LIKE A ROLLING CUISiNE

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運命を拓く✨偏屈料理人のブログ
印象派の画家達に憧れ単身パリへ。しかしこんなはずではなかった!?様々な人との出会いと別れ。苦悩と喜びの日々と自身の料理哲学を綴る物語。
誰もが幸せになれないなら僕は料理を作り続けよう



楽しみにしていた3日間
子どもの時からずっと

それは嘘(汗)

なんやかんやで95%くらい独断でメニューも作ってしまって。春というよりは、春寄りな訳。

2月に東京に行って料理人として何か大切なものを失ってしまった気がしていた。

季節の食材を使うとか、ミモザ飾るとかじゃなくて、、、、、

ナチュラルとかそういうのも違うもので

もっとこう。
なんというか。

朝さぁ、鏡見たら髪が最近左にハネてるんです。
なんかそういう場面を切り取ったもの。
僕にとってはそういうのが季節感であったり、リアルな春であったりするわけです。
そこをやりたい。

若い頃はどうだかわからないけれど、美術館に飾ってあるものだったり、あの日見た壮大な景色であったり?世界的なロックバンドのコンサートに行った日だったり。

そういう大それた一場面を料理として表現することはだんだん困難になってくる。年を重ねるたびに辛くなってくる。僕は自身の料理のモチーフが日常的な素朴なものになっていってる自分自身に拍手を密かに送っている。
幸せ探しの延長線上で料理したいのサ。

今回はそういう自身の偏屈と最近の料理界への偏見を詰め込んだ構成で臨みました。

お客様たちは

春やわ。

ではなく、

春が来た。

そう感じてくれたはず。

この違いは殆ど同じなようで微妙に違います。
ラーメン屋に入って割り箸をわざわざ注文する人とそうでない人くらいの差があります。

人生とは愛とはそういうものさ。くらいに曖昧に無責任にまとめ上げてる素人バンドの歌詞みたいなもので。

多分、春とはそんなものさ。
的な要素を散りばめまくる。

基本あんまり好きな季節でもないんで、まぁまぁ適当です。一方的にそれを押し付けてます。
もう、疲れないくらいに春を。


いろいろと新しい試みもやりました。
でも、ベースはきちんとフランス料理のそれ。
そこは大事にしているんで。

まぁそんなに難しいことしなくても、難しくしなくても、僕らの伝えたいことはだいたい表現できる。単純で簡単でいいのだ。

後は単純な料理を単純だけどなんて奥深いひと皿だと勝手に思ってもらえたら(笑)

これね。
最近思いはじめたんだけど、なんて奥深い料理なんだと食べ手は感じてるんだけど作ってる側はそんなこと微塵も感じてなくて。
術中にハマってるやつなんですよね。
お客様を軽く見てるってわけではないんですが、そこへいくまでのプロセス作りというか、店に入ったときからそこへの誘導は始まってるわけです。ワインも似たような要素が多々あります。

いろんな料理を食べてきましたが、シンプルな料理ほどそう捉えがち。
あえて、どシンプルでいくのはそういう部分も含めてではある。化粧の薄い女性に普通の男は駆けていくもんだと思っているけれど。
あえて厚化粧女を剥がしていきたいと考えるのは数パーセントの変態だど。

だって脱がす必要がなかったら簡単じゃんか。
ハーブもオリーブオイルもいらないんだ。
僕の料理は既に脱いでいる。
もう面倒な装飾はやめよう。
もっと楽しみたいじゃん。
春ってそういう季節なんだぞー。



