放置されているレコードを出してきて聴いてみようかなと企んでいるうちに、不思議と頭の痛みも和らいできました。
耳から入った音楽に意識を向けるうちに、歯痛と頭痛のつながりが断ち切られたようです。
ちょっとした音楽療法みたいです。
このように音楽の効果は馬鹿にならないし、子どもの頃から親しんできたピアノ曲も、時には救いの手になるものだと感謝した次第です。