3回目のワクチン接種の後、薬物依存症について考えました。 | 旅はブロンプトンをつれて

旅はブロンプトンをつれて

ブロンプトンを活用した旅の提案

私の住んでいる横浜市は、なかなか3回目の接種券が届きませんでした。
届いたときには年度末の忙しい時期を控えており、すぐに予約ができる状況ではありませんでした。
ワクチン接種も効果や副反応について色々意見があるところですが、皆が打つから自分も打つとか、他人に勧める以上自分は義務だからとか、逆に何らかの権威や主義、そして利益の犠牲になるのは嫌だから打たないとか、そういうことではなく、この時代に生きる人間のひとつの経験として受け容れたなら、打つ選択も打たない選択も大差ないように思います。
私が今ここに生きて、やがては死んでゆくというのは、決して軽く見るというわけではなく、その程度のことでしょう。

さて、今回は仕事帰りにブロンプトンで例の大手町の自衛隊さんに参ります。
いつもより早く出勤して、その分早く退かせていただき、14時40分ごろには東京駅の丸の内北口に到着しました。
大船駅から東京駅まで移動するのに東海道本線と、横須賀線だと5分くらいしか違わぬようですが、後者は地下ホームに着くので、ホームから地上へのぼってくる時間を考えたら東海道本線の方が有利です。
全時間帯を通して混雑しているのは東海道本線ですが、それも予め時刻表を調べて、熱海発ではなく平塚発の列車を選び、先頭車両に近い場所で待っていれば、お昼過ぎの時間帯なら座れると踏んだのですが、あいにく予定の列車に乗り遅れ、やってきたのは混雑している熱海発でした。
それでもたまたま大船駅で降車の乗客がいて、体力温存のために寝てゆくことができました。

ブロンプトンを連れている場合、混雑具合や駅での改札口までの距離など、まるで団体旅行を計画するような予測を立てるわけですが、それはそれで旅好きにとっては楽しいものです。

東京駅についてホームから階段を下り、丸の内北口の改札を出て外に出ます。
ここはサラリーマン時代、文字通りの本社およびJRさま陳情に参りました。
なにをお頼みに来たのかとんと忘れてしまいましたが、その都度「さすが、丸の内のリーマンやOLさまは、わたしら地方(といってもお隣ですが)と顔つきが違う」などと感じながら、上司とともに横断歩道の向こうに当時は存在した本社や旧国鉄ビルに入ってゆきました。
どちらの建物も結構な年代物で、とくに後者はお役所然としていて、きっと霞が関の旧いお役所の中もこんなだろうなと想像したものです。
あれから幾星霜もすぎ、駅も、ビル群も、街を歩く人も、そして自分も変わり、こうして駅前でブロンプトンを展開していると、地方から出てきて脇で座っていたおじいちゃん、おばあちゃんが、「東京には変わった人がいるものだ」という目で私を見ています。
はい、その通り、あの頃の私が今の自分を見たら、「どうしたんだ、お前。気は確かか?」と言ったかもしれません。

スイスイと午後のビル群を抜けて、神田橋の南にある大手町合同庁舎3号館に到着です。
去年の5月下旬、ここが開いた初日に家族を連れてきて、マスコミにインタビューされたことを思い出しました。
自分、何度かそういう経験があるのですが、わざと頓珍漢な答えをして、ボツにされることを狙うので、声をかけても無駄になるのですよと。
あのとき、そして夏になって自分が行った時には何列にも横に並んでいた行列は一列に集約され、ときどきぽつりぽつりと人が入ってゆく程度です。
すべての時間において予約に余裕があるようだったので、閑古鳥が鳴いているのは想定の範囲内だったのですが、ここまでとは思いませんでした。
因みに、今回は先に神奈川県や横浜市を見たのですが、予約方法が一向に要領を得ず、結局前回予約して慣れている自衛隊さんに落ち着きました。
周囲をみていると、だいたい1,2回目を接種したのと同じ場所で、皆さん予約されているようでした。

前回は何列も受付の行列ができていた分、接種会場も同じビルの何階かにわたっていたようですが、今回は1階分に集約されているようで、そこへのぼるエレベーターも待つこともなく、3,4人で乗って登り降りする状態でした。
接種自体もすぐにすんで、そこだけは沢山人の居た、待機室で本を読んで過ごし、合計40分くらいで出てくることができました。
2回目に副反応が出た人は、3回目も同じ症状が出ると聞いていたので、そのまま大手町駅から地下鉄に乗って日吉まで帰ります。
先に3回目を打った人から聞いていた通り、接種直後から腕が腫れて痛くなりました。
電車の中でも座ると横に居る人に腕が当たって痛いから、立っているレベルです。

駅に着いたら速攻で食事をして家に帰って寝たのですが、翌朝起きたら身体の節々が痛み、微熱もあるようで、身体がもの凄くだるくなりました。
念のため一日休みを入れて、家でブログの書き溜めか、無理なら読書をしようと思っていたのですが、朝食を食べても食欲がなく、心なしか全然味がせず(笑)、身体中の痛みは退くどころかますますおさかんになってきて、本を開いても一向に字が頭に入ってきません。
昼間に寝ると夜眠れなくなるのを承知で、あまりのだるさに食べてからしばらくしたら横になって眠ってしまいました。
午後になってもだるさは全くとれません。
困ったな、明日は朝早くにあるお寺に行って、ネット中継のお手伝いをしなければならないのにと思っているうちに夕方になってしまいました。