仕事が終わって銭湯でアクロスザユニバース
ビールを流し込んで極める

情緒不安定

適当にエイトビートを刻んで

六甲道に降り立った。

さぁ料理しようよ。


前夜

たくさんテストや仕込みをする予定

使うワインをすべて並べてみると全部開けて皆んなで1杯ずつ飲もうかという話になった。

各々がそれぞれのワインについてのエピソードや無駄な知識を持ち寄り、やってはいけない夜が始まる。

どうしても豚のテリーヌだけは仕込まないと寝るわけにはいかないので、フラフラでテリーヌ2本だけ頑張って仕込んで後は覚えていない。

やっちまった感と背徳感に駆られながらも、表情は晴れやかな夜明け前。レストランの椅子をくっつけて目を開けたまま寝た。

何事もなかったかのように朝は来て、ピノドニスの大人の火遊びみたいな酸味が唇を舐めると確かに残っていた。

ボーっとしながらコーヒーをシェフと飲みながらスイッチが入るまでしばらくは動けない。


メニュー組んで
一斉にGo

gogo

お昼はプリフィックスのショートコースに夜はアラカルトでワインバーみたく営業することになりました。

昨日の夜に飲み過ぎなかったらよかったんだと何回口にしたのだろう(泣)

仕込みに追われ、メニューを印刷したいもパソコンがフリーズしたり。
そんなところまでフランスっぽくしなくても良かったのに。ねぇ。

同じ話題で何度も盛り上がるように料理のパーツをひとつずつ完結させていく。
でも毎回少しずつ違うわけで、僕は料理人としてはその毎回をそれぞれ楽しんでいたいし、そうなってほしいとは常に思っています。

そこの対応力や、アレンジは経験則によるものが確かに大部分を占めますが楽しめるか否かはセンスみたいなものです。

食材から料理を作る人にはできるかもしれません。料理から食材を引っ張ってくる人には耳障りな話でしょう。

おまかせのコースって本質的にはそういった食材から発想するもののはずなのに、今日ではおまかせのために食材が選別されていく。
形のいい野菜とか本当はどうでもいい話で、虫が食べて穴が開いた葉でも僕は使ってあげたい。


これを絵にするかどうかは料理人次第。
僕ははらぺこあおむしのエリックカール氏に敬意を表したひと皿にしてみたのだった。

穴からチラリズムの秋刀魚とじゃがいもが見える昨年の初秋の料理。逆にこの小松菜の葉でなければこの絵にはならなかったわけで。

アイディアはひらめきではなく、湧かせる。
湧くように、乾かないように、常に泉には水を張り続けないといけない。

僕も若い頃は一流のものに触れることでそれが養われると思い込んでいた。多くの人はそれで満足できるかもしれない。でも、より多くの人がはっとするようなクリエイティブを生み出すにはやはり日常に目を向けないと駄目なんだ。

料理人の日常の中にある小さな幸せや喜びや、些細なことに一喜一憂したり。
また、それを誰かと分け合えたり。

日本に帰ってきた頃に心底思えた。
ポルトガルの安い白ワインを1本空けて、まだ結婚する前の妻と2人分の買ったばかりの小さなテーブルでじゃがいもと人参とソーセージの入ったポトフを分け合った。

あの日にたどり着くまでにたくさんの後悔や挫折をしたけれど、答えはいいもんだった。
それは決して後悔や挫折ではなかったことを教えてくれる。

エッフェル塔は通天閣に変わってしまったけれどもこの日常を遠くから待ち望んでいた自分がいたことにようやく気付く。
環境に磨かれているようではまだまだ。
最近はあの日と同じタイミングで空を見上げられるようになった。

もっと天気に敏感になったり。
新聞に目を通したり。
ラジオから流れた曲を調べてみたり....。


初めから上手くいくといいね。

誰もが望んでいる。
自分に才能があると思い込んだほうがいい。
多分それが一番の近道。
突き抜けたら勝ち。

つらい思いも苦しいこともしなくていい。
すべて上手くいくといいね。

悲しい若い料理人が増えた。

最近のマイブームは毎日アナザースカイの岸田シェフの回を見ること。この4日間で8回見た。

先日のディナーが終わって井上シェフとラーメンを食べて彼の自宅に泊めてもらった。

僕、録画してるんですよ!

