LIKE A ROLLING CUISINE

LIKE A ROLLING CUISINE

運命を拓く✨偏屈料理人のブログ
印象派の画家達に憧れ単身パリへ。しかしこんなはずではなかった!?様々な人との出会いや別れ。苦悩と喜びの日々と自身の料理哲学を綴る物語。
誰もが幸せになれないなら僕は料理を作り続けよう。


春が来た。
と思えばすぐ寒くなりました。

東京から新幹線で帰っています。
少し気分的にも、頭の中もすっきりしてきました。雨がやけに心地よかった。もう3月だった。
上野公園で旧友とコーヒーを飲みながら、落ちる雨に昔話を聞かせていた。

自分の中でひとつ区切りというか、ようやくそうした決心ができる所まで来ました。

3月の全イベントをもって、僕はフレンチシェフという看板を下ろすことにしました。

フランス料理人のプライドを持って料理を作ってきたつもりです。それは譲れなかった。曖昧にしようとも思わなかったし、そうであることに拘りたかった。

僕はそれはシンプルな料理にこそあると思い、そうした仕立ての料理を長らく続けてきました。
本物の食材が放つ香りや風味を全面に押し出した真っ直ぐで真っさらな料理を。

料理人として、

手を極力加えずにシンプルな料理を提供するというのは一種の美学です。
それは食材を作ってくれた生産者や魚や野花を育んでくれた大地(テロワール)そのものへのリスペクトの精神でもある。でもこれはどこかフランス的な要素でもあるのです。日本人的な美意識がここに入り混じったものが簡単に言うと僕の料理だったのだと思います。

働きたかったレストランは25歳までにすべて働けた。もっともっと修行していてもよかったかもしれないけれど、ミシュラン3ツ星、料理の世界のファイルステージも経験した。そこで部門シェフも勝ち取った。ただ、もう一個上に上がるのは当時は運と実力が少し足りなかったのかもしれない。日本のU25世代の料理人の中ではブチ抜いていたであろう。そういう自覚はあった。

フランスから帰国すること3回。
その度に今後のステージと展望を僕はいつも描けずにいた。やはりその時点で負けだ。
やりたい事をやりきって終わる。

そういった自分が心のどこかに取り残されていたのだろう。僕は彼を救わないといけない。彼が報われるようにしないといけない。
そう思い、フランス料理という灯りは決して消さずに自分の料理へといつか変わる日まで日本でやっていこうと誓った。いったいそれがいつまでやればいいのかも分からない。自分で始めたこの料理を自分自身で終わらせる日が来るまで。

料理をやっていたのは、料理をすることを通して人を幸せにして、自分自身もそれで幸せになりたかったから。


それはこれまでの経験をポジティブに捉えた結論でもあり、僕がこの先に進むための自分で立てた大義名分であった。


そう自分で思い。自分に言い聞かせないとこのまま破滅してしまいそうで怖かった。

でもこれでいいのか?
とずっと僕に問いかけてくるもう1人の自分がいた。いつも何処かで冷めた目をしてこっちを見ている。

彼は僕の中の料理の悪魔だ。
本当に追い詰められた時にパっと出てきて、さっと料理を作って帰ってしまったりする。
そういうもう1人の悪魔と付き合いながら、抑制しながら日本での日々があった。




知らせは急に来た。

友人から折り行って話がしたいと連絡があった。
それは単刀直入にシェフをやってほしいというものであった。

どうやら彼女が携わっている新しいプロジェクトが熊本県にあるらしい。新しいオーベルジュ式のラグジュアリーホテルを建設するにあたってシェフを選定していると。

即断即決でした。
いいよ。と

まず1番最初に考えたのはどんな料理?です。
パっと思い浮かんだのは、かつて20歳の頃に修行
したフランス・ラギオール村の3ツ星ミシェルブラスの料理でした。

あぁ、またアレをやるのか...。
それとも戻っちゃうということなのか?

