痔核始末記(その2―ヤマイモ、マタ、メグミ) | 旅はブロンプトンをつれて

旅はブロンプトンをつれて

ブロンプトンを活用した旅の提案

(前回からの続き)
ブロンプトンに乗れない第2週目がはじまりました。
手術当日の晩から翌日にかけては患部痕が痛みましたが、だんだんとおさまってゆきます。
排便も、薬で治そうと頑張っていたときより、ずっと怖くなくなりました。
それに今度はおできを取ってしまったので、手術前のような違和感は全くありません。
但し、一日一度は排便後に水洗いするわけで、血は簡単には止まりません。
そこで、歩いて行ける近所のドラッグストアに包帯かガーゼを買いに行くことにしました。
ところが、あの専門病院前の調剤薬局で見かけたような、お尻専門のガーゼや包帯はどこにも見当たりません。
実は前に使った介護用オムツが家に残っていて、あれではだめなのか看護士さんに訊いたのですが、蒸れるから専用のパッドを使った方が良いというお答えでした。
しかし、そのような商品は近所のドラッグストアでは置いていないのでした。
また病院の近くまで戻れば入手できるのかもしれませんが、あいにく自転車もバイクも乗れませんし、それだけのために車で行くのはちょっと無駄すぎるような気がします。


結局怪訝な顔をされながら、切り貼りできるガーゼのほかに女性用のナプキンを買って帰りました。
形状が似ているものといえば、これしかなかったのです。
そして、実際にお尻に貼ろうとしてびっくりしました。
そう、テープがお尻ではなく下着に貼る構造になっていたのです。
(考えてみれば当たり前なのですが、そんなもの見たことも使ったことも無いので、分からないのでした。)
あれ、ダメじゃんこれと思いながらも、無理やりトランクスに貼って使う私。
しかしよれてしまい、自転車にもバイクにも乗らずに家に居るとはいえ、居心地が悪いのでした。
しかしロキソニンを飲みながらお尻にナプキン当てて、人生に一度くらいは交代可能性について想像してみるのも悪くないかもしれません。


さて、運動できない休みの間、基本的には近所を歩いて移動するしかありません。
それほど遠くまで歩いたわけではありませんが、ふだんから自転車に乗っていると、その歩みの遅いこと。
すこし早歩きにしても、もどかしくてたまりません。
このままでは身体が鈍ってしまうとばかり、走ろうかと思ったのですが、何年もジョギングの習慣を捨てていたために、シューズ自体が壊れて(ジョギングシューズで自転車やオートバイに乗ると、わりと早くにダメになります)無くなっています。
結局走るのは諦めました。
そして、どうしても移動しなければならないときは不本意でしたが、雨の日を中心に車を使わざるを得ませんでした。
これがまた、お尻の調子が悪いのと、ふだん身体を動かせないこともあって、運転していてちっとも気持ちが上向きになりませんでした。


こうなると、家で静かに本を読むしかありません。
病院での長い待ち時間を含め、たしかに読書は進みます。
しかし、それもこと病気に関する本が中心でした。
実は周囲の人の中に認知症やパーキンソン病を疑われる方が出てきて、もともと学習における記憶、認知障害や、自閉症をはじめとする広汎性の発達障害について、或いは身体的な運動と脳神経の関係について興味のあった私は、その手の本もいくばくかは読んでいて、こうした本の中で未読のままになって本棚にあった書籍の中で、とくに老化による記憶の衰えやパーキンソン病について書いている本があったので、この機会に読み進めてゆきました。
一方で、仏教思想やキリスト教神学、哲学系の本をはじめ、小説なども併せて読んでみたのですが、こちらの方は気が散って読めません。
正確に言えば、読んではいるものの字が右目から入って左目に抜けてゆくような感じで、頭に入ってこないのです。
読んでいる内容は理解できても、心に全く響かないと換言してもよいかもしれません。
それと同時に、ブログも書けなくなりました。
頭の中にまとまりがなくなってしまったようで、ひとつのテーマで書くということに集中できなくなっているのです。
この機会に書き溜めようと考えていた自分の目論見は、見事に裏切られました。