人間、健康な時は色々なことがあっても前向きに考えられるのですが、身体の調子を崩した途端に、ネガティブな感情が先行するようになってしまいます。
この副反応は、自分が健康だから拒絶反応として出るのか、それとも普段から不摂生をしているから、こんな風にしぶといのか、考えても仕方のないことを堂々巡りさせてしまいます。
でも、こうした副反応が嫌だからといって、ワクチンそのものを打たずに済ますというのは、上述した経験の選択という趣旨から外れ、「ただ嫌なことから逃げるのに口実を並べているだけ」のように思えるのです。
人生、苦労はできるだけ避けて、ただ楽して豊かに暮らせればそれでいいと、自分勝手で自己中心的な生活を続け、老境に入ったときに、今まで頼りにしてきたものが何も頼りにならず、苦労を周囲に転嫁し続けた結果誰からも相手にされなくなって、自分から孤独の中に引き籠るのをみて、あのようにだけはなりたくない、そのためには、大変なことも自分のできる範囲で引き受けて努力することだと感じています。

そういう貧乏くじばかり引いていると、負け癖のついた人生になるぞと忠告する人もおりますが、彼らの考えている世界はオール・オア・ナッシング、つまり一人の勝者の後に残り全ての敗者が倒れるという、「一将功なりて万骨枯る」の世界で、それが認知バイアスに基づいていると気が付いていないのです。
そんな世界で勝者になろうとしたら、それこそ大量の恨みや妬みを買う羽目になりますし、その力と無神経さのない大半の人間には、「多少マシな敗者」になるくらいしか道は残されていないということにも気が付いていません。
かつて私に財産があっ(たと思われてい)たころ、盛んに投資セミナーへの誘いだの、勝機のあるビジネスへの少額投資だの、勧誘がきましたが、他人のふんどしでお金を儲けようとすることへの疑念が抜けませんでした。
大学の経済学でひとつ大きく学んだことがあるとすれば、「お金にお金を産ませることは幻想でしかない」ということでしょうか。
今は「投資しようにも、資産がありません」と堂々と言える自分が好きです。
「資金なら心配いりません」と言ってくる人の怪しさがよくわかりますから。
そういう世界から離れるためには、世の中には勝者と敗者以外に居ないという妙な考えを捨てて、生き方そのものを根本から変えねばならないのですが、ああいう「お金の信仰」にいったん取りつかれてしまうと、なかなか抜け出せないものです。

そんなことを考えながら、本棚にあるジョン・メイナード・ケインズの伝記をパラパラめくっている自分は、既に体調不良でお金儲けをうらやんでいるのかもしれないなと思い首を振ると、2回目の接種の際は、我慢できずに鎮痛剤を飲んだことを思い出しました。
今回も飲もうか?
医師や薬剤師の知り合いが、ひとには薬を処方するのに、自分では「自然治癒力が落ちるから」などと最後の最後まで薬の服用を避けるのを目にしてきたし、もっと後には少なからずの薬物依存症の皆々様と知己を得て、彼らの内にはかなりの合法薬物依存が存在すると知って、自分もどうしようもなくなった時しか薬は飲まないようにしています。
上述した「苦痛を避け続ける人生」ではないけれど、身体が少しでも痛むたびに鎮痛剤を服用していたら、いずれ耐性がついて、用法・用量を守らなくなり、あるいは「もっと効く」薬に頼るようになるのは、別の分野で依存傾向のある自分は目に見えています。

ここで簡単に依存症のメカニズムを説明します。
そうして薬に対して耐性がついて効果(があった感じ)が薄れてくると、量や頻度を増やせばまた効き目を取り戻せるのではないか?という安直な解決に頼ろうとするわけですが、そう考えること自体、すでに嗜癖のサイクルにはまりかけているのに、気付かないわけです。
実際、薬の量を増やせば効果は得られるのかもしれませんが、同時に耐性も強化されてしまうので、ますます薬を増やさねばならず、やがて他の臓器や精神が悲鳴をあげて、別の症状があらわれるようになります。
その時点で注意され、または自分で気が付いて、今度は薬を断とうと節制(努力)するわけですが、長続きしないか、したとしても、今度は禁断と呼ばれる症状が出て、また何かのきっかけで服用がはじまると、以前にもまして乱用に拍車がかかるというサイクルから抜け出せなくなるのです。
俗にいう、「わかっちゃいるけど、やめられない」状況です。

悪いことに、このサイクルは周回を重ねるごとに悪化して、手に負えなくなった結果も深刻化してゆきます。
こうして彼らはダルクと呼ばれる施設に入所し、或いは自助グループに足しげく通うなりして、「今日一日で薬をやめる」以外にこのサイクルから抜け出す手段が無いことを悟るわけです。
こう説明すると、「では一生自助グループに通い続けるわけですか?」と聞いてくる人がいるのですが、それは分かりません。
通いながら斃れる人もいますし、通わずに何年も経て亡くなる人もいるでしょう。
もし、自分ひとりで依存対象を断てるとしたら、それ(ここでは薬)よりも善いものを見つけた時でしょうが、「そんなものがあれば」、という仮定のお話です。

依存症のことなんか考察している場合ではありませんでした。
これまでどれくらい頭痛薬に頼ったのか、振り返ってみます。
2回目の接種直後から9カ月経過している間に鎮痛剤を飲んだのは、マスクの着用が原因でもの凄い片頭痛に襲われた1回のみ。
どちらも用法・用量は守って、連続服用にはならなかったので、耐性はついていないはず…と思いながら、大人として2錠だけ飲んだら、ぐっすり眠れて翌朝は痛みも、だるさも殆ど無くなりました。
でも、これくらい逡巡してから薬を飲むくらいが、自分にはちょうど良いのかもしれないと思った次第です。
皆さまも、薬物依存症にはご注意ください。
私は絶対にならないという人が、別の依存症も含め、いちばん脆いので。