今日は深夜に更新です。
眠い。
昨日は昼過ぎに起きたためか、よくねむれませんでした。
今日も1時過ぎだ・・・orz。
明日はけっこう体力使うので、大丈夫か!
今日は鍋を食べたので、おなかもいっぱい!
ブログを更新しながら、モーツァルトを聞いています。
まじで眠くなってきた。
もう少しだけ書きます。
近頃、いじめ自殺した中学生を実は担任の先生が、いじめていたという話がでております。
先ごろ教育についてブログで書いたのですが、やっぱり教師かよと思いました。
学生の問題は実は大人にある。
てか教育は大人の問題だ。
昼のピンポンとかなんとかいう番組で、福澤アナがいろいろ涙しておりました。
福澤アナみたいに声を張る勢いと、軽いのりだけの、まさにピンポン玉みたいな人が、情報番組でただ感情だけで熱弁しているのはどうかなと思うのですが、悲しい気持ちはよくわかります。
その教師は、他の女子生徒に太ってるからお前は豚だ!などといってたそうですから、じゃあお前はごみ以下だといってやりたかった。
以前も書いたのですが、人間の思考は、無意識もあわせて、始まりが大事だといいました。
「どうする」という方法論よりも「どうしたい」という出発点です。
統計や、多数決がはやっておりますが、人間は全員、まったく違っております。
眼や口の数は同じですが(ときどき数が違う人もいるらしい。指とか)、形や動き、それらに対する想いは言葉では言い尽くすことができない圧倒的な差異を持っています。
一人一人の人間は圧倒的に違うのです。
個性教育?
はじめから同じ人間は一人もおりませんが?
全員個性が違うんですが?
個性を尊重しようなどというのは、そういう大人たちが個性を無視してる証拠です。
じゃあ教科書を一人一人オーダーメードで作るんですか?
一人一人に個性にあった教師をつけるんですか?
なぜ徒競走で順位をつけないんですか?
かわいそうだからですか?
あんたらばかですか?
文部科学省、教育委員会、PTA、教師たちはもう出発点から間違ってる。
だれも声高に間違いを指摘しない。
子供たちが立派な大人に育ってほしいという願い。
子供たちが教師との関係性のなかで、自己を磨いてほしい。
と思えば、10代前半の若い女子に、豚などといえますか?
もしいえると思うなら、教師になれません。
他人に迷惑をかけないように家で鶴でも折り続けていてください。というしかない。
論理の方法論など、道具にすぎません。
その道具をいかにつかうかという人間性そのものが大事なのです。
ただ教科書を丸暗記して、教師という立場でありながら、10代の女子に、仮に心の中で思っていたとしても、目の前で豚といっていいはずがありません。
それなら少々、教科書がすすまなくてもよい。
太ってても、ちゃんと学校に通ってる女子に、豚という前に数学の美しさや、役には立たないかもしれないけど、一生懸命に数学をやってる人たちがいること、自分の生き様、教科への想いを語ってやれよ。
それだけで女子にとっては豚っていうよりも、何億倍も心に響くだろうとなぜわからない?
豚とののしる言葉以外に、無限の選択肢があるのです。
良い選択肢なんてだれもわかりません。
だから必死に、真剣に、考えるんだよ。
教育なめんな。
本気でやれや。
と思うのです。