お、さすが気が効くねぇ(笑)

皆んなが見た?見た?
と聞いてくるので見なければと思い2人でそれを見ることに。

大袈裟な話ではなく、僕らの世代のフランス料理の料理人たちは岸田シェフが作った世代だ。
12年前、ミシュラン3ツ星を獲得した岸田シェフがNHKのプロフェッショナルに出演した。
フランス料理の世界に入って1年目の僕らはテレビの前でゾクゾクしながら見ていた。

まるでパブリックビューイングでサッカーのワールドカップを見ているかのような感じ。調理師学校の学生寮で生活していた僕は友人たちと19インチの小さなテレビを囲み伝説の回を堪能した。

翌日、学校ではその話題で持ちきりだった。
センセーションな料理だったからだ。
あの放送も録画していて30回は見た(笑)
実習中にカンテサンスのキュイソンを真似しようとする生徒たちが急増したのはこの頃。

まるでアルゼンチンの子供たちがマラドーナのドリブルを真似するかのようにね。僕はグランメゾン東京の料理監修じゃなくてもういっかいプロフェッショナルに出てほしいなぁ。

そんなこんなで、あれから12年後。
懐かしい気持ちにもなり、井上シェフとテレビを食い入るように見つめた。

あの日と違うのは僕自身もパリもフランスの3ツ星レストランも体験してきて見てるということ。
今では岸田シェフの料理とは僕のやってる料理は真逆のような料理と思想だと思うけど、本当に心からリスペクトしている料理人の方です。

師匠のバルボシェフが胸が熱くなるよ。というシーンにじーんとくるものがありました。
そうだよな。そうなんだよなと。
まさに料理人とはそういうものです!

今の日本の若い料理人たちはもうセンスとかクリエイティブに逃げないで欲しい。もっかい料理ときちんと向き合ってほしいと切に願うのだ。
いつまでもそれでは続かない。
10年に1人の逸材でない限りは。

何度かブログにも書いてますがそういう創造主の人は別です。センスとクリエイティブだけでやっていけます。天才なんで。たまに出現します。


いろんな料理をつくりました。
今回も。

こんなテクニックを使ったり、こんな発想やこんなアイディアでとか。
あんまりここでは書かない。
食べた人だけが感じてくれたらいい。

でもこんな風に思ったんだというのは発信したいことではあって、それは食べられなかった人に食べさせたいわけです。

素晴らしいことも、そうでないこともあります。
扉を開けて出て行っても何回も同じ部屋に帰ってきます。不自然な美味しかったですに寝れない夜も来る。

作りたい料理があるうちはその反復。
いくつもそんな欲求と現実の狭間でうまくやっていかないといけない。
器用そうで全然器用でない人が多い世界。

で、結局僕の春ってなんだったんだろうな。
見知らぬ人に会うよりは、まだ作ったことのないひと皿を作りたいのかな。

4月も5月も六甲道で料理する予定です。

またこれからも暮らしの中で。続きます。






今年のテーマです。

暮らしと料理

暮らしの料理でも暮らしの中の料理でもなく、暮らしと料理なのです。対になっている。


今回は漆塗りの仁城逸景さんの器とのコラボということで個展の初日に一緒にやらせてもらいました。

民藝品を取り扱っている岡山市のくらしのギャラリーさんhttp://okayama-mingei.com/ にてイベントを行いました。

24歳くらいから歳を追うごとに料理がシンプルになっていきました。それはなぜなのか。
先日お客様に言われた一言にはっとしました。

サラダを注文されたお客様に
「ドレッシングはあるのかしら?」
と聞かれました。
少し間を置いて、
「油がお嫌いですか?」
と伺いました。

そうなんです。
そのシチュエーションは油分が敵だったんです。
僕はサラダの運命の半分を油分に頼っていたし、調理のポイントにしていました。
かなり昔からずっと。
はたしてそれが正解といえば正解ですが、それでいいのか?と感じたのです。

ネギの青い部分で予めドレッシングを作っていたのですが排除することにしました。

それでもサラダにしないといけない。
どこで変化させて、トーンやテンポを食事の中で変えていくのか。今の僕には盛り方と色の配置、そして塩の振り方で打開できないかと考えました。

何度かブログに書いてますが、僕が生涯で食べた中で一番美味しかった料理は21歳の頃にフランスの3ツ星レストランでイレギュラーにオーダーされたグリーンサラダが提供された後に厨房にボウルに残った「余ったサラダ」です。

