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明日はお休みです。
今日は7時半まで残業して、8時過ぎに帰ってきました。
つかれた・・・。
ご飯作るのがめんどうだったんですが、あるもので食べました。
あごだしスープの試供品と日本そば、以前作っていた牛丼の残りがあったので、肉そばを食べました。
あごだしスープは和風のだしですが、ラーメンやチャンポン用と説明書にあったので、油こいかなと思っておりました。
しかし意外とすっきりとした味わい。
おいしかったです。
業務用の日本そばもこしがあって、悪くなかった。
ご飯を炊いていなかったので、ときには晩御飯におそばも良いなあと思いました。
雑穀米の素もありますので、明日は雑穀ご飯を楽しみたいと思います。
おやすみなさい。
今日は数学屋のメガネというブログを教えてもらいました。
論理的な文章だから理解するのが難しいよ。とのこと。
なるほど。
この方の文章は、このブログで何度か取り上げた、「どうしたい」という論理の始まりと、「どうする」という論理の方法論を比べれば、後者に長けております。
いわゆる知識が多く、学校偏差値の高いタイプの人の文章、という感じです。
そのため、彼自身が自分で指摘しているにもかかわらず、論理の罠にはまっていることに気が付きました。
つまり彼の思考の背景には、
・現代教育(教師のいじめ、若者のサル化などの問題点)
・現代科学(もともとはユダヤ移民に始まるといわれるアメリカ型の科学的方法論)
・アメリカ的価値観(多民族国家の論理的説明や弁証論的な合理的社会通念というべきもの)
など、社会の趨勢が導いている偏差値偏重社会の弊害を含んでいます。
そのため論理性(確実に整合化された思考)や、客観という枠組みの現代科学を絶対的な世界として論理をスタートさせており、どこかで間違った(答えのでない)論理にはまったときに、その間違いを認められずに、無理な論理を展開し文脈から離れて、巧みに視点をずらしたり、比喩などを用いることで、整合性を整えたようにみせかけ、無意識に読者を納得させようとしてしまっているのです。
つまり彼自身が述べている、『元オウム真理教幹部の上祐氏がその長けたディベート能力で、屁理屈を通し、相手に詭弁家という印象を与えてしまっていた』、という論理の罠そのものに陥っています。
彼自身が、論理的に説明できるものが正しいという、意識的人間観(意識が作り出した世界の中の人間)に埋没しています。
そのため彼自身も「ああ言えば上祐」と揶揄されるような詭弁家になってしまっているところがみうけられます。
彼自身は複雑系の科学や、カオスについて、ものすごく詳しいはずです。
しかし論理の罠にはまっているため、机上の空論ととられてしまう部分が少なくない。
論理の視点だけでは、社会というカオスを記述することはできません。
彼の数学者である、理論家である、学者であるというプライドが、必要以上に思考にバイアスをかけているのです。
まさに数学者のメガネから社会をみたために論理の罠にはまっています。
『世の中、理屈どおりにいくわけないじゃん』という、かつて彼ももっていて、いまも多くの人がもっている考えをどこかでおきわすれてしまっているのです。
ながながとかきましたが、これで数学者のメガネというブログの一部を読んだ感想は終わりです。
みなさまもいろいろ意見はあると思いますが、数学者のはまる罠に興味がわいて書いてみました。
ちなみに今日のオセロは2勝5敗でした。
勝てる試合も多かったのに、週末の疲れが出てきました。
オセロは難しいです。
乗り切りました。
あぶないこともありましたが、眠い目をこすりながら一日を終えることができました。
いまはモーツァルトを聞きながら、オセロを打っています。
家計簿もつけました。
もう少しで部屋の片付けも終わりそう。
今日の晩御飯は、塩やきそばです。
実は塩だれが以前からありました。
おいしかった。
台所にはまだ塩だれのこうばしい香りが残っております。
今日は深夜に更新です。
眠い。
昨日は昼過ぎに起きたためか、よくねむれませんでした。
今日も1時過ぎだ・・・orz。
明日はけっこう体力使うので、大丈夫か!
今日は鍋を食べたので、おなかもいっぱい!
ブログを更新しながら、モーツァルトを聞いています。
まじで眠くなってきた。
もう少しだけ書きます。
近頃、いじめ自殺した中学生を実は担任の先生が、いじめていたという話がでております。
先ごろ教育についてブログで書いたのですが、やっぱり教師かよと思いました。
学生の問題は実は大人にある。
てか教育は大人の問題だ。
昼のピンポンとかなんとかいう番組で、福澤アナがいろいろ涙しておりました。
福澤アナみたいに声を張る勢いと、軽いのりだけの、まさにピンポン玉みたいな人が、情報番組でただ感情だけで熱弁しているのはどうかなと思うのですが、悲しい気持ちはよくわかります。
その教師は、他の女子生徒に太ってるからお前は豚だ!などといってたそうですから、じゃあお前はごみ以下だといってやりたかった。
以前も書いたのですが、人間の思考は、無意識もあわせて、始まりが大事だといいました。
「どうする」という方法論よりも「どうしたい」という出発点です。
統計や、多数決がはやっておりますが、人間は全員、まったく違っております。
眼や口の数は同じですが(ときどき数が違う人もいるらしい。指とか)、形や動き、それらに対する想いは言葉では言い尽くすことができない圧倒的な差異を持っています。
一人一人の人間は圧倒的に違うのです。
個性教育?
はじめから同じ人間は一人もおりませんが?
全員個性が違うんですが?
個性を尊重しようなどというのは、そういう大人たちが個性を無視してる証拠です。
じゃあ教科書を一人一人オーダーメードで作るんですか?
一人一人に個性にあった教師をつけるんですか?
なぜ徒競走で順位をつけないんですか?
かわいそうだからですか?
あんたらばかですか?
文部科学省、教育委員会、PTA、教師たちはもう出発点から間違ってる。
だれも声高に間違いを指摘しない。
子供たちが立派な大人に育ってほしいという願い。
子供たちが教師との関係性のなかで、自己を磨いてほしい。
と思えば、10代前半の若い女子に、豚などといえますか?
もしいえると思うなら、教師になれません。
他人に迷惑をかけないように家で鶴でも折り続けていてください。というしかない。
論理の方法論など、道具にすぎません。
その道具をいかにつかうかという人間性そのものが大事なのです。
ただ教科書を丸暗記して、教師という立場でありながら、10代の女子に、仮に心の中で思っていたとしても、目の前で豚といっていいはずがありません。
それなら少々、教科書がすすまなくてもよい。
太ってても、ちゃんと学校に通ってる女子に、豚という前に数学の美しさや、役には立たないかもしれないけど、一生懸命に数学をやってる人たちがいること、自分の生き様、教科への想いを語ってやれよ。
それだけで女子にとっては豚っていうよりも、何億倍も心に響くだろうとなぜわからない?
豚とののしる言葉以外に、無限の選択肢があるのです。
良い選択肢なんてだれもわかりません。
だから必死に、真剣に、考えるんだよ。
教育なめんな。
本気でやれや。
と思うのです。
今日は昼過ぎに起きました。
体がしんどかったので、昨日は午後9時に寝ました。
オセロは2試合しかできませんでした。
それ以上続けていたら間違いなくレートを落としていたと思います。
最近つかれがとれないなあ。
救心のもうかな。
(´Д`) =3 ハゥー。
休みだあ。
( -_-)旦~ フゥ...。
毎日オセロできるので、そんなにつかれてないと思っておりました。
しかし新しい部署での疲れがあったんだなあ。
来週からは、予定が立てやすいので、楽になります。