かれこれ、あれから16年。
あの頃以降はずっと都会で料理をしていた。

運営・企画サイドから、とにかくすぐ熊本へ飛んでくれないかと打診されましたので、一度現地へ行くことになりました。超急展開。
オファーがあってから約2週間ぐらいの出来事でした。

熊本空港にクリエイティブディレクターが自ら迎えに来てくださり、車中で細かな説明を受けながら僕の熊本編はスタートしたのでありました。
この時、恐らく自分はもうフランス料理に戻ることはできないのだろうという覚悟はある程度感じていました。

舞台は南阿蘇村です。
阿蘇くじゅう国立公園の外輪山のちょうど内側に位置する丘の上。
もう本当に若い頃の情景に酷似していて、ゾゾっとしました。そのまんまやんか。

でも少し違ったのは、そこに暮らす人たちの精神性の違いでした。ラギオール、オーブラック高原と同じように牛や馬がその辺りにいて、ブルーピリオドの野花があったり。水源地もある。
ある程度の視察を終え、空港に戻る前に最後に中心部の千里ヶ丘まで登りました。
ピンと直感的に身体が感じたのは、昔ここに国があったのではないか?という漠然としたふわぁーっとした感覚。

昨夏に旅行で出雲大社に行ったのですが、その時感じたものと同じような感覚でした。
人々の何かしらの信仰がその土地を文化的に残し、現代に繋げてきているのだろうと。
これは仏教的な要素は無く、日本人の中にある神道に基づいたもので必ずあると僕は感じた。

しばらく丘を流れる風に当たっていた。
そこに居ることで、何か目に見えないものと繋がっている感覚にこの身が置かれていた。

決して人生が偶然でないのであれば、

これだ。
と思いました。

フランス料理を辞める日が来ました。
やっと彼を迎えに行ってもいい。
今がそういう時だった。

やっとトリコロールの服を脱いで、自分の料理と歩き出す日が来た。
あの日、どうしても燃やし切れなかった残りの魂を再び燃やしてやろうと前を向いた。

僕がこれからやりたい事は新しい日本料理を作るということ。誰かが見れば、それはフランス料理じゃない?と言われるかもしれない。
もちろんフランス料理の精神は自分の中に残っていくだろう。でもフランス料理の枠組みの中ではこれ以上表現できない部分がこれからやりたい事にはきっとある。そう思った。
だからもう看板を下そう。
日本人として日本を想い、そこから生まれてきた料理で世界に何かを発していこうと。

今やっていることは日本についての勉強。
日本人が持つ美意識、自然観。その精神性。
これらの根源でもある神社や神の存在についてまずは掘り進んでいます。小学校以来の日本史の勉強です。マジです。

今まで知らなかった日本。
この事に少しでも触れたい。
現時点では漠然としたイメージだけが頭の中にあるけれど、文章に起こせるほどにはっきりとさせたいなと思う。

和食の料理人たちが歯軋りするような世界観で新たな流れを作りたいのです。

日本の素晴らしい文化と残された自然な食材は根こそぎ奪いに来る海外のポップアップレストランではなくて、我々日本の料理人たちで正しく発信していかないといけないと強く思っている。

料理は本当に素晴らしいです。

こんな僕にも誰かを幸せにできるってことを教えてくれました。そして、僕自身に幸せを握らせてくれました。

誰かに言われて始めたことじゃない。
自分でやろうと思って始めたことだから続けてこれた。

最近、パリに渡ったつばさから毎日の営業での出来事がメッセージで届きます。

本当に楽しくてしょうがないんだろうなと、見ていて微笑ましくなります。

僕が若い料理人に言えることは、もっと好きになっていいということ。

それは料理に対してもそうだし、他人や自分自身に対しても。

その気持ちが結局は自分の料理に宿る。

理を料ることではない。
もっと自分本位でもいい。
時に恥ずかしくて、もどかしいくらい何かを好きな気持ちが料理になる。

逆から計算して、お客さんの事を思ってやらなくてもいいと思うのだ。
もうどうしよう。
このカブむちゃくちゃ旨そうなんだけど。

えい!