あれを超えるサラダをいつか作ってみたいと思っています。それほどに衝撃的だった。
油はもちろん入っていましたが(泣)

未だにあれ以上のサラダを食べたことがない。

今回のサラダはアランパッサールの冬野菜のカルパッチョが僕のモチーフでした。
里芋と人参は予め火を通しておいて、大根とカブは生のままで。小松菜とセリを葉野菜として用意しました。それぞれをスライスして盛り付けていきます。重要なのは塩加減と空間性と色の配置です。これは師匠のサラダからの学びと自身の経験則から今こうなっています。


先ずは重たいものから敷いていきます。

人参と里芋。

ただのスライスにすると食材通しがくっついて高さも空間も作れないので人参を少し角度をつけて多角形になるように切り、そっと置いていきます。一口で食べれる里芋には全体に塩を、二口で食べる人参には両端に塩を振ります。

次に白いカブと大根を重ねていきます。
これはどちらか片面にだけ指で少量塩を擦り付けてランダムに織りなすように置いていきます。
気を付けているのは人参と里芋より薄く味をつけることで、白っぽいほど塩気を感じやすいので、全体よりやや薄めにして、食材のみずみずしさを生かした設定にしてあります。生のままいくのは茹でた野菜との食感の違いと畑感を出すためと僕が味見して率直にこれが伝えたい味だからです。
ランダムに置くことで空間性と塩のバラツキが生まれサラダに表情の豊かさを出します。
ずっと無表情の味わいもいいのかもしれません。でもそれは料理じゃなくてワインのほうかも。もっと色んな表情が見たいといったい何人の食べ手が思うのかなと。料理はもっと味わいや味覚に対して食べ手が攻めていく感じがあるので委ねさせることがより難しいです。

サラダに空間が必要なのはボリューム感と食材の個性を感じやすくするためで、口に入れたときに
それぞれの味がきちんとわかりやすいように、ほどけやすい程度に間を意図的に作っていくのです。最後に小松菜とセリを。小松菜は軸と葉に分けて軸にだけ塩を振ります。葉には水分があまり含まれていないので塩を中和するものがありませんので塩をしません。そのかわりにこのサラダの中で1番苦味を持っている食材です。これがドレッシングの代わりになり、塩だけでは引き出せない野菜の美味しさと風味に角度をつけてくれます。旨味のフォローにパルミジャーノでグルタミン酸をプラスします。

漆50% 白20% 緑20% アクセントカラー10%でだいたいのバランスをとっています。
アクセントになるものには酸味や塩味や食感など何か強調するものを。今回はこのサラダの中でそういう色である人参を1番柔らかい食感にしました。単純にヴィヴィッドな色のパウダーなんかを使う場合もあります。以前は全体に振っていたのもどこかひと部分にポイント的に魅せるようになりました。ここではちょこんと飛び出ている人参が色合いに締まりを、味わいに変化をつけています。初見のお客さんが多い場合は色の種類は増やさずに大原則に従ってベーシックに攻めます。
プレッシャーを食べ手に与える必要はありません。驚きや発見よりも普通にスタートさせることを優先させます。色が多すぎるとそこに至るまでのプロセス作りも面倒で固定観念を与えすぎる要因にもなるような気がしています。ここではデザイン的な考え方が強いかもしれません。

塩をして盛っただけのなんてことはない料理ですが、どこまで本気でそれに向かうのか。
それは結果として味わいになります。
思った通り、サラダの評判が1番よかったのです。食材の個性が1番よく出ていた料理だったからではないのかなぁと思います。
どの料理も美味しかったのですが、サラダがこの日を象徴する料理だったはずです。
本当に感度の良い食べ手には伝わると踏んで作りました。そういうお客さんが何人かいたので僕も野菜も救われたのです。

油という敵

うすうす気付いてはいましたが、今回のサラダの件で完全に打ちのめされました。
僕はオリーブオイルに依存していたということ。まぁちょっと逃げみたいな要素です。
もうかなり前からオリーブオイルに味わいの一角を任せて表現から逃げていたような気がします。
乳化していない植物性の油はもはや邪魔でしかない。もうそんなテクスチャーもいらないよなぁと感じたのです。

