今日は数学屋のメガネというブログを教えてもらいました。
論理的な文章だから理解するのが難しいよ。とのこと。
なるほど。
この方の文章は、このブログで何度か取り上げた、「どうしたい」という論理の始まりと、「どうする」という論理の方法論を比べれば、後者に長けております。
いわゆる知識が多く、学校偏差値の高いタイプの人の文章、という感じです。
そのため、彼自身が自分で指摘しているにもかかわらず、論理の罠にはまっていることに気が付きました。
つまり彼の思考の背景には、
・現代教育(教師のいじめ、若者のサル化などの問題点)
・現代科学(もともとはユダヤ移民に始まるといわれるアメリカ型の科学的方法論)
・アメリカ的価値観(多民族国家の論理的説明や弁証論的な合理的社会通念というべきもの)
など、社会の趨勢が導いている偏差値偏重社会の弊害を含んでいます。
そのため論理性(確実に整合化された思考)や、客観という枠組みの現代科学を絶対的な世界として論理をスタートさせており、どこかで間違った(答えのでない)論理にはまったときに、その間違いを認められずに、無理な論理を展開し文脈から離れて、巧みに視点をずらしたり、比喩などを用いることで、整合性を整えたようにみせかけ、無意識に読者を納得させようとしてしまっているのです。
つまり彼自身が述べている、『元オウム真理教幹部の上祐氏がその長けたディベート能力で、屁理屈を通し、相手に詭弁家という印象を与えてしまっていた』、という論理の罠そのものに陥っています。
彼自身が、論理的に説明できるものが正しいという、意識的人間観(意識が作り出した世界の中の人間)に埋没しています。
そのため彼自身も「ああ言えば上祐」と揶揄されるような詭弁家になってしまっているところがみうけられます。
彼自身は複雑系の科学や、カオスについて、ものすごく詳しいはずです。
しかし論理の罠にはまっているため、机上の空論ととられてしまう部分が少なくない。
論理の視点だけでは、社会というカオスを記述することはできません。
彼の数学者である、理論家である、学者であるというプライドが、必要以上に思考にバイアスをかけているのです。
まさに数学者のメガネから社会をみたために論理の罠にはまっています。
『世の中、理屈どおりにいくわけないじゃん』という、かつて彼ももっていて、いまも多くの人がもっている考えをどこかでおきわすれてしまっているのです。
ながながとかきましたが、これで数学者のメガネというブログの一部を読んだ感想は終わりです。
みなさまもいろいろ意見はあると思いますが、数学者のはまる罠に興味がわいて書いてみました。
ちなみに今日のオセロは2勝5敗でした。
勝てる試合も多かったのに、週末の疲れが出てきました。
オセロは難しいです。