五街道それぞれにオジサンキャラを振ってみる | 旅はブロンプトンをつれて

旅はブロンプトンをつれて

ブロンプトンを活用した旅の提案

(五街道の起点 日本橋 南から北、中山道、日光街道方面を見たところ)

今日は絵空事から書いてみます。
先日、「車で出来る限り旧東海道をなぞってみる」という実験旅行をしてみました。
朝の4時に日本橋を出て、一方通行路や右左折禁止など法的に通れない道や、狭かったり登山道だったりして物理的に車が通れない道は迂回するとして、たどれる道は全部旧道を行くという方法で日没までにどこまで行けるか?
結果はまた改めてご報告するとして、途中幾度も、歩いて東海道を辿っている人たちを車で追い越すという、変わった体験をしました。
もしも、私が徒歩や自転車で完走していなければ、そのような気持ちにはならなかったと思うのですが、車の窓から見た彼らの後姿は、既視感がたっぷりあって、たしかに昔の自分に違いないのでした。
その人たちの背中をみて心の中にふと浮かんだ言葉が、「同志(露:タヴァーリシチ)トウカイダー」。
同乗の記録係兼ナビゲーターさんと、「なんだ、その戦隊ヒーロもの崩れみたいな名前は…」と思わず笑ってしまいました。
しかし、そうしているうちに五街道それぞれにへんてこキャラを充てたら面白そうという話になりました。
今は太平洋戦争時の軍艦でさえ、美少女キャラに変換される時代だから、ゴレンジャーならぬ、ゴカイダー(誤解だぁ?)という名のうら若き女性の五人組でもって、音楽ユニットを組む、或いは五街道双六(ロールプレイング)育成ゲーム(先般書いた「善財童子の旅」がモティーフ)を企画して、ゲーム業界に売り込んだらウッシッシなことにと思ったのですが、そこはオジサンたちの空想、やはりゴカイダーはブロンプトンに乗車した武将キャラじゃないと駄目だということになり、それぞれの名前とキャラを私の方で勝手に想像、設定してみました。
小説を読んでいるせいか、こういうおバカなアイデアだけはいくらでも湧いてきます。

(東海道 宇津ノ谷峠 太閤道)
東海道:トウカイダー(ブロンプトンの色:セージグリーン)
顔や体型は徳川家康で、例のシダの葉状の前立を施したヘルメットを被り、ポケットに安倍川餅、フロントバッグに薬研を入れて、芦ノ湖、富士山、大井川、浜名湖、木曽三川、鈴鹿峠などをあしらったサイクルウェアを着用している。
5人の中ではリーダー格。
但し、性格は意外に地味。
逃げ足が早く、石橋を叩いて渡る性格で、身体を壊すような旅はしない。
だからこれ以上進むと明日に障ると思えば、さっさと中断して帰宅する。
用心ぶかく、吝嗇なところがあるものの、それだけに旅は堅実。
座右の銘も「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。」

(海道一の弓取りと言われた権現様)
中山道:ナカセンダー(ブロンプトンの色:レッド)
容姿は真田信繁(=幸村)で、例の鹿の角と六連銭をあしらった赤いヘルメットを被っている。
イケメンな若者ではなく、見た目はかなり老けたオジサン。
首から下も赤備えとよばれる、朱色に白で六連銭をぬいたシャツとパンツに赤いランニングシューズを身に着けている。
(実際の真田信繁は、大阪の陣においては、講談やドラマに描かれるような青年ではなく、かなり歳をとった老人のような容姿だったとか)
威圧的なチャリダーの集団を見かけると、地元の上田へ通じる北国街道へ引き込んではからかって、足止めをくらわせる。
ただし、お父さんが主従の関係だったため、明らかに格が下のコウシュウカイダーには頭があがらない。
とはいえ、他のキャラに対して高所越えの峠を複数抱えているため、優越感を持っているし、足腰は5人中最強。
口癖は「関東勢百万と雖(いえど)も、(峠越えの経験無くば)男は一人も無き候」

(中山道 倉賀野)
日光街道:ニッコウカイダー(ブロンプトンの色:グレー)
これが武将キャラ選びに迷いました。
日光を象徴するお武家はもちろん、権現様と呼ばれるあの方ですが、どう考えても東海道の方が相応しいですし、彼をヨイショするために東照宮を建てた家光公や、宮司をやった松平容保公をもってくると、徳川氏がダブります。
結局、他の街道キャラに比べて時代も格も下ってしまうものの、終点に銅像があるあの人になりました。
容姿は髭を蓄えた板垣退助。
ひとりだけ、正装に近い格好でコートを羽織り、護身用にスナイドル銃(レプリカ)を背負っている異色の姿。
もちろん、ヘルメットも被っておらず、グレーの長い口髭と顎鬚をたくわえている。
見かけは明治時代の猟師。
力に訴えるよりは話し合いで物事を決めるタイプなので、旅程も同行者との合議で決める。
その際にレプリカの銃器を威圧に使ったりはしない。
但し、途中で危険を予期したような場合は、強引に夜を徹した強行軍をすることもある。
重複する区間に自分の名前が用いられているため、オウシュウカイダーに対しては自分が上だと思っている。
なお、祖先が昔主人―家臣だった関係もあり、ひそかにコウシュウカイダーを敬っている。
キャッチフレーズは「ニッコウカイダー死すとも旅は死せず」

