卒業へ | 道標を探して

道標を探して

 ただ、そこに進んでみたい道がある。
 仰いで見たい空がある。
 踏んでみたい土がある。
 嗅いで見たい風がある。
 会ってみたい、人がいる。

 もう学校は、二度しか行きません。
 卒業式と、事前練習の二度だけです。

 今日、僕の住んでる地域ではうっすら雪が降りました。雨よりも太い線が空中で踊り、服に触れてもすぐに消えることは無く、わずかな余韻を作って氷は水へと変わっていきました。

 そんな体験が何故卒業へと想起させられたのかは不明ですが、後から考えるに、あれは今の余韻を感じろという何らかの提唱だったのかもしれません。僕は今、高校から大学受験の勉強、また試験のための長期休暇をもらっています。
 高校に残り、何もかもが凍り付いていたあの時間から、自由に流れることを赦され、また強要されるまでの余韻、それがこの休暇期間なのではないか。そう思わせられます。

 氷や雪のとける音は大好きです。木の枝葉についた雪が溶け出すときには雨のようなザァザァとした音が聞こえますが、空を見上げても雪の名残としての灰色の雲が漂っているだけで、決して僕を濡らすわけではありません。
 ただ、雪が溶けているだけなのです。

 氷の音は非常に小さい。コップに氷を入れて、水を入れるとキューキューという音がする。小学校の頃、暇をもてあますとやっていた遊びです。氷が溶けていくのを、ぼんやりと眺めているだけの、退屈な暇つぶしです。
 キューキュー。
 そんな音を立てながら、氷は小さくなっていく。そしてある瞬間から音も何も聞こえなくなる。音が出なくなれば、自然とそんな退屈な暇つぶしにも飽きて、どこかへフラフラと出かけていってしまう。そして帰ってきた頃には凍りは全部とけ、遊びつかれた喉を心地よく冷やす冷水になっている。
 疲れて帰ってきた僕は、その冷たい水を一息に飲み干す。

 何か、人が少しずつ、次のステップを踏んでいくときの感覚と似ているような感じがする。そう思いました。

 そんなことを雪に気付かされるなんて、僕はまだ修行が足りませんね。
 けれど、僕はこの余韻をどうやって過ごせばいいのか、わかりません。今まで自分がいた状態から開放され、追放されるとき、僕は一体どうやって僕であること・あったことの証を作ればいいのでしょうか?

 まだ、結論は出ません。卒業式まで二十日を切りました。せかされる思い出はありますが、急いで悩むことなど、できません。





一言
何を探せばいいのかも分からないのに、いきなり「探せ」と言われても、僕はただ棒立ちになるしかありません。