透明人間の空を思う | 道標を探して

道標を探して

 ただ、そこに進んでみたい道がある。
 仰いで見たい空がある。
 踏んでみたい土がある。
 嗅いで見たい風がある。
 会ってみたい、人がいる。


最近、思考停止に陥っていると感じる。

 毎朝大学へ行くまでの3時間、電車に揺られながら読書をしているわけだが、今までとは違った環境に慣れていないせいか、本の内容が頭に入ってこない。読書をしていないときも、なんとなくボーっとしているときが非常に多い。小説の構成作りも順調に進んではいない。

 なにが私をこのようにさせているのか分からないけれど、猛スピードでつまらない人間になっていってしまう気がして、ものすごく不安になる。
 普通にはなりたくない。安定した生活も望まない。世間・世俗に独自の感性を持たない人間になりたくない。そうなることはきっと自分の人生を他人に決められていってしまうようで、死んだときに完全な人間に慣れていないような気がするから嫌なのだ。

 それでも、いままでのように生活が出来ていないから、この加速度的な「普通の人間化」が止められない。

 それには何が必要なのかはわかっているつもりだ。
 それは、今の生活のいち早い自分なりのプランを作ってしまうことだ。

 今の私は本当にどうかしていると思う。特筆すべきだと思うのは、今日過ごした大学生活を思い返すと、そこに音と色が無いことに気付いてしまう。ということだ。

 電車の音が思い出せない。大学の構内を歩いているときの雑踏の音が思い出せない。見る景色は全てモノクロの世界で、換算としている。知っている人は分かると思うが、アニメの設定資料集の、あの黒い直線で描かれた世界。あれがい今の私が住んでいる世界なのだ。

 空が青く見えない。人の顔を見ることが出来ない。帰りの途中に知らない駅で降りて、熱にうかされたようにフラフラと歩く町並みも、全てが全て灰色に見える。見えてしまう。

 今日は日曜日で、自宅の周辺で一日を過ごした。久々に空が青く見えた。

 明日は月曜日、もしかしたらまた私は灰色の世界に自分を溶け込ませてしまうかもしれない。

 考えるに、私は見えないところで緊張しているのだと思う。一日中、気を張り巡らせて、世界中の人間が敵だと思いながら過ごす。だから周りのことに気を払えずにいるのだ。睡眠も、最近は今までの4時間以上短くしてしまっている。

 明日が恐い。眠るのが恐い。時間がたつのが恐い。世界とともに色あせていきそうな自分がとてつもなく恐い。

 私は、これからどうなってしまうのだろう。やりたいことが出来ない。やるべき事も、頭から抜け落ちることが増えた。これは人間的に死んできた証拠なのかもしれないなと思う。

 何度か言ってきたが、私の頭の中では3年ほど前から聞き覚えの無い男が低い声で「死ね死ね」と言い続けている。きっと私はその男の願望に近づきつつあるのかもしれない。
 もし、そんな人間的な死が私に降りかかってきたときは、私は喜んでその男に肉体的なそれも与えてやろうと思う。

 もうすでに私の精神は自分の生活に疲れきっている。誰か近縁者に一言「死ね」と言われたなら、やっと他人から自殺の許しがもらえたと、二度とこんな生活をしなくていいんだと思い、死ねと言ってくれた人に一言感謝の礼を言って、私を取り囲むたくさんの人々と無言の別れを告げるだろう。

 彩(いろど)りのある人生が欲しい。ほんのりと香る幸せを両手で抱え込めるような人生が。


 さもなくば、私に死を