学校が休みなら近所を探検しよう。それが駄目なら本を読もう。 | 旅はブロンプトンをつれて

旅はブロンプトンをつれて

ブロンプトンを活用した旅の提案

2012年8月より8年7カ月続いた本ブログも、この投稿で1500回目の記事になりました。
最初は100回も続ければ上出来と思って始めたブログですが、今ではイエスさまの年齢、すなわち西暦年数か、さらにはお釈迦さまの年齢(イエス様プラス400~600)まで行けるかもしれないと思っております。
本を読んでネットを探してもたどり着くことのできない情報、すなわち自分が読みたい内容を書くことで、これだけ続けてこられたと思っています。
戯言のような冗談から、けっこう真面目な紀行文まで、いつも読んでお付き合いしてくださっている方々に感謝いたします。

(このブログは「旅は驢馬をつれて」のもじりだから、彷徨驢馬が正しいのかもしれません)


さて、学校が急にお休みになりました。
平日の午前中、所用で比較的大きなショッピングモールに行くと、そこにはたくさんの子どもたちがおりました。
気持ちは分からないでもありません。
遊びたい盛りの元気な子どもを家に押し込めておくなんて、無理な話というものです。
そういえば、学校が臨時に休みとなって、行き場所を失った子どもたちが学童保育に殺到しているという話題や、書店でのドリルの売り上げが伸びているという話をテレビニュースや新聞が取り上げているのを見かけました。
正直、なんと貧しい発想しかできない大人たちだろうと悲しくなってしまいました。

子どもの遊びは大人が管理しなければいけないと思っているから、学童保育に丸投げという発想が出てくるのでしょう。
私が親なら、これを機会に近所を探検して社会勉強して来いといいます。

集まるのがいけないのなら一人で行けばいいです。
(本音は「一人旅して来い」ですが、そうすると無責任の謗りを受けますので)
というのも、子どもの視点でしか見えてこない街の姿があるからです。

過去にそういう視点を持てなかったら、いま旅をしてもこんなに紀行文は書けないと思います。
宅地化された東京近郊にも、まだ僅かながら自然が残された場所があります。
(先日ご紹介した横浜市の市民の森などが良い例です)
野山や戸外をひとりから少人数集団の子どもで遊んだとて、親につれられてショッピングモールへ行き、或いは混雑した児童保育施設に預けられるよりも、ウィルス感染の危険は遥かに低下すると思います。
自然の中にはたくさんの細菌が存在しますから、何でも口に入れるとか、傷を消毒せずに放っておくとかよほどの行為をしない限り、却って免疫力がつくとおもいます。


こう考えると、かつてとは環境が違う、今は子どもだけで遊ばせられない、子どもを狙う大人の存在も心配だと反論する人がいます。
社会的な環境は、昔も今もそう変わらず、変わったのは自然環境の方だと私は思っていますし、よくない環境と耐性のない子どもをつくってきたのは、外ならぬ自分たちだと思うのですが。
そこまで心配なら、大人が少し離れた場所から手出しをせずに見守るだけにして、子どもたち(大人数が問題なら小グループで)だけで遊ばせたらいいのです。
前回触れた、自主保育の方法が良い例です。
それに、大人の側のメリットを考えますと、実は子どもたちの社会を観察することで、大人も学ばせてもらう機会が巡ってきます。
「子育ては生き直し」と言われるくらい、もう一度人生をやり直すことができますから。
但し、そのためには「子どもから学ばせていただく」という謙虚な姿勢が必要不可欠です。
「こっちは仕事を休んでまで子どもが遊ぶのを監視してやっているんだ」などと考えているようでは、生き直しをする芽を最初から自分で摘んでいるようなものです。

こんなこと、ルソーの昔からいわれていますが、子どもは未熟な大人ではないのです。
どうでしょう、そうした学ぶチャンスを学童保育に丸投げなんて、実に勿体ないことだと感じませんか。

(子ども向けの本でも、読み応えはありますよ)


もうひとつ。
学校の勉強に遅れないよう、家でドリルをやらせようというアイデアについてです。
このような考えを持つ親御さんは、自分が教師の代理を務めなければという意識を持っているのかもしれません。
それとも、本人が小学生の時、長い休みに親から強要された経験があるのかもしれません。
しかし、計算問題や漢字の書き取りなど、練習問題形式で頭を連続して使えるのは、小学生ならせいぜい5分から15分までです。
それをスポーツの練習よろしくインターバルを組んで一日何度も反復させたらどうなるでしょう。
間違いなく、計算嫌い、漢字嫌いの子どもになると思います。
もし、ドリルをやらせたいのなら、規則正しい生活をしたうえで、決められた短い時間、一日一回を毎日繰り返すほうが効果はあると思います。
夏休みの宿題はそうやるように指導されているでしょう。
受験の直前でも、そんな練習問題も解き方はやりませんし、ドリルの冒頭にも「やり方」がちゃんと説明されていると思います。

