Cube Now!

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Cube&Companyの日々の社内活動を、少しずつご紹介したいと思います。

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ご存じの通り、有名な言葉ですね。

 

原典は、『孫子・謀攻』に、「彼を知り己を知れば百戦殆からず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆し。」とあるのに基づいています。

 

意味は、「敵と味方の実情を熟知していれば、百回戦っても負けることはない。敵情を知らないで味方のことだけを知っているのでは、勝ったり負けたりして勝負がつかず、敵のことも味方のことも知らなければ必ず負ける。」ということです。

 

これは当たり前だな、と思いつつも、よく振り返ると不十分であったと気付かされます。

 

コンサルティングの場面に限らず、仕事、日常でさえ、人と人との関係の中で為されます。

 

そこで交わされる言葉だけに、注目していると、目先のことに振り回され、一喜一憂したり、忙殺されてしまいます。

 

相手がどういう状況に身を置き、どういう心境で、どうしていきたいのか?

 

もちろん、自分・自分達についても、どういう状況に身を置き、どういう心境で、どうしていきたいのか?

 

このことを深く知れば、大局を把握した中で、動向を理解出来ますし、今後どうなるかが予測出来るようになっていきます。

 

忙しかったり、ストレスを感じるシチュエーションほど、目先のことに囚われてしまい、「お互いを知る」ということを蔑ろにしたり、「お互いを知る」ための行動を劣後させてしまいます。

 

戦局を好転させていくためにも、思い込みや先入観、マインドを切り替え、変化の1歩として、お互いを深く知るということが大事なのだと、痛感します。

先輩「相手目線で物事考えるって大事だよなぁ…」

 

後輩(何を当たり前のことを言ってるんだか…)
  「そうですよねー。大事ですよねー。」

 

先輩(何か、表面的に理解された様な気がするなぁ…)

 

というようなシチュエーションに遭遇した経験、御座いますでしょうか?

 

今回は先輩観点ではなく、後輩観点でのお話しです。

 

このタイミングで後輩の方は、1つ大事な機会を失ってしまいました。

 

日々の生活では様々な方と交流する機会がありますが、コミュニケーションにおいて、相手の力量を推し量り、適切なスタンスを取ることは、まさに入り口と言えます。

 

小手先のスキル・知識よりも大事だとさえ、考えます。

 

ここで話しは変わりますが、長幼之序(ちょうようのじょ)という言葉をご存じでしょうか?

 

長幼之序とは、「年上と年下の間にある、守るべき社会的、道徳的な

秩序」を示し、儒教の5つの道徳法則、五倫のうちの1つとされています。

 

孟子は、『孟子』滕文公上篇において、

父子親有り、(父子の間には親愛の情がなければならない。)

君臣義有り、(君臣の間には礼儀がなければならない。)

夫婦別有り、(夫には夫の役割、妻には妻の役割がある。)

長幼序有り、(長幼の間には順序があり、年少者は年長者を敬うこと。)

朋友信有り、(朋友はたがいに信頼の情で結ばれなくてはならない。)

と、以上の5つの徳を守ることによって、社会が平和に保たれると説いています。

 

「長幼之序」は、年齢における上下という観点で述べられておりますが、意味するところは年齢に限らないものだと捉えています。

 

もちろん、敬うという単語も、表面的なことではありません。

 

自分よりも上の相手に対して、敬うスタンスを入り口で取れれば、この人がこう言う位だから、きっと深い意味があるだろう。
という仮説が立つはずです。

 

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」

こちらは詠人不明のことわざ扱いになっている句ですが、人間も学問や徳が深まるにつれ謙虚になり、小人物ほど尊大に振る舞うものだという意味です。

 

目先のことを優先すると、大事な物事や本質に気付くきっかけを失ってしまいます。

 

それは一瞬のことですが、とても大きなことです。

仕事を行う上で、『目的』を意識されていますか?