と皿に置いてしまう気持ちを僕は大切にしたいのです。

そこに理由が無いように、何かよくわからない愛しさが料理の正体のような気がしています。

この名前を付けてくれた父に感謝しています。

Yamato Imanishi


カレンちゃんはこう言いました。

ヤマトくん、神戸に蜃気楼を作ったのです。



「パリでのできごと」


楽しかった計8回のディナー。

毎回2日間満席で本当に良いイベントだったね。

イベントの事をずっとブログに書こうと思っていたけど、結局4回終わってからの記事になってしまいました。


でもやり切ったから書けることもあるよね。

ほんで思うのは、俺フケたなぁーってこと。

めんどくさい奴にどんどん近づいてるというかもうなってる。


こんな一年間を彼女とたまーに料理できたことでかなり僕は救われました。


そんな書きかけで止まっていた文章でしたが、イベントの方が先に復活したのです。


ということで再開。


ステージは花隈のマンションから北野のカフェへ大移動。


今回は火も無く、冷蔵庫も無く。

そんな環境は慣れっこなのでヘコたれません。

POP UP慣れしてるんで!


カレンちゃんは相変わらず神戸の街でワインを注いでいる。楽しくワインを注げるソムリエールだ。良い意味でラフなので、レストランじゃない空間が作れる。そこがいいなと思います。

絵になるカッコ良さがあるなー。


この街には皆んなのベンチマークとなる店が無い。寂しい所はそこだよなあ。

昔は良い時代があったのだろうが。

突き抜けない居心地が良い店が並ぶシーンになってしまった。そこに拘りを感じないのだ。

まぁ東京も似たようなものではあるけど。


皆んなは嘘を言っている。

いや、嘘ではなく知らないことを知っていると言っている。


結局、本物が無いのは作り手も食べ手も本物を知らないからに過ぎない。

何にしてもそう。


僕はフランス料理が流行らない街というのは個人的に文化レベルが薄まっているからだと思っています。

人と人との関わりや繋がりが実は弱いのです。

文化ってそういうものの上にあるものだと有名な脚本家の人が言っていました。

昔より確実にココが下がっているのです。


イタリア料理はMangiare 食べること Cantare 歌うこと Amore 愛し合うこと。

という言葉にもあるように食べることの上に文化が成り立っている。僕の中でフランス料理は芸術的な側面もあるように、フランスという文化の上に料理があると思う。逆なんです。


意外と神戸という街は洋食が輸入されてきた土地ということもあるし、喫茶店もそう。

昔から食が文化的なものを形成してきたのですが、それが年月をかけて少しずつ薄まってきた。

僕の大好きなシェフがワインを飲むとよく言っているけど、繋ぐ世代の料理人が次の世代にうまくバトンを渡せなかったのだろう。今は企業や大学が誘致され、その街の景観を変えていく。


悪気は無い。

でも生粋の神戸っ子ではない。

僕もよそからやってきてフランス料理をバラ撒いた。何をバラ撒いたのか、何に中指を立てているのか。だが。あまり意味を見出せはしなかった。

料理を作れど、ワインを注げど、来るのは大阪、京都、東京のお客さんばかりだった。


このイベントをやってよかったのは僕の料理を食べたことがなかったお客さんに、食べれなくなったお客さんにそれぞれ新しいテーブルを用意できたこと。そしてリピートしてくれる人が多いことも続けられた要因です。

ここはカレンちゃんに本当に感謝よね。


やはりビビっときた人にはきちんと伝わるらしい。これはホントに。嘘じゃない。


神戸らしいフランス料理というのは未だよく分からない。何が正解であるのかは。

明石の魚も、但馬の牛も、西区の野菜も。

使うほどに良さを見出せない。

即ち、僕がこの土地で料理をする理由を見出せない。だから地の食材に拘るのをやめて、自分が本当に美味しいと思う食材と信頼できる生産者から買うことにした。日本のどこにいても今ではそれができる。理由が無い人に意義のあるものは作れないと思うからだ。


神戸の食材だけで地産地消、3ツ星は作れないというのが僕の率直な感想。

色々なアプローチを試みる店はある。

その殆どは何も知らない料理人だ。

それも寂しいかな。


そんな色んな事も含めて。

何かやろ!