(都内で、駅から自転車で15分位の場所です)
もし、どうしても外へ出せないというのなら、なぜ「読書してみよう」というアイデアが出てこないのかなと、もどかしく思います。
むかしの病弱な子どもは、家で読書ばかりしているというイメージでしたが、それはそれで、文学少年、文学少女という称号をもらえました。
いま、子どもたちは自分が病に侵されて学校へ行けないのではありませんが、病気に罹患する可能性があるから学校へは行けないという点では、同じことです。
時間のかかる読書は、こんな場合が絶好のチャンスです。
学校ではスケジュールが決まっていて、好きなだけ本を読みたければ放課後しか時間はありません。
その放課後は習い事や塾で埋まっているという塩梅なら、読書する習慣なんて、通勤時間のない子どもには見出しようがありません。

(この辺は大人でも夢中になります)


これも想像ですが、大人の側に「こんな本が読みたい」という子どもの要望に対する答えを持っている人が少ないのではないかと思います。
自分が子どもの頃読書に夢中になった経験が無ければ、それを伝えることはできないし、子どもの読みたがっている本を推論することもできないでしょうから。
しかし、ジュブナイル(児童文学)って幅広いですよ。
大人だって時間をつくって読んでおきたい本がたくさんあります。
そして、その分野にも古典的な本はやはり魅力的です。
たとえば、ブロンプトン好きなら、児童文学の宝庫イギリスは外せません。
というか、イギリスって子どもをターゲットにした本の発祥国です。

冒険ものなら去年のクリスマスにご紹介したチャールズ・ディケンズ作の「オリバー・ツイスト」、このブログの題名の元になった「旅は驢馬をつれて」の作者、ロバート・ルイス・スティーブンソンの作品なら「宝島」、ラドヤード・キップリングの「ジャングル・ブック」
推理小説やSFならA・コナンドイルの「シャーロックホームズシリーズ」や「失われた世界」、G・Kチェスタトンの「ブラウン神父シリーズ」。
ディストピアものならオルダス・ハクスリーの「すばらしい新世界」や、ジョージ・オーウェルの「1984年」。
ほかにC・S・ルイスの「ナルニア国物語」、ヒュー・ロフティングの「ドリトル先生シリーズ」など、この辺りは、ビクトリア朝を知るうえでは是非とも読んでおきたいですが、お題を知っていても原作を読んだことない本がたくさんあると思います。

(新潮文庫の100冊って今もありますよね。「ビルマの竪琴」は間違えてもう1冊買ってしまいました)


イギリス以外にも、フランスならA・デュマの「モンテ・クリスト伯」、サン=テグジュペリの「星の王子さま」、ジュール・ヴェルヌの「海底2万マイル」。
ドイツならグリム童話からミヒャエル・エンデの作品群、エーリッヒ・ケストナーの「飛ぶ教室」、ロシアならトルストイの児童向け作品、アメリカならマーク・トゥエインの「ハックルベリー・フィンの冒険」「トム・ソーヤの冒険」や、ライマン・フランク・ボームの「オズの魔法使い」、新しいところなら、ジョン・グリシャムの「少年弁護士セオシリーズ」等々。
西洋系が嫌なら、「十八史略」とか、日本はそれこそ宮沢賢治、芥川龍之介、新見南吉、江戸川乱歩など、いっぱいあります。
これみんな10代向け作品です。

こうした本は岩波少年文庫にあたれば大概ありますし、古本で良ければ、日本や世界の児童文学全集とか大系のうちの1冊を買うと安く入手できます。
もう少し社会的な本を読みたければ、その上の岩波ジュニア新書とかで興味のあるテーマを絞って本を選べばよいでしょう。

読書のコツは、読んだことを自慢してやろうとか、教養を広げようなどと考えて読むのではなく、本の中身そのものに自分を没入させてしまうことです。

その意味でも、学校へ行かなくて良い今の状況は、心の旅がしやすいのです。

もし、物語に引き込まれない場合は、「作者はこの本を通して何を訴えたいのだろう」と考えながら読むことです。

そして、解説や訳者あとがきがあれば、それが大人向けの文章であっても読了後に読んでみましょう。
最近は古典も子ども向けに現代語訳されており、大人向けの解説文を読むだけでも要点がつかめます。
だからといって、本編を読まずに解説だけを読むなんてなしですよ。

なにしろ時間は山ほどあるのですから。

もし親御さんに時間があるのなら、一緒に音読してみるのも楽しいかもしれません。

ゼミナール形式で交互に読むとか。
子どもと一緒に児童文学を読んでみる機会なんて、子どもが成長してしまったら二度とありません。
机の脇に立ってストップウォッチ片手に強制的にドリルをやらせるよりも、よほど夢のあるアイデアだと思うのですが…。