茶の苦味 | 旅はブロンプトンをつれて

旅はブロンプトンをつれて

ブロンプトンを活用した旅の提案

(島田駅前で茶葉を掲げる栄西上人像)

戦前の日本には、今よりずっと貧しかったにもかかわらず、風流人と呼ばれる人たちが少なからず存在したそうです。
風流人とは、風流を好み、重んずる人のことで、これが俗人の対義語にあたる雅人とか粋人(すいじん)となると、風流を解し、人情の機微がわかる、趣味的に洗練された人ということで、もう少し広義の意味になります。
風流人と聞いて旅人としての自分が真っ先に思い浮かべるのは、松尾芭蕉です。
あの人は忍者(=幕府の命を受けて奥州を探索する間諜やスパイ)という説がありますが、もしそれが本業だったなら、あんな俳句を残すかと思うのです。
と思っていたら、彼の句には符丁が含まれているなんて説まで出てきて、歴史研究といえば聞こえはいいけれど、どこまでも疑り深い人というのは風流人の心は理解し得ないのだなと思います。


ところで、風流人のなかに含まれると思うのですが、茶人という人もかつてはいたそうです。
いまでも茶道をたしなむ人はみな茶人には違いないのでしょうが、ここでいう茶人とは、茶道を教えたり、お茶会を開いて客人をもてなしたりという表面的な意味ではなく、俗世間の枠外で、お茶を通して風流を楽しむ人のことを指します。
ある人の定義では、真の茶人とは「安心して財布を預けられる人」なのだそうです。
今のご時世、たとえ家族や親類であってもそんな人は滅多にいないのではないでしょうか。
大概の人は、お金持ちなら財布を預けても大丈夫だと考えるかもしれませんが、お金持ちの中には吝嗇(ケチ)を貫いてお金持ちになった人もいれば、「油断を見せた相手が悪い」とばかりに他人の財産を掠めて自分のものにした人もいます。
結局のところ、金銭欲のあるなしは、その人が経済的に貧しいか、豊かかに関係がありません。
というわけで、財布を預けられるか否かは、相手の心が豊かか、貧相かによるのではないでしょうか。
他人から騙し取った財貨で自己の世界を築いたところで、ロクなものができるはずがないし、他人から奪った金で豪華な飯を食っても、腹は満たされるけれど心は衰弱してゆく、そういう感覚を肌身で知っている人こそ、心が豊かな人だと思います。


茶人として歴史上で有名な人物は千利休ですよね。
高校三年生の時、岡倉覚三(天心)の『茶の本』を前期の倫社の授業中輪読したのですが、あまりにも内容が深遠すぎて、当時の自分には理解できませんでした。
ただ、利休の最期の様子が茶会を通して本文の最後に美しくも悲しく描かれていて、そこだけは記憶に残っています。
いま読み返してみると、こんな表現がありました。
『この人生という、愚かな苦労の波の騒がしい海の上の生活を、適当に律してゆく道を知らない人びとは、外観は幸福に、安んじているようにと努めながらも、そのかいもなく、絶えず悲惨な状態にいる。われわれは心の安定を保とうとしてはよろめき、水平線上に浮かぶ雲にことごとく暴風雨の前兆を見る。しかしながら、永遠に向かって押し寄せる波濤のうねりの中に、喜びと美しさが存している。何ゆえにその心をくまないのであるか、また、列子のごとく風そのものに御しないのであるか。
 美を友として世を送った人のみが麗しい往生をすることができる。大宗匠たちの臨終はその生涯と同様に絶妙都雅(とが=上品で優美なさま)なものであった。彼らは常に宇宙の大調和と和しようと努め、いつでも冥土へ行くの覚悟をしていた。利休の「最後の茶の湯」は悲壮の極みとして永遠にかがやくであろう。』(『茶の本』岡倉覚三著 村岡博訳 岩波文庫刊)
心から自然(じねん)のままに生きようとした利休と、自己の欲望に忠実であることを自然と勘違いし続けて、最後の夢のまた夢と詠んだ秀吉。
豊臣秀吉が千利休を茶の師匠としてどんなに尊敬していたとしても、そんなところで齟齬をきたしたのかもしれません。

(※『茶の本』の原文は英語で書かれているため、文章オタクの私としては、上述の文が英語でどのように表現されているのか、実に興味は尽きないのであります)

私のお手伝いしているお寺で故人になってしまった若住職は、生前お茶に凝っていて、師範の資格をとって、自宅に京間の茶室を設けてしまうくらいだから、相当な入れ込みようだったのだと思います。
彼が残した茶道具や茶器をみても、素人の私にはてんで価値が分かりませんが、上述の利休が説いた「和敬清寂」という言葉くらいは知っています。

むかしオートバイで田舎を走っていて、ふと停まった場所で家の縁側から手招きされて、或いは道を尋ねたときに、お年寄りから「まぁ、寄ってお茶でも飲んでけ」といわれてご馳走になったことが幾度かあります。