これは何かがおかしいと思い、考えてみると、脳神経科学の本を読んでいたこともあって、今まで読書が捗ったのは、日常的にブロンプトンで有酸素運動をしながら都内や横浜の中心部を往復していたことが関係しているのではないかと、疑るようになりました。
むかしサラリーマンをやっていたころ、一時期朝に泳いでから出社していたのですが、その時には午前中の仕事が自分でも驚くくらい捗りました。
その時は、単純に酸素がたくさん頭の中に入ったから冴えたのだと思ったのですが、本の中では脳が一方的に身体に向って命令を発するのではなく、身体が受けた感覚や刺激などが、脳に信号を送り、それによって脳はその動きを柔軟に変化させている旨が紹介されていました。
つまり、脳が主人で身体は下僕というのは誤りで、脳も身体もともに信号をやり取りしながら成長してゆく、いわば学友のような存在なのです。
これはブロンプトンに乗れないのならば走らねばと思いました。
そもそも、歩行やランニングがあっての自転車なのです。
どんなスポーツをやるときでも、ランニングとサーキットトレーニングを併用するのは当たり前だと教えられた昔を思い出しました。
そこで、病が癒え次第ジョギングシューズを買いにゆくことに決めました。
こんなに走りたい、走らねばという願望が切迫したのは、10代のころ日常的に運動していたときでも無かったかもしれません。


こんな感じで一週間を過ごし、手術から8日目にして自宅からブロンプトンに乗って病院へ行くことにしました。
今更ながらに振り返ってみると、2010年の春にブロンプトンを購入し、夏の暑さが過ぎたころに本格的に乗り始めて以来、2週間以上もブロンプトンに跨らなかったことは一度もありませんでした。
台風や積雪、旅行や風邪などで乗れなかったとしても、せいぜい4~5日の間でした。
それくらい、何をやるにも、何処へ行くにも、ブロンプトンと一緒だったのです。
そういう意味では、貴重な2週間でした。
展開の仕方も忘れているのではないかと、畳まれたブロンプトンを前に一瞬戸惑ったのですが、それこそ頭ではなく身体が手順を覚えていました。
毎日の習慣というものは、恐ろしいものです。


そして、自宅からいつも走っている道を横浜駅に向かって走り始めました。

患部はサドルに干渉しないので、やはり自転車が犯人ではないと確信しました。
ところが、最初は身体がフワフワと宙に浮いているような感じで、サドルに跨って自転車を漕いでいるという感覚がありません。
ペダルを踏んでも反力というか、手ごたえが全くない感じなのです。
1㎞走り、2㎞走ってもそんな状態のままで、これは病み上がりだから加減しろと体の方から注意されているような気がしてきます。
こういう感覚はどこかで似たような経験をしているような気がして考えていると、シーズン初めにスキーをはいて滑りだした時とそっくりだと思いだしました。
スキーというものは、南半球に行かないと半年間はできません。
冬山でアルバイトをすることにより、年間60日以上滑っていた学生時代も、ワンシーズンで7日も滑らない現在でも、そのシーズンはじめてスキー場に来て、リフトに乗って一本目を滑る時、身体の記憶だけを頼りに、頭は切り離されて滑っているような、文字通りの上滑りのような感覚とよく似ているのです。


こうして自転車をゆっくりと漕いでいるうちに、だんだんと運動と頭がつながりだしてくるような気持になりました。
もしかすると、これがニューロンと呼ばれる神経細胞の先端にある、シナプスという名の軸索状の接合部位が、いったん途切れていた状態になっていたものの、再びつながって信号をやり取りするようになってきている感覚なのかもしれません。
私が病中に読んでいた本には、意識的に歩行することでパーキンソン病を脇へ追いやった(根治したのではなく、寛解した状態)男性の話が出てきました。
脳の中で少なくなってしまったドーパミンを、薬で補うのではなく、身体を動かす感覚を用いて、逆に脳をせっついて、これまでとは違う回路で運動を習慣化していったという内容でした。
その本によると、人間の歩行機能というものは、他の哺乳類のような生得的なものではなく、生後1年以上かけて獲得する後天的機能だというのです。
(人間の出産が11カ月の生理的早産であるというアドルフ・ボルトマンの説は、今では広く受け入れられています)
事故や病気などで足を失ったひとが、義足によって歩行を取り戻すとき、脳は従来その人が歩いていたときの神経回路を再び蘇らせることができるし、逆に脳の一部を失ったひとが、リハビリにより歩行を取り戻した時は、今度は別の回路や部位を使って運動を取り戻すという実験結果を別の本で読んだことがあります。


