東海道はなぜ五十三次なのか?―善財童子の旅―現代語訳華厳経「人法界品」を読む | 旅はブロンプトンをつれて

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(今回は東海道沿いの印象的なお寺の写真です。東京・品川寺=ほんせんじ真言宗醍醐派)

御存知、徳川家康のあとを継いだ秀忠が1604年に制定した五街道のうち、東海道の宿場は両端にあたる日本橋と三条大橋を除けば、品川から大津まで53と定められました。
これまでもご紹介してきた通り、宿場間が極端に短い区間もあれば、逆に長くてブロンプトンならともかくも、歩くとかなりしんどい場所もあります。
旧東海道五十三次 宿場間短距離ランキング
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旧東海道五十三次 宿場間長距離ランキング
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こうした長短は、国境や山越え、河川の渡河など、社会的・地理的な事情はあったでしょうけれども、全部で53になったのは意味があるといういわれがあります。
今日は表題にあるように、その疑問について書きたいと思います。

(藤沢・遊行寺=ゆぎょうじ時宗総本山)
あるとき、仏教の読み物を読んでいると、善財(ぜんざい)童子の話が登場しました。
その本によると、今は誰も知らない善財童子、戦前は浦島太郎や竹取物語のように、誰もが知っている話だったというのです。
食べ物の善哉なら知っているけれど「善財」は初耳という方も多いのではないでしょうか。
実際、お寺のお年を召した方々に聞いてみたけれど、知っている人はごく僅かで、それも名前を聞いたことがあるという程度でした。
因みに、関東では小豆あんの汁物全般を「おしるこ」と呼称しますが、関西ではこしあんを水と砂糖でのばして煮詰めたものをおしるこ、こしあんではなく粒あんを使った同様のものをぜんざいと呼ぶそうです。
そして「善哉」という言葉もまた仏教用語です。
師匠が弟子に賛意をあらわしたり、褒めたりするときに使う言葉で、今風に言えば「いいね!」そのものです。

(原・松陰寺=しょういんじ臨済宗白隠派)
さて本題である善財童子ですが、華厳経(正式な名前は「大方広仏華厳経」)という大乗仏教経典の中に出てくるお話の主人公の愛称です。
「華厳」と聞いて、関東の人はだいたい日光にある滝か、それに因んだ東武鉄道の特急名を思い出すのではないでしょうか。
ちょっと仏教に詳しい人なら、奈良時代の南都六宗のうちに華厳宗という宗派があったのを思い出すかもしれません。
なお、奈良の大仏様がおわします東大寺は、れっきとした華厳宗の大本山ですよ。
そして華厳の「華」は花のことですが、「厳」は厳しいの意味ではなく、荘厳の厳、つまり「美しく厳かに飾ること」を表します。
だから上記正式名称の意味を平たくいうと、「広大無辺な存在である仏さまの花飾り」ということになります。

(興津・清見寺=せいけんじ臨済宗妙心寺派)
この華厳経は、インドから伝わった様々な経典が、4世紀ごろの中央アジアでまとめられ、中国へと伝えられた経典で、大乗仏教経典のひとつのピークをあらわしているともいわれます。
北伝仏教はヒマラヤ山脈を西へ迂回し、西域を経て中国に伝わったのち、紆余曲折はあったものの、老荘思想と溶け合うことによって中国化します。
南北朝の時代までは、ブッダよりも後世の論師たちが説いた「論」を研究する学派が盛んだったものの、その後の7~8世紀ごろになると、現実の生活の中に真理を見出そうという考え方が次第に成熟化してゆく過程で、ブッダ、すなわちお釈迦さまが直に説いた教えを受け容れることによって、自らの教派を打ち立てようとする機運が高まり、その中で天台思想や華厳思想が形成されてゆきました。
ただしそこには、数多くある経典がインドから中国へ五月雨式に伝えられ、翻訳される過程において、その順番や重要度の違い、そしてどれがブッダの直説なのかという、いわば「教相判釈」の問題が常についてまわったといいます。

(掛川・仲道寺=ちゅうどうじ曹洞宗)
そうした状況で整理、翻訳され、まとめられた華厳経の量は全部で60巻とも80巻ともいわれ、かなりのボリュームがありました。
現代の日本において、華厳宗の寺院数は他の宗派に比べて極端に少ないので、たとえば天台宗や日蓮宗が最も重要とする「法華経」や、浄土宗、浄土真宗において根本経典とされる浄土三部経などとくらべると、あまり馴染みのない経典ですが、ちゃんと法会に出ている仏教徒であれば、読経の際に繰り返される有名な文言も、この華厳経からきていると知ることによって、親しみが湧くのではないでしょうか。
それは、「帰依仏、帰依法、帰依僧」の三帰依文と、懺悔文です。
前者は第二会の「浄行品」(清らかな行いの章)、後者は「四十華厳」と呼ばれる部分訳の中にあります。
ちょっと読み下し文でご紹介してみましょう。