もちろん、皆様、意識されていると思います。

なぜなら、自分が行っている仕事には必ず『目的』があり、
目的があるから、目的を達成する為のアプローチを考え、
日々活動する。

と、目的起因で、動いていることは、ごくごく普通であり
当たり前なことだからです。

ですが、この当たり前なことが、できないことがありますし、
出来ていない人も、以外と多いと感じます。

私の最近あった出来事なのですが、
いつのまにか、自分の意識しないうちに
目的が変わってしまっていたということがありました。

自分としては、目的を意識し、日々頑張っていたのに、
「知らない間」に、目的が間違った何かに完全にすりかわり、
すりかわった結果、そのすり替わった後の
目的に対して、達成する為のアプローチを考えたり、
実行したり、してしまっていました。

もちろん目的が、ずれているので、
何の意味もなく、単なる時間の無駄に
なってしまったことはいうまでもありません。

やってしまった!!!と反省しつつ、

このようなことにならないようにするために
『そもそも』という単語を使うようにしました。

『そもそもなんだったか?』と自分に問うと、
『あ!』っと、ずれていたと気付けることがあるからです。

目的さえ間違わなければ、どんなやり方で達成しても良いですし、
考えること、行動すること、絶対無駄になりません!!

特に新入社員の方々には、意識してほしいです!!
「質問」をすることは、良くあると思います。

皆様は、どのような際に、質問をされますか?

例えば、社外だと顧客の要望を理解する為に質問をする。
社内だと業務の指示をうけ、その内容の理解を深める為に
質問をする。行動をしようとした際に、この行動を
行っても良いのかと不安になり質問をする。等でしょうか。

通常、このように、相手が言っていることを理解したい場合や、
確認を行う時等に質問を行うと思います。

ですが、仕事において、とてもムダな質問を行う人がいます。

それは、怒られた時等に、自分があっているということを
証明する為の質問を行うことです。

完全にぬれぎぬを被せられたというようなケースは
置いておくとすると、怒られるという時は、何かしら
自分に悪かったところがあると思います。
なので、怒られたことに対して、真摯に受け止め、
反省し、次に同じことを行わないように
する為には、どうすればよいかということに
意識を向けるべきだと思いますが、

時に怒られるということが嫌で逃げたくて、
真摯に受け止めず、とにかく自分は悪くない
ということを言うためには、どうしたら良いかという
思考になり、意味の無い質問を繰り返し、反省もなく、
満足してしまう人がいます。

その瞬間怒られているというストレスからは排除される
かもしれませんが、長い目で見た時に、真摯に受け止め、
反省しないことが、自分の仕事人生において、
成長を止めることに繋がっているということを
理解しないといけないと思います。

誰もが成長をしたいと思っているはずです。
瞬間瞬間逃げてしまうと、後で、とんでもない
代償となりかえってくることがありますので、
自分がどのような思考になっているかということは、
常に自己分析を行うということが重要だと思います。
仕事において、主体性を持ちましょう!
と、言われること、ありませんでしょうか?

主体性って何なのでしょう?

本日は、仕事において良く見受けられる
『間違った主体性』について
お話をしたいと思います。

間違った主体性とは、一言で言うと
目的達成に直結しない主体性のことを言っています。

例えば、こんなことがありました。

アウトプットのクオリティをあげる為に
レビューを行いました。

その際、自分が説明をしている際に、
他人から、つっこみが入りました。
それは、なるほど!と思える指摘でしたので、
目的達成を考えると、そのインプットをありがたく頂戴し、
より一層良いものに仕上げていく為に、
効果的な情報として、捉えるべきだったのですが、
その指摘を怒られていると感じてしまったのか、
自分を正当化する為の、目的に関係ない説明を
しだした方がいました。

本人としては、相手に自分の考えをわからせよう!と
主体性をもって、一所懸命相手が理解するまで
話をするぞ!と、思っていたようなのですが、
目的達成に関係無いので不要な時間です。

次に、私もたまに、やってしまうのですが、
こんなこともありました。

プロジェクトをもっと良くしようと考えていくと
自分の役割以外のことも気になってきて、
自分の役割を100%、120%こなす前に、
マネージャーが○○ができないからプロジェクトの
目的達成できないかもしれない。等と
評論化的に文句ばかり言ってしまうことがあります。

自分としては、プロジェクトの成功を考えると、
主体性をもってアラートをあげてるよね。 
プロジェクト全体を考えた際に、前向きな発言しているよね。
って思っているのですが、本当にそうでしょうか!?

まずは、自分の役割において、目的を達成させることに
目を向け行動することが先なのではないでしょうか。

このように、自分は良かれと思っているのに、
間違った主体性になってしまっていること、あると思います。

熱い気持ちで、熱く発言しているのに、
周りの反応が悪い場合は、
もしかして間違った主体性になっていないか?
と、自問自答してみることも大事なのかもしれません。