(中山道 左浅間)
奥州街道:オウシュウカイダー(ブロンプトンの色:ブラック×ゴールド)
隻眼が特徴の、かなり横に長い三日月の指物が載ったヘルメットを被っている。
服装も、黒の上下のサイクルウェアで、冬は暖かそうだが夏は暑そう。
青年の頃までは手の付けられない暴れ者だったが、紆余曲折を経てトウカイダーに従属してからは比較的大人しい。
しかし、トウカイダーとその取り巻きからは疑いの目を向けられたまま。
白河の関以北を軽んじられているのは、冬の積雪が原因だと考えている。
そこで、いつかはトウカイダーを凌ごうと、時々隠れて禁制の洋書を読み耽っているらしい。
彼とは似たもの同士、健康オタクで、几帳面で筆まめな性格から旅の日誌や会計簿はマメにつけている。
座右の銘は「まともでない人間を旅で見かけてもスルーせよ」

(日光街道 千住)
甲州街道:コウシュウカイダー(ブロンプトンの色:レッド×ホワイト)
諏訪法性ヘルメットを被り、紅糸縅最上胴丸をデザインしたポロシャツを着て、歌舞伎役者のように大袈裟な所作で自転車に乗る。
諏訪明神を崇めながらもカリスマ性の高い神秘的な雰囲気を漂わせている。
風林火山と書かれた小振りの軍配をハンドルに固定している。
何でも、他車が突っ込んできた際の防御用だと本人は説明している。
旅の銘はその言葉通り、「疾(はや)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く、走行すること火の如く、宿泊すること山の如し」で、愛車のフレームにも「風林火山」のシールを貼っている。
ゆえに宿泊業者からは旅程が見えず、突然予約なしで現れては長期で滞在されたり、そうかと思えば突然チェックアウトすると言い出したりする点でけむたがられている。
自転車に乗ったまま山坂を上り下りするのが得意で、その技術も5人の中で最も巧み。
喧嘩はやい反面、情に厚く、人の意見に耳を傾けるのも得意。
リーダーであるトウカイダーからは、緊急時には頼りにする旨言付けられているし、ナカセンダーやニッコウカイダーも裏では従えているので、影の主役。

(奥州街道 白河)
こんなギャラで伝奇小説でも書いたら面白そうです。
ところで、名前を並べながら気付いたのですが、なぜ東海道、中山道ときて、日光道、奥州道、甲州道ではなく、それぞれ「中」をつけて日光道中、奥州道中、甲州道中なのでしょう。
逆を言えば、東海街道、中山街道とは言わないのでしょう。
まず後者からですが、前にも書いた通り、江戸時代よりずっと前、古代律令制で「五畿七道」と呼ばれる行政区分が出来て、それに因んで、京から見て東へ向かう海沿いの道だから「東海道」、東へ山を越えてゆく道だから、「東山道」と名前がついたといいます。
そして徳川幕府の五街道制定の際、東海道はそのままに、東山道は江戸を中心とした考えから中山道と改まりました。
それまでは、使用する漢字についてアバウトで、「東街道」とか「中仙道」と書いても差し支えなかったのを、この時正式に「東海道」「中山道」と名称が定められたそうです。
ゆえに、戊辰戦争の頃、薩摩・長州・土佐藩主体の西軍が江戸へ進撃すべく東征大総督を置いた際、配下の征討軍のうち、西郷隆盛を総督とする東海道軍に対し、板垣退助率いる中山道をゆく軍は、幕府が名付けた中山道を避けて、「東山道軍」を呼称しました。

(都内でもこんな場所があります)
では、東海道、中山道以外の3つの街道だけ「道中」と付くのはなぜでしょう。
これは、江戸幕府の道中奉行配下の役人たちが、事務を行う上で参照する書物として編纂された(今でいう「○○必携」の類いの)「駅肝録」という文章に出ているそうです。
それによれば、上述の漢字がいい加減だったという点から、3つの街道を「日光海道」「奥州海道」「甲州海道」と書いた文章もそれまではまかり通っていたのだそうです。
そこで五街道を制定する際に、東海道は海のそばを通るから「海道」と書いても構わないが、日光、奥州、甲州は海のそばを通らないので、「海道」の文字を公文書には用いず、代わりに「道中」とつけるように決めたのだとか。
こういう些細な点から眺めてみても、江戸期とは官僚制の発達した時代だったのだと改めて思います。
このブログは現在の国道1号線と混同されないよう、「旧東海道」と表記してきましたが、仮に今後他の4街道について記述するとすれば、中山道は同じ番号の国道が全線にわたって重複するわけではなく、残り3つの街道に関しても、それぞれ「道中」と表記すれば、江戸時代の道を指すことになるので、「旧」を頭につける必要はなさそうです。
街道の名称ひとつとっても、歴史があって興味深いのでした。

(甲州街道といえば、お屋形さま以外におりません)