<三帰依文>
自ら仏に帰依したてまつる。当(まさ)に願わくは衆生とともに大道を体解して、無上意を発(おこ)さん。
自ら法に帰依したてまつる。当に願わくは衆生とともに深く経蔵に入りて、智慧海の如くならん。
自ら僧に帰依したてまつる。当に願わくは衆生とともに、大衆を統理(とうり)して、一切無碍(むげ)ならん。

(磐田・行興寺=ぎょうこうじ時宗)
<懺悔文>
我れ昔より造る所の諸(もろもろ)の悪業(あくごう)は、皆な無始(むし)の貪瞋痴(とんじんち)に由り、身口意(しんくい)従り生ずる所なり。
一切を我れ今、皆な懺悔し奉る。

自分も毎月写経会のたびに両文は唱えています。
「無上意」とか「貪瞋痴」など難しい用語の解説は別の機会に譲りますが、キリスト教徒が使徒信条や主の祈りを毎日唱えるなかでおぼえてしまうように、かりそめにも仏教徒を名乗るなら、読経の中身までは暗記できなくても、三帰依文や懺悔文くらいは唱えられるようにしておいた方が、どの宗派のお寺でもお参りの際に口に出しておかしいということはないので、旅行先などで便利ではないでしょうか。
文語体で格調高いし、今はコロナで「身口意」はとくに清浄にしていた方が安全だと思いますし、敢えて紹介させていただきました。
なお、こんな文言を何度唱えたところで自分は変わらないと、頭から投げてしまう人がいますが、どの宗教でも、信仰は半信半疑なままで行動するところからはじまります。
仏さまに帰依しようと思うようになってから三帰依文を唱えるようになるのではなく、唱えているうちに仏さまに帰依するようになるというのが真実ではないでしょうか。
もちろん、自分の信じる宗教の優越性を自慢し、他の宗教を悪しざまにいうのは本物の信心ではございません。

(豊橋・壽泉寺=じゅせんじ臨済宗妙心寺派)
華厳経に話を戻します。
華厳経の中には、有名且つ難解な「一即多、多即一」の空間的、時間的把握とか、大乗起信論(大乗仏教の論書)に説かれた阿頼耶識(ざっくりいうと、無意識レベルの人間の深層心理)と如来蔵(仏性としての真理)の関係とか、哲学をやる者にとって興味深い話がたくさん出てくるのですが、ここでは省きます。
数え方によって違いは出るものの、60巻は8会(会=本の目次立てでいえば「部」のこと)からなっており、善財童子の話はその第八会の入法界品(品=同様に「章」の意)の殆どを占めており、いわば経典の大取りに出てくるわけです。
その内容は、大商人の息子である「善き財宝」(スダナ・クマーラ)という名の少年が、文殊菩薩の巡教に触れ、無上菩提(煩悩を断って悟りえた無上の境地)を求める心をおこし(=発菩提心)、カルヤーナ・ミトラ(=師友・善知識)求めて菩薩道を行じたいと願い、これを文殊菩薩が祝福して、最初の行き先を示唆されることによって、求道(仏教では「ぐどう」と読みます)の旅に出る物語です。
主人公の善財童子は、行った先で出会う師友から次の行くべき場所を教えられ、比丘(修道者)を手始めに、尊者、仙人、聖者、王や王女に混じって、富豪や医師、香料商人、航海士、少年、少女、遊女など市井の人たちにも教えを受けてゆきます。
この善知識と呼ばれる人々が、53人なので、東海道の宿場数はこれに合致させたということなのです。

であれば、旧東海道を辿る過程の中で、この53の善知識について読み進めてゆけば、京までの求道にまるのかもしれません。

(但し、東海道中で善財童子の話は一度も登場せなんだが)

なお、京ではなく、奈良県内の西大寺や安倍文殊院には財前童子の木像がありますので、機会があったらご覧ください。

(知立・了運寺=りょううんじ浄土宗)
この求道物語、現在でいえば、「ドラゴン・クエスト」のような冒険旅行に出て成長し、力をつけてゆくロールプレイング・ゲームのようなお話とでもいいましょうか。
しかし「善知識」という言葉によって誤解して欲しくないのですが、今日でいう「知識」や道具(アイテム)、秘伝の術などを集めていって、主人公が成長(パワーアップ)するお話ではありません。
そこは仏教の経典です。
仏さまの智慧とは、知能が高いとか知識が豊富とか、技術的に優れているということではなく、煩悩にとらわれた無明の闇に光が差すこと、すなわち目覚めですから、師友(善知識)の中には五欲にとらわれたままの自分がいかにそこから脱したかや、過去世に於いて犯した罪を悔い、改心した経緯を話す人もいます。
私が読んでいて最も印象深かったのは、罪を犯して囚われている人たちを自由にするため、父である王に懇願して、彼らの解放と引き換えに自らが入牢する太子(「牢獄の王子」)の話です。
自己犠牲的でどことなくキリストにも似たこの話は、罪人の解放に反対し、王子を誅すべきと主張する五百人の群臣との板挟みになり、王が困り果てていたところ、諸菩薩が現れて悪人に布施する王子をたたえ、群衆を教化するところで終わりますが、何も悪いことをしていないのに苦難に遭う王子は、旧約聖書のヨブにも少しだけ似ています。