たんにお話ししたかっただけかもしれませんが、時にはお昼ご飯までいただいて、私が御礼をしようとすると、「こっちが好きで歓待しているのだから、野暮なことしてくれるな」みたいに窘められたものです。
今や「乱侮濁擾」な人ばかりの世の中になってしまいましたが、お寺に居るとあの通りがかりの私をもてなしてくれた人たちを思い出し、どんな身分で、どんな仕事をしているにしても、静かで落ち着き払った心で、どんな相手であれ、慮って敬いながらともに生きることは大切だと思います。
それは、どんな悪いこと、くだらないことをしている人に対しても、相手の良心を信じるということであり、私の場合、自分よりも大いなるものに自己が仕えるという決心をしないと、自分ひとりではそういう境地にまでとても至れない世界でした。


そんなことを考えながら、静岡のお茶農家から直接茶葉を送ってもらっているがゆえに、お寺で美味しい緑茶をいただいているわけですが、その筋の人によると、玉露の場合、急須の湯の差し替えは三度までだそうです。
その三度はそれぞれに味が異なり、一度目に淹れた茶は甘味を、二度目のそれは渋味を、そして三度目は苦味を味わうところに喫茶の妙があるのだとか。
これは人生哲学にも通じるものがあるとある人が本に書いていました。
すなわち、若い時はもっぱら人生の甘みを味わうのに忙しく、やがてひとり立ちの責任を取るにつれ、生活の渋味を経験するようになり、ついには苦しみのない人生は無いという厳粛な事実に面して、いよいよ生活の苦味をなめるようになる。
しかし、この人生の持ち味をいかに受け入れるか、その態度いかんによって、人の一生は定まるというのです。
パーリー仏典の譬喩経に出てくる、ゾウから逃れて穴に逃げ込み、蜂蜜を舐める男のように、どこまでも甘味を追いかけるか、苦味を嫌って絶望し、サルトルが説く虚無の淵に身を投げるか、しかしどちらも何も生み出さないし、何の解決にもなってないように思えます。


この甘味→渋味→苦味というたとえは、人生だけではなく、あらゆる世界に通じると思います。
たとえば読書なら、若い頃は予定調和的な、あるいは読むことで前向きになれるような小説を好んで理想を追いかけるものの、やがて自分はそんなにたいそうな器の人間ではないという現実に直面して、結末が非情な渋い小説を好むようになり、やがては人生に何か見返りを求めている自分の卑しさに嫌気がさして、哲学や宗教の苦味を味わうようになるとか、最初のうちはすべて他人がお膳立てしてくれる団体旅行の甘い密を味わうものの、やがてそれに飽いて自分で自分の責任をとる個人旅行の渋味を好むようになり、ついに苦しみの中に喜びがあるという、文明の利器をなるべく排して自分の身体をはった、徒歩や自転車による移動に旅の妙味を見出すとか。(笑)
ヘルマン・ヘッセも詩の中で「運命は、甘いものにせよ、苦いものにせよ、好ましい糧として役立てよう」とうたっていました。


しかし、私などの世代だと、若いうちから「老人になってもラブラブな夫婦でいたい、それが理想」なんて平気でぬかす人が多くて、渋味や苦味をわざわざ味わうなんてナンセンスと考えている人が自分も含めて殆どじゃないかと思います。
そんな風にいくつになっても「甘味」ばかり追いかけているから、やがて糖尿病になったり、認知症に陥ったりするのではないでしょうか。
日本臨済宗の開祖、明菴栄西(みょうあん えいさい 1141-1215)も、『喫茶養生記』のなかで、心を養生するには苦味である茶を摂取しなければならないと書いていませんでしたっけ。
お茶でなくとも、ゴーヤやピーマン、ケールやクレソン、そういう苦い味を好めるようにならず、口当たりの良いスイーツばかり食べていると、肥満以外に本当の甘さや渋さに対しても、味覚障害をおこしてしまう気がしてなりません。


冗談はさておき、これはブログで繰り返し書いてきたことですが、なぜ苦しむのか(苦いのか)を問うよりも、何のために、誰のために苦しむ(苦味を得る)のかを思うことによって、苦しみから前向きな力や解決に向けた光が生まれるのではないかとおもいます。
言い換えればそこが、苦味が滋養に変じる転換点なのだと思います。
その誰のためにの「誰」が自分も含めた人間だったり、人間の集団や組織だったりすると、苦味を味わおうとした努力に対して期待した見返りが得られなかったり、相手や対象から裏切られたと感じたときに、「今までの私の努力は何だったのですか?」と自己中心的な理屈を振り回して周囲に迷惑をかける、そんな自ら晩節を汚す暴走老人になってしまうわけで、自身がそのようにならないようにするためにも、年をとって感覚が鈍くなる前に、人間を超えた大きなものを見出し、それに委ね、そのおおいなるもののために、甘味も、渋味も、苦味をも味わってゆく経験を重ねておいた方が良いのではないかと、浪馬心ながら、自己の拙い経験と、周囲の気の毒なお年寄り達と、寺院や教会で出会う信仰に篤い人々を見ていて思う次第です。

ああ、下手でもカッコ悪くても構わないから、良い年の取り方をしたいものです。