夜中に皆んなの夜食に作ったアーリオオーリオもオイルに邪魔されて。いったい何なんだと。
僕はシンプルと言いながらも何やってきたんだろうなとショックを受けました。

僕がフランス料理の世界に入った頃はとにかく軽さが主流でした。エスプーマやレシチンを使った泡状のソースやエッセンスだけが抽出されたソースなどでよりライトな味わいとアクセントを料理につけていくという感じで。

本来の醍醐味であるソースが消えた。
日本ではそんな風に捉えられていた。

でも僕が実際にフランスに行って最前線のレストランで見たものは、バターバターバターのオンパレードだった。とにかく上質なバターをこれでもかというほど使いまくる光景。

何故かというと。
美味しいからの一言に尽きる。

そんな中、僕は油の世界と出会う。
味わいの境界線を探す、作るという類の。
アンニュイな料理というのは油が作り出していたプログレッシブのような曇り空のような抽象的で光が差し込みにくいものだ。
抜けない、切れない、ただ漂うだけの。

味わいの部分で損をしていた。
素材の個性をも損ねていた。
嘘っぽい自信のないものだっただろう。
あの日作った西瓜とサリコルヌのサラダも油なんて本当はいらなかったんだろう。
もっとバニラの香りを引き出せたのに。
様々な後悔や失態が頭の中を駆け巡りました。

もうオリーブオイルとは別れることにしました。

僕のオナニーオイル。
もうさようなら。
次回から使いません。

いい夢は見させてもらいました。
モネの風景画だと勝手に思っていた。
でも僕が描いていた料理はまったく真逆のものだったんだと痛感しました。恥ずかしい。

春までにはっとするような味わいを
もう一度お皿の中に呼び込みたいと思います。

暮らしと料理。

衣・食・住

は順番があり、衣の部分が僕は料理に1番近いのではないかと思っています。
簡単に言うと人の生命活動の優先順位だそうです。

温めることが何より大切なのです。
暖を確保することの重要性。
雨に濡れたときも、まずは衣類を着替えます。
料理は生命維持のための食ではなく温めるものだと思っています。人を温めるもの。

我々がイベントで伝えているのは
「食べる」ということ。
色々な食べるが世界にはあります。
食べることで満たされていく感覚を僕たちは本来伝えたいと思っているのです。


日々の暮らしの中には心と身体を温めてくれることがたくさんあります。

娘が生まれてから、より感じるようになりました。誰かのための料理でありたいと思えるようになったのも、自分のための暮らしから誰かのための暮らしに変わっていったからでしょう。

僕が思うカッコいい料理というのは
その人の人間臭さが滲み出たようなダサいものなのです。必ずしもシュっとしたものではない。
ただそれをお皿の上に素材と共に盛り込むことは簡単なことでもありません。
そこはやはり努力なのだと思います。
自分を表現することへの努力。
そして素材へのリスペクトです。

ご飯を作る人はそれを食べる人のことを考えています。その人を考えながら作っています。

自分の料理を待っていてくれている人がいるということが何よりも活力になっています。

次回は2/8(土)渋谷でプレイします。
オリーブオイルが無くなった料理を是非食べてみてください。


詳しくはコチラまで↓


では。



形ってあるよね。

人によって色んな料理の形を持っていると思う。
丸だったり四角だったり。

よく言う角の取れた味わいというのは丸くなるわけではない。角が取れるということなのだ。

僕は基本的には酸味で角を出したり。
時にヴィヴィッドな色合いで訴える。
それを極力丸に近づけていく。

必ずしも丸がいい味わいというわけでもない。
でも誰も傷つけない。
それは分かっていて....