(名古屋・笠覆寺=りゅうふくじ真言宗智山派)
旅を続ける善財童子は、釈迦が伝道したマガダ国を経て彼の誕生地であるルンビニ園に至り、釈迦如来の生母マーヤー妃に教えを受けて礼拝した後帰路につき、52番目に最初に送り出された文殊菩薩のところへゆき祝福され、最後の53番目では普賢菩薩と出会って悟りをひらき、行願讃偈を授かるところで話を閉じています。
旅を終えた結論は、「世界は菩薩の行によって浄化され、仏の光明に荘厳されている。一心に礼拝せよ」なのです。
「引き続き菩薩道を行ぜよ」ということは、お釈迦さまの説く四聖諦や八正道を常に心に留め、礼拝を怠らないよう永遠の旅を続けなさいと、私には読めました。
宗教のことを、共同幻想に基づいた集団催眠みたいに思い、危なくて怪しいものと考える日本人は多いのですが、そのような歪んだ心で仏教をみたら、そこに示されている真理も、到底信ることができず、善財童子の旅のように、次の善知識を紹介してもらうこともかなわず、悪鬼として永遠に無明の闇に迷い込むことになるのではないかと、同時に感じました。
つまり、旅する時も本を読み進めるときも、人間を超えた崇高な存在へと思いをめぐらし、謙虚な心を持ち続けないと、啓示された教えも自分に入ってこなくなってしまうのであれば、どんなにお金や名誉などの現世利益を得たところで、あとには何も残らないということではないかと思います。

(鈴鹿・石薬師寺=いしやくしじ東寺真言宗)
今回、この善財童子の旅を現代誤訳した本を読んだわけですが、はしがきの最後が、弘法大師空海の「性霊集」にある下記の漢詩(十喩詩の七)で終わっていたのが印象的でした。

桂影團團寥廓飛/月は円に満ちて虚空に浮かび
千河萬器各分暉/幾千の河、幾万の杯がそれぞれ月影を映す。
法身寂寂大空住/仏の真実身は広大な空の深奥に静まり、
諸趣衆生互入帰/輪廻の諸世界に生きる者も皆、その光を宿す。
水中圓鏡是偽物/しかし、水に映る月影はどんなに美しくても偽物であり、
身上吾我亦復非/個々の身体に宿る自我にもまた実体はない。
如如不動為人説/平等一如の真実に於いて揺るぎなく世の人々に法を説き、
兼著如来大悲衣/あわせて如来の大悲を衣とせよ。

(土山・地安寺=じあんじ黄檗宗)
まるでパウロの「救いは近づいている」(ローマの使徒への手紙13章)みたいです。
そこは、聖アウグスティヌスが回心する際に偶然に読む、有名な箇所です。
ちょっと比べてみましょうか。

夜は更け、日は近づいた。
だから、闇の行いを脱ぎ捨てて、光の武具を身に着けましょう。
日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか。
酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、主イエス・キリストを身にまといなさい。
欲望を満足させようとして、肉に心を用いてはなりません。
(新共同訳:ローマの使徒への手紙13章12節~14節)

(大津・義仲寺=ぎちゅうじ天台宗単立)
仏教でもキリスト教でも、「光」がキーワードです。

そして「如来の大悲を着よ」と「主イエス・キリストを身にまとう」(口語訳では「着なさい」)はそっくりです。

かたや聖書のようにストレートには表現せず、杯をはじめとする「水に映る月影は偽物」という表現が、仏教的な奥ゆかしさを感じます。
しかし、両方とも似たような表現で信仰とは何かをよくあらわしていると思います。

旧東海道沿いには無数のお寺があることですし、せっかく昔を偲ぶなら、いにしえの人々の信仰についても、五十三の宿場を善知識に見立てて、仏教を学んでみてはいかがでしょうか。

それが本物の「観光」(光を観る)ということだと思うのです。
(おわり)


今回参考にした本
〇仏教の思想6 無限の世界観<華厳> 鎌田茂雄・上山春平著 角川ソフィア文庫
〇善財童子の旅―現代語訳華厳経「人法界品」 大角修著 春秋社