ってことで2人で立ち上げたイベント。

僕が唯一神戸で料理できる機会でもあるのだ。


おまかせコースのお店が増えたこの街で自由なフランス料理と背伸びしないワインのペアリング。

これはすごく良かったし、やっていて楽しかったです。マイノリティだからこそのこういった僕らの抵抗や表現。


神戸を離れるまでにあと何回かやれたらいいな。



何十年ぶりかに知人から連絡が届いた。


今日は何処かでお料理作ってませんか?

ストレートなものであった。


音楽家の彼女と出会ったのは遠く昔の事。

あれからもう16年も経ったのかと、時間の経過と懐かしい景色が瞼の裏でスクロールした。


何故、今日なのだろう?

と何の日か分からない今日に理由を探す。


話を聞くと、ご主人と六甲山のアートイベントに来ているらしい。僕が神戸に居ることを思い出し、連絡をくれたのだった。

ディナーでも?

と言いかたけたけど、ご主人もいることだし。ちょっと違うなと思い、残念だけどまた機会があればと返事をした。


彼女とは1度会ったきり。

僕は当時フランスに留学したばかりで、授業以外で初めてご飯を作ったのが彼女の家だった。

リヨンの音楽学校に通い、大きなピアノのあるアパルトマンに住んでいた。

朝、ソーヌ川沿いのマルシェで食材を買い、前の週に見つけておいたワインショップで白と赤を1本ずつ手に入れ持って行った。

お友達になれたらいいなという気持ちで。


あの日、作ってくれた料理の味が忘れられなくて。と送られてきたメッセージには綴ってあった。


あぁ。そうだ。


ポールボキューズの市場の料理人という本に出てくるリヨンの有名なマルシェ。

「料理人は誰よりも早く起きて、新鮮な食材を市場で見つけなければならない。」

本に書いてあるこの1行は、今なお大切にしている本質を突いた言葉である。

今の時代ではそんな事をせずとも新鮮で良質な食材は手に入る。ただ、この言葉の本質はそういった事、そうしている自分に心躍らせないといけないということだと思っている。料理人としての心構えと在り方を表している。だってボキューズさんは筋金入りの料理人だから。ピラミッド出身の料理人にはやはり芯があると思うのだ。


まぁ、そんな事は置いておいて。

本の中にあった国とマルシェに降り立った自分。初めてお家で作るご飯。

彼女のメッセージを読んでだんだんとあの日の情景や匂いや音が僕の中に蘇ってきた。


作ったのは多分マーシュのサラダと仔豚のロースト ポンムピュレ添え。

ワインはネゴスのラフォンのマコン08とラピエールのモルゴン07だった。

あぁ、懐かしい。

完全に思い出した。


会いたくなって。

ではなく、食べたくなって。


というのが素敵だなーと率直に思った。

時が経っても思い出してもらえる味わい。

そんな一言の為に明日の無い今日を生きているのかもしれない。


そして、一通りうっとうしい時間が過ぎたとき、また料理の事を考えている。

そんな事の繰り返し。


料理の作風というものは変わる。

そのことを書いてみようと思います。


ミュージシャンが曲を書くように。

レシピという言葉もあるように。

様々なやり方があります。

料理を作るっていう事は結構恥ずかしかったりもするものです。


あいみょんだって誰かの事を歌ったラブソングを堂々と披露するわけでしょ。

そりゃ自信家じゃないとできないよ。

シェフ達にも同じ事が言えるのかなと思ってます。


今では味わいから逆算してメニューや料理を考えることが多いです。食材から入るパターンもありますが、インスピレーションはそこでないことが増えてきました。口の中で、自分の空想の中で完成する味。そこを頼りに色んなものを合わせて最終的に組み上げる。


このやり方すらも、良いのか悪いのかを自問自答して繰り返す。そういう自分自身とのやり取りも楽しかったりする。年月を重ねる毎にやはり洗練されたものからは遠ざかっていくのに、どうしてもまたそこに近づきたくて何か新しいものを自分の中に取り込もうと日々もがいている。


