【私の人生をたどる旅 世界観ブログ】

 

 

思考とペットコミュニケーションの専門家
へんみなおこです。
 
 

前回のお話し

 私の動物好きは父ゆずり 【私の世界観 第17話】

https://ameblo.jp/cuhaanya-nao/entry-12440347770.html

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第18 話

 

小学4年生の頃、父の身体に異変が起きました。

 

あの場面は忘れられません。

 

父が知り合いの結婚式に出かけて留守だったある日。

 

夜8時ごろだったかな。

 

電話がありました。

 

父からです。

 

「今、駅に着いたから迎えにきてくれ」

 

「なんでー?」

 

「引き出物の荷物が重くて持てないんだ」

 

「そうなんだ、わかった」

 

そう言って電話を切って母に

 

「お父さん、迎えに行ってくるね」

 

と家を出ました。

 

駅までは5、6分の距離。

小学生が一人でそんな時間になんで行ったのかな?

って思うけど、確か行けるのが私しかいなかった気がする。

 

 

駅に着いたら父が待っていました。

 

重いってどんなに大きな荷物なんだろう?

私に持てるのかな?

 

そんな事を考えながら歩いていたので

一人立っている父を見て拍子抜けしたのを覚えています。

 

 

父の横に置いてあった荷物は

普通の結婚式で頂くような手提げ一つ。

 

もちろん、4年生の私でも十分持てる重さ。

 

「おかしいな???」

 

そう思ったけど父は

 

「よかったー、重くて重くて大変だったんだ。

  来てくれて助かったよ、ありがとう」

 

そう言ったんです。

 

私といえば父に褒められたのが嬉しくて

ちょっと気になったものの

引出物の中身が気になったのと

父と二人で歩ける嬉しさですぐに忘れてしまいました。

 

 

それからどのくらい経ったんだろう。。。

 

父はだんだんと身体の様子がおかしくなります。

 

身体に力が入らない

スムーズに動けなくなってきていたようでした。

 

 

さすがにおかしい、という事で

病院へ行ったようでした。

 

 

でも、病名もわからなければ原因もわからず

良いと言われる病院を何箇所か回ったようでした。

 

 

結局、ついたら病名は

 

 

「筋萎縮側索硬化症」

 

 

現在では難病に指定されている「ALS」です。

 

 

当時は(約47年前)まだその病気の人も少なく

症例がないので薬もなければ

対処法も原因もわからない、という状況だったようです。

 

 

以前起きた交通事故の後遺症か?

または遺伝か?

 

なんて原因探しもしましたがわからなかったそうです。

 

父は43歳くらいだったのかな。

 

 

病院を回っているうちにも

どんどん症状は悪化してきて

入院となりました。

 

母は父の面倒や

経営していた鉄工所の対応

私たち4人姉妹のこと

 

女一人ですごく大変だったと思います。

 

 

この病気はだんだん筋肉が萎縮して動けなくなっていく病気。

 

つまり「寝たきり」になっていく病気です。

 

自分では何一つできない。

 

首の向きすら変えられなくなるので

ご飯も自分で食べられないし

トイレも行けない

 

だから付き添って面倒を見てくれる人がいないと困るんです。

 

 

ヘルパーさん頼んでました。

 

最初のうちは寝たきりでも会話はできたんだけど

そのうち話す事もできなくなりました。

 

父との会話は50音表を指しながら

少しばかり動く表情を読み取ってしていました。

 

身体は動かせないけど

意識ははっきりしています。

 

 

だから頭の中は元気な時と同じように動いているらしく

それが本人はとても辛かったようで

よく機嫌の悪い表情を出していました。

 

 

父のそんな顔は見たことがなかったので

悔しそうに涙が溢れていた表情を今でも思い出せます。

 

 

 

介護の仕方や、希望を汲み取れないので

かゆいとこに手が届かないような

そんな苛立ちを父も私達も感じていました。

 

 

 

4年生の終わり頃から

家に父がいなくなって

病院も遠かったので日曜しか行けず

いつも家に誰もいない

 

 

周りに頼ってばかりいた私はここでも役立たずでした。

 

 

お姉ちゃんたちは母を助けて家のことをしたり

妹の保育園に学校帰りにお迎えに行ったりしていたのに

 

 

私ときたら何もしなくて

ただその場に存在していないかのようにするのが精一杯だった。

 

 

きっと父のことが訳分からなすぎて

受け止められずに不安すぎて

何もできなかったんだと思う。

 

 

私は身体の発育も早かったので

思春期も早く来ていて、

心と身体のアンバランスさに自分でもついていけてなかった時期でした。

 

 

もっと家族に協力出来ていたらよかったのに。。。

 

今ならそう思います。

遅いけど。。。。

 

 

父のいない小学生高学年。

 

そんな状況の6年生の頃、

道路拡張のために引越しを余儀なくされ

私たち家族は長年住み慣れた家を出なくてはならなくなります。

 

 

 

続きはまた明日。

今日も読んでくれてありがとうございますチューリップピンクチューリップ紫

 

 

 

初めての引っ越しとひとりぼっちの卒業式 【私の世界観 第18話】

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