終わらない風 | LIKE A ROLLING CUISINE

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運命を拓く✨偏屈料理人のブログ
印象派の画家達に憧れ単身パリへ。しかしこんなはずではなかった!?様々な人との出会いや別れ。苦悩と喜びの日々と自身の料理哲学を綴る物語。
誰もが幸せになれないなら僕は料理を作り続けよう。


                Hello Goodbaye



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昨日3か月の仕事が終わりました。

すごく長かった印象。

それだけ集中してやれたということですかね。

でもホント不思議なことにどんどん満足できなくなっていく。

1年前の自分には夢のような時間でも毎日浸っているとそう感じなくなってくる。

何がそうさせているのか、残りの滞在時間でいろいろと結論へ近づこうと思っています。


今夜のMUsiCは

Bee Gees 愛はきらめきのなかに

よく朝の一曲目に若い頃は聞いていました。

当時よく一緒にいた年上のお姉さん。

朝からこんなの聞いてる僕をどう思っていたのだろう(笑)

今ならもうちょっとお洒落に朝を過ごせそう。


なんやかんやで6年経ちました。


19歳の頃は気負いとか、いろいろ抱えて都会に出て行った。

初めてフランスに渡るとき、パリに帰るとき、それらはまた違った感覚でした。

大阪って大きな街で、その日たまたま曇りだったんです。

パリもずーっと曇りのイメージ。

だから僕の中で都会って晴れてないような感じなんですね。

いつになったら晴れるんだろうって考えていました。


空を見上げられない。

なんだか飲み込まれてしまいそう。

下ばっかり見ていました。


初めて乗る地下鉄。

世の中にはJRしか無いと思っていましたから(笑)

そんな場所で生まれて死ぬまで過ごしたって。

いろいろな世界を、いろいろな人に会いに行かなくちゃって。

そう思って田舎を飛び出したのでした。

未来に希望を持てずに生きるってとってもカッコ悪いと思うんですよね。

いつからこんなになっちゃったんだろうって。

僕はいつもドキドキしていたかったし、転々と好きな場所へ飛び回っていくだけ。


どこかで素敵な言葉にも巡り合う。

ふいに外から入ってきますね。

自分で悟るのとは違う感覚で身体がブルっとする。

恋人に愛してると言われるのとは少し違っていつまでも覚えてる。

それがあの日だった。


ようやく地下鉄の乗り場を見つけまして....

切符も売り場に並んだものの買い方が分からないから前の人達のやり方を観察して。

大きなバッグと一緒に改札をぐーっと進んでいきました。


スーツ姿のサラリーマンと高い黒のヒールのお姉さんの横にちょこんと僕。

反対側の扉の隅に場所を見つけたのでドキドキしながらそこにいました。

なんで地下鉄乗るのにドキドキしてるんやろう。

何も起こらないよ。270円15分の世界だよ。

春なのに汗かいてました。

タケオキクチで無理して買った服も肩で息してる。

でもその扉の前で今でも大切にしている言葉と出会いました。


「仕事はうまくいってた。

でもそれでもやりたいことがあった。


辞表を書いたのが28歳。


サラリーマン時代に貯めた100万円を手に家に独りこもって曲作りに没頭した。


自分は天才だと信じる心と

もしかしたらダメかもしれないという心の間で揺れた。


それでも曲を書き続けたのは。

自分には音楽しかないと思ったから。


30歳でデビュー


業界の常識では考えられない

遅すぎるデビューと言われた。


あれから10回目の春が来る。


ぼくは歌う。君は?


スガシカオ」


しびれたよ。

ほんとうに。


春が来るたびに思い出す。

今の感情は料理を始めたこの頃に近いものがある。


僕は25歳をピークに設定していました。

そのとき何をして何処に居るのか。

そればかりを考えて.....


そして迎えた25歳。

舞台はパリ。

最高のレストラン。


でも、思ったんですね。

きっと料理人としてのピークはもう終わってるんだと。

多分20から23までぐらいだったのだと思う。

キャリアハイとピークというのは異なります。

ゆっくりとこれからも成長はしていくのですが、多くを望んではいけないのかなと思いました。

20代後半をこれからどうするのかということを考える必要があります。

30になるまでもとても大切な時間です。

帰ってこない日々を嘆くか。

ボブマーリーも音楽を嘆きから始まったと表現していますが......

後ろしか振り返るところがないというのもとっても寂しい。


でも僕は今回とても多くのいい体験をしました。

そのひとつは自分より若い料理人とたくさん働けたこと。

彼らの純粋でピュアな料理に対しての気持ちや姿勢。

新しいジェネレーション。

エネルギーをたくさん貰った気がします。

これは僕がこれから料理を続けていくうえでかけがえのないものとなるでしょう。


パリでは今、若いスターシェフ達が多く誕生している。

毎週のように料理雑誌からファッション誌にまで彼らは登場し、若い料理人たちのスターなのだ。

以前のジョエル・ロブションやアラン・デュカスのような単にあこがれという存在ではなく、リアリティがあり、何より自分もこうなりたいと思わせるような魅力がある。

そして彼らの下に彼らよりもっと若いフレッシュな料理人たちがいきいきと働く。


2013年。

ベルナールロワゾーの突然の死から10年。

10年でここまで変わってしまうフランス。

パリ。


彼ら90年代のシェフ達が蒔いた種はパリの固い石畳を割って見ごとに開花したと思う。

こんな自由な料理界をイメージして自殺されたのでは?

と僕は思う。

決してレストランの評価だけが原因ではないはずだ。


僕ももちろん彼らが蒔いた種のひとつだろう。

遠く日本にまで魔法の風に乗って飛んでくる。

スペインの行き過ぎたオナニーのような料理よりも愛があり、素晴らしいものだと感じた。

そして今、若い料理人たちはそれぞれの哲学を持ち、真摯に料理と自らのスタンスで向き合っている。

日々進化していく今の料理。


彼らと話しているとまだ本質にはたどり着いていないものの、豊富な知識と視点には驚かされる。

まだ18~20歳くらいの若い料理人たちだ。

同じ年齢くらい頃の僕で話してみたい(笑)

今は受け止めてあげられる器量があるのでうんうんと聞いている。

お互いに思うこと、哲学的な部分.....たくさんコミニケーションし、

毎日仕事をし、飲んで、たまには食事に出かけたり。

あと3年くらいしたら彼らはきっと素晴らしい料理人になるだろう。

その頃のパリも楽しみにしている。


たくさんの新しい芽が今日も明日も生まれていく。