Bernice Bobs Her Hair | Have a cup of tea

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タイトルはアメリカ人作家のフィッツジェラルド(F. Scott Fitzgerald)の短編小説でもあり、The Divine Comedyのアルバム『Leberation』に入っている一曲でもある。

 

昨年の2月、TDCのロンドン公演で偶然隣の席になり、11月のロンドン公演で再会したTDCファンの方から、この曲、'Bernice Bobs Her Hair'(Youtubeより)はフィッツジェラルドの小説を題材にしているということを教えてもらい、私もYoutubeで聴けるから・・と入手を先延ばししてしまっていたTDCの公式なデビューアルバムといえる『Leberation』の中古CDをやっと入手して、昨年秋はそのアルバムに没頭していたので、年明けにKindleでフィッツジェラルドの短編集をダウンロードして、その題名の小説を読んでみた。

 

フィッツジェラルドといえば、ほんの数年前、通信制大学で最後まで単位を残してしまったアメリカ文学史のレポートと単位修得試験のためにテキストを読み、ロスト・ジェネレーション(第一次世界大戦中に若者だった世代)の作家としてヘミングウェイとともに挙げられていた。当時勉強していたノートの記録によると、フィッツジェラルドはアメリカの上流階級とされる裕福な家庭で育ち、プリンストン大学に行き、若くして作家として成功したが、中年にさしかかった頃、ちょうど大恐慌のはじまりとともに、体と心を病んでしまい…というようなことが書かれていて、なんだか若くして成功したものの晩年は悲劇だったのかなと思うとともに、人の人生ってやっぱり平等なのかな?ということが頭によぎった。そんな作家の生涯の概要から、フィッツジェラルドの作品を読みたいという興味があまり持てなくて、その時代の作家の数作品を選んで読みテーマに沿って論じるレポートの課題にはヘミングウェイの作品を選んだため(ヘミングウェイも晩年は精神を病み悲劇な最期だったが・・・)、フィッツジェラルド作品を原書で読んだのはこれが初めてだった。

 

小説を読む前に、TDCの曲を聴いて歌詞をみたときは、最初、バーニスという人(男)が彼女の髪をボブヘアにした?と思い込んでいた。バーニスの髪は長くてダークヘアだった・・とか。しかし、これはバーニスという女の子が自分の髪を自らボブヘアにした、というタイトルだった。

 

フィッツジェラルドのこの物語の舞台は、とある上流階級のパーティ。バーニスが従姉妹であるマージョリーのお屋敷に夏の間滞在していて、そこで繰り広げられるパーティーで、若い女性たち(行き遅れた女性も含む)がダンスなどを踊りながら、パートナーとなる男性と出会うというお見合いの場みたいな感じなのか?バーニスはウィスコンシン州のオークレア(Eau Claire)に実家があり、あか抜けない田舎の女の子という感じで男の子とのおしゃべりや交流にも苦労している様子。マージョリーはバーニスよりもちょっと年上のようで、近所に住むおそらく幼なじみのウォーレンはマージョリーのことが好きだが、そんな彼にマージョリーはそっけない態度をとる。バーニスは従姉妹のマージョリーと仲良くしたいけれども、バーニスが考える女性らしさがマージョリーにはないと思う。バーニスはマージョリーに女性の理想の姿をオルコットの『若草物語』などをを引き合いに出して説こうとするが、一笑に付される。逆に、マージョリーはバーニスがパーティで冴えない振る舞いをしていることを指摘し、どんなドレスを着て、男の子とどんな会話をすればよいかなどを指南する。納得がいかないバーニスだが、そのアドバイスに従ったバーニスはたちまちパーティで人気者となり、マージョリーが好きだったウォーレンさえもバーニスが気になる存在になる・・・。

 

この小説、正直言って途中まではバーニスとマージョリーのやり取りについて、全く性格の違う二人の女の子が互いに相手を受け入れられずイライラしている感じが描かれて、正直それに退屈してしまったが、後半からクライマックスにかけての展開、どうなるんだろう?と一気に読んでしまい、最後はびっくり!そして痛快で思わず笑ってしまった。

 

以下は、小説で象徴的に出てくるワードから、いろいろと想像してみたこと。

まず、バーニスの実家があるウィスコンシン州オークレアのEau Claireはフランス語で、英語ではClear water、清らかな水と言う意味があるが、バーニスは聖母マドンナのような清らかな顔だという描写もあり、バーニスの純粋さを象徴しているようだ。また、バーニスはネイティブアメリカンの血を引いているという言及があり、TDCの歌詞にも「彼女の髪はダークヘア」と歌われているが、ダークヒロイン的なキャラ?と想像した。また、バーニスが理想と思う女性像はLittle Women(若草物語)の4姉妹のような、女性同士の絆があり共感しあうものといった女性らしさがマージョリーには欠けていて、それは女性としては正しいことではないとバーニスが気にしている描写もあった。女性の共感力というのは、英文学を勉強しているとキャラクターの特徴としてよく出てくるもので、それらは男性作家が描く女性像に多い気がする。その反面、マージョリーのようなキャラクターは当時は先進的な新しい女性と言えるかもしれないし、女性である自分からすると、今の時代では違和感がないし、むしろバーニスよりはマージョリーの考え方のほうが好ましいと個人的には感じてしまった。そして、この二人の女性の間で揺れ動くウォーレンは、なんともぼんやりした存在で、大好きなマージョリーの言いなりになったり、バーニスの魅力に密かに気づいたりと、中途半端な存在であるが、これはフィッツジェラルド自身の女性に対する態度なのかとも考えた。この時代の女性といえば、描写にもあったがバーニスやマージョリーの母親世代の伝統的な奥ゆかしい女性像が崩壊しつつあり、ジャズの時代、ボブヘアが流行し、社会で働く女性の出現もあり、ダウントン・アビーのシリーズ後半にあった、長女のメアリーがボブヘアにしたり、次女が起業したりする場面などが思い出される。男性は当時のそうした女性像の変化に対して理解できずにどこか遠くからぼんやりと眺めている感じだったのかと考えた。また、床屋さんでバーニスがボブヘアにする場面をバーニスの心境からマリー・アントワネットの公開処刑に例えているところが印象に残った。たまたま最近読んだTDCのインタービュー記事では、TDCの曲については復讐と髪型を歌ったものと簡単に書かれていたが、確かに、小説ではマージョリーが巧みに仕掛けた罠によって、バーニスが不本意にも自分の長くて美しい髪をボブヘアにすると宣言することになってしまい、その復讐を遂げることで物語は終わっている。また、バーニスが先住民族の血を引いているということから、クライマックスで、バーニスがこっそりマージョリーの部屋に忍び込んで切り落としたマージョリーの髪を、ウォーレンの家の玄関先に投げつけて「Scalp!」(戦利品よ!)と叫ぶシーンは、さながら先住民族のそうした習慣を思わせるのだった。