今年最後のテーマはラーメン。

また自分にプレッシャーをかけるようなテーマにしてみました。美味しく作れる保証はないけれど、いつもそれを消化して新しい自分に会いに行こうと思っている。

誰もが食べたことのあるラーメン。
いろんなシュチュエーションで。
僕も何度も救われている。
人生のいろんな場面で味わう料理。
それは年を重ねるほどに味わいを増す。

そんな思いで。
まっさらな気持ちで。
今の僕にしか作れないラーメンを作ってみようと思ったのだ。


どう?
見事な鯛だ。

バッチリのアイシャドウ
ボンキュボン。いや、ボンボンボンかな。
ムッチリGirl

魚は肉に比べて愛する時間が短い。
最高の瞬間は数秒間で見つめ合って終わり。
今回のスープは僕が一方的に見つめる仕様。
SMの方法でソフトにゆっくり長時間。

鯛とスズキと鰆を使って、まずは塩ラーメンのスープを作り始める。

鱗を剥ぎ、血を徹底的に取り除く。
惜しみない手間を加える。
こだわる。

お風呂の限界値までゆっくり煮出した昆布の出汁にゆっくりと魚を入れていく。
大原櫻子ちゃんがマイクを触るようにゆっくりとエロめに好きな魚から沈めていく。

最近のラーメン屋さんでは煮詰めて、水分を飛ばして旨味を凝縮させたスープが主流。
ならば僕は低い温度で徹底的に食材を辱めるスープを作るだけだ。水で出せるなら水で出汁取っちゃいたい。バンバン煮立たせた液体からは滲み出るはずがない恥じらいを感じさせる風味を香らせたい。豚骨から抽出するのとは真逆の方法論で。

別にふざけてるわけじゃない。
香りや風味って雰囲気なんで。
消そうと思えばすぐにでも消える。
でも料理人的に欲しても手に入らないもの。
滲み出す。辱しめて搾る。
ぷ〜んと香る、ふぁ〜んと広がるのはある種の揮発性物質であることを分かりやすく表している。
脳にズコーンとくるのは味よりも風味なのだ。


シンプルに
シンプルに
慌てず、委ねて、こちらのタイミングを待つ

どこかで勝負を決めに行くような仕掛け方はせずに、もうとにかく待つこと。
慌てたい、仕上げたいのは料理人だけなのだから。

瀬戸内ラーメンと題した今回のイベント。
表現したい海があったわけで。
ただもう、ゴキゲンまで出汁を引いてやろうって思って今まで積み重ねた知識や経験を総動員してどこのラーメン屋にも負けないであろうスープを作ったつもり。つもりね。
食べた人はラッキーさんです。

出汁を飲んで久しぶりに笑えた。
それほどにキレてた。
温度と時間を限りなく制限していくとこんな世界が広がるのかっていうのかね。
口の中でループしていくコーラゲンの質やバランスも申し分ない。でも本当に魚と塩と水しか使わなかった。野菜すら加えてない。

SMって寸止めのことなのかな。
爆発しそうな旨味や風味が寸前で止まる。
ピシャリだ。
ただ僕は布団に入るまで悶々とした。
この突き抜けない旨さ。
なんというか。

ねぇ。

抱きしめたくなるより、抱きしめられたくなるような。



塩は託す。

そういう食材だと思っている。
だからわざわざ高知県まで帰って持ってきた。

僕は本当にマスターベーションしたいときは自分が泳いだことがある海の塩を使う。
なんなら飲んだことがある海の塩。
今回は高知県の黒潮町、熊野浦の天日塩。
先月亡くなった祖母を思い託した。

風土と共にあること。

具材もシンプルに。
石原くんの育てたカブをすりおろして。
同じ畑で取れたネギをちょろっと。
カブの葉と古木の柚子を添えて。

もう辛くなっていく手間まで出汁。
ため息のような旨さを。
吐き出せば角は取れる。

生まれ変わったみたいな、そんな風にしてくれた今年最後のひと皿でした。ありがとう。

2020年はより極めたいです。

来年は暮らしと料理についてやります。
ここ5〜6年追い求めてきた料理の最終章まで来たような気がしています。そして質素に美しいをテーマに今の到達点を見たいと思います。
そしてまた新しい自分に。

誰もが幸せにはなれない。

だから料理を作り続ける必要がある。

そして僕自身も。


また会いましょう!

塩ラーメンはすごく綺麗な四角でした。

角4つね。

ありがとう。