味わいというのは極端にいうと1つ。

その1つの中にいくつの含みを持たせるのかが、料理においてとても大変なことである。


良い食材ほど、ピュアで様々な表情を持っている。単純にピューレやソースにしても、深みがあって、複雑性がある。言葉のように時としてそうだろう。単純なようであるものが深いということに。


フランス料理はどこか美学的な部分がある。

こうしたい。こうやりたい。

そういったスタイルを各々が持ってる。

そこは料理人のらしさであり、本質だ。

その中で行き着く在り方に皆んな縋りついている。最近はそんな部分が薄まったなぁとスマホの画面をスクロールする度に感じる。

いつの時代も芯の入った料理人の皿は何かに寄らない強さがある。そこにはメッセージが必ずあるものだ。



先日は東京に行ってきました。


たまに、何かのタイミングで行くけど。

今回のはすごく良い2日間でしたね。


僕は4品料理を作って、相方のソムリエがワインをやるというシンプルなワインバー営業。

これを2日間やり切りました。

毎日夕方から朝方までブッ通し。アルコールが完全に抜けるまで3日かかりました。


僕は立場上は先輩っていうポジションだけど、今や東京のトップソムリエの1人になったケンタロウ。彼の働く姿を1番近くで見て、大いな刺激

を受けました。同時に反省することもたくさんありました。


僕が今回1番感じたのはプレイヤーの重要性。

もちろん、お客さんの質は関西とは大きく異なる。開いていくグラスワインもデフォルトでフーラルルージュのようなクラスがスタートといった感じ。確かにこれでは関西のワインバーやビストロではとても太刀打ちできない。難しい。

でも、ここに背を向けてやり続けた結果が今の関西のレベルなんだろう。


自分の声で記事も書けないライターがグルメを語り、オリジナリティの無い料理人がミシュランに魂を売り。シャルドネとピノノワールしか知らないソムリエがウンチクを語る。

そんなの今の政治と一緒で、年寄りしか興味がないよ。若者は1票も入れたくない。


 と、色々感じるものがあったのは確か。


僕は付加価値というのはあくまでプレイヤーが生み出すものだと思っている。それは希少な食材やカルトワインを扱うことではない。お店を新しく改装することでもない。その人にしか出来ないこと。それこそが全てだ。


この夜のケンタロウはキレキレだった。

多分本人はいつも通りのサービスをしたんだと思うけど。来るお客さん1組ずつに、1人ずつに丁寧に接客し、ワインを選びサーブしていた。

料理をしながら、片目で彼の動きと思考を追いかけた。それは実に洗練されたものだった。

料理も大事だが、接客も大事だ。

やはりこれが高いレベルで共鳴し合うことがレストランの醍醐味でもある。


お客さんのレベルが...とかそういう言い方はもうできないな。ヤメにしないと。

と強く反省したのである。

気が付けばいつもそうだったのだと思う。


当たり前のことを当たり前にやること。

いや、やり切る事でしょうか。

そういう強さ。

これはもう意識していない自信ですよね。


自然体でベストを更新していくこと。

力の抜き方を知っている者だけの働き方。

いやぁ、東京やってるね。

と思いました。


でもね。


もっと上の世界も知っているからこその今があるのである。ワインに関しても。

もちろん東京もバンバンすごいワインが開いていくのだが、まぁパリはもっとやばいわけで。

仕事終わりのグラスワインがジャックセロスだった我々の世代は世界の終わりだったのかもしれない。ビールかジャックセロスかを選んでいた。

バグってる。

でもそれが日常だったから。


だからこそ少しでも神戸の価値観を覆したかったのはある。結局それはヴァンヘイレンのごとく叶わぬ賭けになってしまったけれど。

後悔はしていない。


僕が今作っている料理を何十年後かにまた誰かに聞いてみたい。覚えていてくれるかな。


20歳の僕にも36歳の僕にもおそらく共通した味わいがあるのだろう。

それを嗅ぎ取った彼女はグルマンで、僕にとってこれ以上ない食べ手だったということだ。


料理の作風は変われど、パッションの部分は決して変わらない。その熱い中心を味わってくれるお客さんにイカした料理を作りたいのである。