そうやって、ブロンプトンでゆっくり走るという行為を歩行やジョギングと比較して分析的に考えてみると、自転車の場合、地面からの情報は足裏から直接(といっても、現代人は靴を通して間接的に受け取っていることには変わりない)ではなく、タイヤと駆動システムを通して間接的に伝えられるものの、自転車特有の平衡感覚を無意識的に働かせながら、しかも歩行とは比べ物にならないスピードで、ほかの車や自転車、歩行者をはじめとする交通他者の動きや道路上の信号その他標識などに加え、沿道の様子、看板の文字など様々な情報を素早く処理しているわけだと改めて思いました。
自分のように地形を読みながら、旅先でははじめての道を、頭の中で地図を描きながら走っている場合、脳はこられ多大な情報をさらに加味したうえで取捨しながら、スパコン並みの判断で道を選択しているわけで、これを「勘」という一言で片づけてしまうには、あまりにも雑だと考えなおしてしまうのでした。
そう考えてみると、今もし改めて私が旧東海道を歩き直したり、ジョギングしてみたりしたら、何カ月もの間、松葉杖や車椅子が手放せなかった人が、それらの補助が無くても立って歩けるようになって感覚を取り戻すときと、同じ気持ちを味わえるのかもしれません。


改めて考えてみると、運動も、それを出先や旅先で行うことも、自分が生きて成長してゆくうえで不可欠なことなのかもしれません。
学生時代は机にかじりついて勉強をすることが、そして社会人になっては少ない動作で収益を極大化することが、「学んでいる」「稼いでいる」と一部でされていました。
一方で、「脳ミソが筋肉や根性一筋のスポーツ馬鹿にはなりたくない」という考えがあって、もう片方には「考える前に身体を動かせ」「頭でっかちになって動けなくなるな」という考えたがあって、そこで「要はバランスだ」などと言って、シーソーゲームをやっていたのでは、前述したような「頭と身体の交感神経を深化させてゆく」などという考えには、いつまでたってもたどり着けません。
このことは、「学問か遊びか」「仕事か趣味か」の間でも、同じことがいえるのではないでしょうか。
私は仕事人間でも、遊び人でも双方のどちらかでありたくないし、またどちらかがもう一方の道具になる、つまり手段と目的の関係になるのにも反対の立場です。
あそびと仕事が相互に深まるのでなければ、成長はあり得ないと信じていますから。


結局、横浜駅の南にある病院と、横浜市の最北部にある自宅をブロンプトンで往復し、汗ばむくらいに久々に運動しながら考えたことは以上のような内容で、これまで全く筆が進まなかったのに、こうしてA4で10枚近くもブログを書いているのは、再び運動を取り戻すことによって、動いていなかった一方のタイヤが、再び稼働し始めたからだと確信しています。
その証拠に、字面だけ追っていた読書が、より色彩を増して立体的に心に投影されるようになりました。
つまり、私にとって今回の病を得たことが、気付きへのきっかけになったというわけです。
「歓びも痛みもひとしく貴重な恩恵であり、そのどちらもそれぞれ、その純粋さにおいて、両者を混同しようとすることなく、徹底的に味わい尽くさなければならない。歓びによって世界の美がわたしたちの魂のうちに入り込んでくる。痛みによって世界の美がわたしたちの身体のうちに入り込んでくる。歓びだけではわたしたちは神の友になることはできない。」というシモーヌ・ヴェイユ(「神を待ちのぞむ」今村純子訳 河出書房刊)の言葉が心に染みました。


病院では、まだ多少の腫れは残っているものの、もうすぐそれも引くでしょうと薬は出ませんでした。
但し、手術前の血液検査で血中の中性脂肪の値が、基準の3倍を超えている異常値だったので、しばらくの間は粗食と運動に励んで、もう一度血液検査を受け直してくださいと注意されてしまいました。
これでなお一層のこと、走るモチベーションが向上して参りました。
この文章を書きあげたら、予算内でジョギングシューズを買いに行こうと思います。
もちろん、ブロンプトンに乗って。